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博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『三国』その1

2010年06月08日 | 中国歴史ドラマ
『レッドクリフ』にアニメの『三国演義』と、ここ2~3年中国の影視作品で『三国志』を題材にした大作が目立ってますが、その極めつけとも言うべき全95話のドラマ版『三国』に手を出してみることに。しかし監督が『新上海灘』の高希希というのはまだしも、総顧問が数々の歴史ドラマの名作・迷作を生み出した陳家林というのに一抹の不安を感じてしまうのですが……

今回は第1~7話まで見ました。

物語はいきなり曹操が王允から七星刀を借りて董卓を暗殺しようとする所から始まります。今の大陸にとってはもはや黄巾起義なんかどうでもいいんでしょうかねえ。時代は変わったもんです…… 序盤は曹操が主役みたいな感じで話が進んでいきますね。で、董卓討伐連合軍が結成されたあたりでようやく劉備・関羽・張飛の三兄弟が登場ということになるんですが、脇役っぽい扱いです。ほんでまた曹操・劉備・孫堅が鼎談したりしているのですが、一体どんなサービスシーンなのかとツッコミたくなります。(ついでに少年孫権もその場にいたりします。)

しかし董卓討伐連合軍の盟主袁紹と参謀曹操の組み合わせは、時節柄鳩山と小沢のカップリングとダブって見えてしまいますね。いつの時代もこういう時に担ぎ上げられるのは毛並みが良くて言うことを素直に聞きそうな奴ということなんでしょうか(^^;) あるいはこの頃の曹操の立ち位置は今の小沢程度だったとも言えるかもしれません。

ここまでで孫堅が玉璽を得て袁紹・袁術にその野心を疑われ、董卓討伐連合軍を離脱して江東に帰ろうとしたはいいが、劉表に騙し討ちされてお亡くなりになるあたりまでが描かれてます。袁紹から孫堅を討てという勧告を寄こされながら、それを無視して孫堅と和解すると見せかけて、やっぱり孫堅を騙し討ちにする劉表。今回の劉表はなかなかの策士ですなと思いきや、蔡瑁らの献策に何となく従っただけのことでした(-_-;) で、少年孫権がその劉表のもとに父の遺体を引き取りに行くのですが、序盤からやけに孫権がプッシュされてますね。

今のところ総話数が多い割には無理な話の引き延ばしが目立たず、呂布VS劉・関・張三兄弟のシーンなど、かけるべき所にちゃんと間尺・予算・労力をかけているという感じです。これはひょっとして大当たりの名作なんでしょうか……?まあ、題材的に大当たりの名作じゃなきゃ相当まずいわけですが。

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『興亡の世界史18 大日本・満州帝国の遺産』

2010年06月06日 | 世界史書籍
姜尚中・玄武岩『興亡の世界史18 大日本・満州帝国の遺産』(講談社、2010年5月)

日本では日露戦争以後、満韓ブームが到来し、人々はフロンティアを求めて満州へと押し寄せた。一方、植民地朝鮮の人々にとっても満州は魅惑的なフロンティアであった。満州国では朝鮮人であっても高級官僚や軍人への道が開けていたのである。後の韓国大統領朴正煕も満州国で軍人としての栄達を求めた1人であった。一方、気鋭の官僚岸信介は満州国において計画・統制的経済政策を進行させようとしていた。

ということで、朴正煕と岸信介、この2人の満州国での経験が戦後の韓国・日本両国の政治にどのように影響していったのかを辿った本書ですが、岸信介の満州国時代の経験とその後の日本の政治への影響については、本書でも参考文献に挙がっている小林英夫『満州と自民党』(新潮新書、2005年)に既に詳述されおり、正直あんまり新味がありません。

となると、読みどころは朴正煕のパートとなるわけです。本書は彼の進めた防共政策・軍部独裁・重化学工業化・官僚主導による計画経済的資本主義政策・セマウル運動などはすべて満州国・朝鮮総督府の政策に倣ったものであり、戦後の彼の立身出世も満州国時代の人脈を生かしたものであることを指摘しています。

本書ではしばしば「帝国の鬼胎」という表現を用いていますが、あるいは戦後の日本・韓国のみならず、昨今の様子などを見てると中国も「鬼胎」の中に含めた方がいいのかもしれません。

ところで本書で笑ってしまったのは以下の部分。

朴正煕は三期目の大統領当選に成功するが、選挙による競争ではもはや政権維持は困難であった。この大統領選で朴正煕は「票を下さい、とお願いするのもこれが最後」だと約束するしかなかった。それは大統領選への出馬が最後になるということではなく、票を求めるような選挙を繰り返すつもりはないことを意味していた。すでに朴正煕には憲政中断のシナリオが描かれていたのである。 (本書256頁)

