博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『大秦帝国 第1部』その5

2009年08月22日 | 中国歴史ドラマ
『大秦帝国』第30~37話まで見ました。

熒玉の調査によると太子駟は放浪の末山奥の村に辿り着き、そこの里正の世話になりながら勉学に励んだり、村娘と恋仲になったりしていたとのこと(^^;) 意外なことに庶民の暮らしぶりを知って真人間になった太子駟ですが、ここでいきなり子役から大人の役者へと交替。なんつーか、いきなり老けすぎです……

一方、魏の宮廷では滅秦を主張する龐涓を尻目に趙への侵攻を決定。嫌々主将にさせられた龐涓は援軍としてやって来た斉の孫臏の計略により、桂陵の戦いで大敗を喫します。

それから唐突に十数年の歳月が流れ、魏はまたもやむずがる龐涓を主将として韓へと侵攻。申不害の指揮のもと韓軍は魏軍の攻撃をよく持ちこたえ、援軍として駆けつけた斉軍は前回と同じく孫臏の計略により、馬陵の戦いによって龐涓を敗死に追い込みます。ここで有名な「龐涓、此の樹の下に於いて死す」のエピソードが出て来ますが、龐涓は孫臏にや倒されたと言うより、味方のはずの公子卬と太子申に陥れられ、やむを得ず馬陵道に赴いたということになってますね。

秦は咸陽への遷都を進める一方で、今こそ魏に奪われた河西の地を奪回する好機と、商鞅はこの十数年の間に錬成した新軍を率いて魏へと侵攻。魏は公子卬を主将として迎え撃ちます。元々の『史記』の話だと、商鞅は魏にいた頃に公子卬と付き合いがあり、その誼で講和の会談をしようと招き寄せたところを捉えて捕虜にしたということになってたはずですが、ドラマの方では商鞅は魏にいた頃から公子卬とは政敵同士という設定なので、この騙し討ちのエピソードは無かったことに……

で、なぜかこの2人が高台に肩を並べてお互いに自軍を指揮するのですが、結局秦軍が勝利を収めて公子卬を人質に。魏の宮廷との交渉の末に河西の地の奪回に成功したのでありました。この功績によりに商・於の地に封じられて商君となり、得意の絶頂の商鞅ですが、良き理解者である孝公は病気がちとなり、世族の変法に対する不満も高まりと、ボチボチと風向きが怪しくなってきました。

で、今回のツッコミ所。

○韓での申不害の変法が失敗だったということになっている件。
……このドラマでは商鞅のライバルとして噛ませ犬的なキャラに描かれていた申不害ですが、これはあんまりだ(;´д⊂)

○魏の相として恵施が登場。
……恵施と言えば名家に属する思想家で荘子の友達と言った方が通りは良いかと思います。張儀と絡んだりするので、ここで登場させるより張儀が出て来るらしい第2部で登場させた方が良かったような気がするのですが……
コメント
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