笑っちゃいかんところなんでしょうが、客観的にはギャグにしか読み取れんよな(^^;)
コメント (3)
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『魔幻手機』その7(完)

2010年06月04日 | 中国科幻ドラマ
『魔幻手機』第37~最終42話まで見ました。

牛魔王の「長生不老丸」づくりに協力させられるハメになった游所為ですが、心中では彼の悪事を阻止しようと虎視眈々と機会を窺ってます。しかし小千はそんな游所為の苦衷を知らず、彼を裏切り者と見なします。(まあ、前科もあるしな……)

で、単身牛魔王・游所為・黄眉大王(こいつも游所為の言うがまま牛魔王に協力させられてます。)に戦いを挑みますが、牛魔王に傻妞を奪われ、破壊されてしまいます。しかし本体に過度の衝撃を与えたことで傻妞が復活。小千は再び「飛人」としての能力を手に入れます。

「長生不老丸」の成分を調べる小千と傻妞ですが、一粒をつくるのに多量の樹木を伐採して樹液を採取したり、何やら地中から養分を吸い取っていたりと、かなりの度合いで地球にやさしくないシロモノであることが判明。おまけに傻妞がやって来た2060年の世界では最近群発地震に見舞われているのですが、その原因が牛魔王による「長生不老丸」製造ではないかと気付きます。

地球の環境を守るため、小千と傻妞は牛魔王に戦いを挑みます。ここに至って游所為らも牛魔王に反旗を翻し、皆で協力して元の時代に送還することに成功しますが、「長生不老丸」原料の採掘場である地中奥深くに爆薬が仕掛けられていることが判明。これが爆発すれば地球は破滅ということで、小千と傻妞は爆薬を取り除くべく地中に潜り込みますが……

ということで『魔幻手機』もいよいよ完結。最後は時流に合わせたのかエコロジーを強調したような展開になってました。で、最終回まで見た感想としては……

○游所為は前作『宝蓮灯』の二郎神と同じく、何がしたいのかよく分からないだめんず迷走キャラだった。
○孫悟空は最後までほとんど役に立たず、おまけに猪八戒に比べて出番も多いわけではなく、友情出演キャラと化していた。
○タイムスリップ物らしい趣向があまり無いなあと思ってたら、帳尻を合わせるかのように終盤になっていくつか出て来た。

といったところでしょうか(^^;) 

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『日本に古代はあったのか』

2010年06月01日 | 日本史書籍
井上章一『日本に古代はあったのか』(角川選書、2008年7月)

先日取り上げた本郷和人『選書日本中世史1 武力による政治の誕生』で紹介されていた本ですが、面白そうなのでこちらも読んでみることに。

本書は宮崎市定ら京都学派に属する中国史研究者が後漢末から三国あたりで古代から中世へと移り変わるとしているのに合わせ、日本史の方でも邪馬台国の時代から中世が始まった、すなわち日本に古代は無かったと考えるべきであること、ヨーロッパでも英・仏・独や北欧などはいきなり中世から有史時代が始まったと見なされており、中世から歴史が始まるという見方自体は突飛なものではないことなどを論じています。

ここまでは面白く読ませて頂きました。しかし、鎌倉時代の前後でを古代から中世へと移り変わったと見なす歴史観がどのようにして出来上がったかというあたりから、話の雲行きが怪しくなります。

著者はそれを、関東出身あるいは東大出身の研究者が、朝廷のあった関西を貶め、自らの出自である関東を称揚したいという「関東史観」によって醸成されたものだと言うのですが、関西人である私の目から見ても「それは無いわ」という感じです…… はっきり言うと関西人のひがみにしか見えません。

個人的にこういう東京に対してむやみやたらに敵意をむき出しにする論調は好きになれないし、話のスケールが急速にしぼんでいくしで、読み進めて行くにつれ失望の度合いが深まっていきました(-_-;) この著者には「アンチ巨人も巨人ファン」という言葉を贈りたいと思います。(著者の名前でググってみると、熱烈な阪神ファンのようですしね。)

日本史の研究者が鎌倉時代の前後に時代の画期を置きたがるのは、本郷和人『武力による政治の誕生』に言うように、武士という存在に重きを置こうとする態度に原因を求めるべきであって、関西という土地柄が嫌いだからその歴史的な役割を貶めようとしたわけではなかったと考えるのが合理的だと思うのですが……

ただ、邪馬台国から中世論(と応仁の乱前後から近世論)については卓見であり、これを中心に述べた本書の前半部は一読の価値があります。そもそも古代・中世・近世・近代という時代区分自体が西洋の学術の産物でありますし、この区分を受け入れる以上、日本史の方もヨーロッパの年代観に合わせるようにするのが筋だと思うのですよ。私の専攻では邪馬台国から古代だろうと中世だろうと何の被害も無いので、気軽に言いますけどね(^^;)
コメント (2)
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