博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

漢情研2010年度公開シンポジウム「電子出版の動向と諸問題」 私家版まとめ

2010年07月11日 | 学術
昨日は慶応大阪リバーサイドキャンパスで開催の「漢情研2010年度公開シンポジウム『電子出版の動向と諸問題』」に行ってました。既に師茂樹氏による実況まとめもアップされているので、今更内容をまとめる必要も無いかなと思いましたが、取り敢えず個人的に面白かったポイントだけを挙げておきます。

今回は田代真人氏が主に電子出版のビジネスとしての面、守岡知彦氏が技術面、石岡克俊氏が法的な面について発表されてました。この中ではアゴラブックス取締役として関わっておられる田代氏の話が最も面白かったかなと。

○出版には印刷・製本費以外の経費の占める割合が多く、電子書籍にしてみたところでそれほど安くなるわけではない。更に著者の印税を現行の10%から引き上げようとすると、紙の本と変わらない値段になってしまう。

○再販制と取次会社の存在を中核とする現在の日本の出版体制は、出版社のみならず著者の利益も守っている。現在の体制では出版した時点で取り敢えず初版部数分の印税が著者のもとに振り込まれるが、電子化によってそうした体制が崩れ、実売部数のみの印税となると、著述業で食べていくことは現在より更に困難になる。

○出版社を経由せず個人での出版が容易となると、書籍の質が現在より低下する恐れがある。これまで出版社に持ち込んで編集の判断で出版を断られていたような人も、ある程度の資金があればドンドンと電子書籍を出してくるだろう。あるいはインディーズ出版がどんどん出て来れば面白い状況になるかもしれない。→電子出版は同人作家とトンデモさんにとってビッグチャンス!というとこか(^^;)

○電子書籍は、学術書の出版に限ってみれば、著者による出版費用の負担がはるかに軽くなり、メリットが大きい。著者が自分でDTPソフトが扱えればなお良し。

○電子書籍に参入する企業の中では、Googleの立ち位置がやや特殊。これは創業者2人が元々スタンフォード大学の図書館に所属しており、効率的な図書館の蔵書検索が事業の起点となったことに関係。

全体的に編集者の役割を強調する論調になってましたね。出版において編集者が本当に必要なのかどうかは、発表の中にもあったように1つの本を編集者が介在したバージョンとしないバージョン(いわばディレクターズ・カット?)の両方を出してみて読者の反応を見るしかないんでしょうけど。あと、電子書籍を安くするには出版社の社員の給料を半額にするしかないなんて話も出てましたが、実際は全社員の給料を半額にするかわりに、給料はそのままで社員の数を半分にするという方策に出そうな悪寒が……

石岡氏の発表ではAppleの検閲問題が話題に挙がってましたが、これは現在のようにAmazonなどの有力な対抗馬が市場に存在し、それらがカルテルなどを結んで結託しない限りは、一企業の方針ということで何の問題もないとのこと。

個人的なツボとしてはこんな所でしょうか。あと、参加者のi-pad、i-phoneの所有率の高さは異常(^^;) i-pad は電子書籍の端末としては大きすぎるかなと思ってましたが、実物を見てみると横画面にして見開きの状態で読むには丁度いい大きさですね。
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『三国』その8

2010年07月08日 | 中国歴史ドラマ
『三国』第46~52話まで見ました。

劉備側が呉の支援で荊州南郡を攻めるはずが、周瑜が直々に攻めるハメになって曹仁軍の毒矢を受けたり、劉備が零陵・桂陽・長沙・武陵の四郡に攻め込んだりしてます。このあたりの展開は赤壁の後ということもあってかなりまったりしていると言うか、中だるみしてます(^^;) 関羽と黄忠の一騎打ちなんか安心して見れますね。しかし黄忠、爺のくせにいい動きしてますなあw

で、ここら辺から魯粛が劉備や孔明に「荊州を返せ」と言い始めますが、劉備らは「荊州は劉のものだから」と言い訳を続けます。ほんでその度ごとに病臥の身でありながら引っ張り出される劉。何かもう見ていて大変痛々しいです…… 

その劉が亡くなると今度こそはと魯粛が詰め寄りますが、そこで孔明が「西川を獲ったら荊州を返します」という証文を書くことに。これを魯粛が呉に持ち帰ると、傷の療養中の周瑜から「で、奴らはいつ西川に攻め込むの?三年後か?十年後か?おめーも子供の使いじゃねーんだからさ、こんなもんに騙されるなよ」とツッコマれるのですが、このドラマの魯粛は「いや、今まで奴らは二言目には荊州は劉のものだ、朝廷の所属だとか言っていたのが、やっとこさ呉から借りてるものだと認めたんですぞ!」と反論します。今回の魯粛は今までとは一味違いますなあ(^^;)

で、このパートはいっそのこと劉備を人質にしてしまおうと周瑜は孫権の妹との縁談を思いつき、劉備側がその話に乗って呉にやって来た所までです。呉に行く前に関羽と張飛が劉備に「軍師殿は兄貴が帰って来なかったら荊州を乗っ取っちまうんじゃないか」と不安をぶつけていますが、どうなることやら……

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『桟雲峡雨日記』

2010年07月06日 | 中国学書籍
竹添井井著・岩城秀夫訳注『桟雲峡雨日記』(平凡社東洋文庫、2000年2月)

久々の戦前の中国旅行記シリーズです。今回は『左氏会箋』の著者として知られる竹添井井の旅行記で、明治9年(1876年)の旅について書き残しているということなので今まで読んだ中で最古の旅行記となりますね。北京から洛陽・西安・成都などの地を経て長江を下り、三峡を通過して上海に至るという旅程です。

宿で寝てたら盗賊に衣服を盗まれたり、中国人が阿片にハマる様子を見て憂慮したりと、一応現実の中国を目の当たりにしているはずなんですが、行く先々で漢詩を作ったりと、バーチャル中国に浸り気味の旅であります(^^;) これが桑原隲藏の『考史遊記』あたりになると、イヤでも現実を見据えざるを得なくなるのですが……

以下、気になった所をピックアップ。

○キリスト教を妖教と決めつけ、偏見丸出しの竹添先生。仇教運動をおこした中国人民に近いメンタリティを持っているんでしょうか。

○満州人の衣服や帽子を身に付け、蒙古の行脚僧(モンゴルラマ僧?)の身なりに扮して人目を避けるように旅をしていた竹添先生。コスプレかっ!とツッコミたいところですが、満州人の服装をしていたのかラマ僧に扮していたのかはっきりして頂きたい(^^;)

○宇野哲人『清国文明記』と同じく、華清池でやっぱり入浴している竹添先生。ここまでの旅路で宿に風呂が無かったため、思わず入浴してしまったということですが(^^;)

○文昌帝君が学問の神であることに不満の意を表明する竹添先生。そんな怪しげなもんに祈っても科挙には通らねえよ!とツッコミたいらしいが、今更そんなこと言われても中国人も困るでしょうに(^^;)

○赤壁の候補は5箇所あるが、湖北嘉魚の赤壁のみが史実と合致すると考える竹添先生。ちなみに現在一般的に赤壁の戦いの跡地として観光地化されているのは湖北省赤壁市(旧蒲圻市)。もちろん嘉魚とは別の所です。
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『三国』その7

2010年07月03日 | 中国歴史ドラマ
『三国』第40~45話まで見ました。

ということで赤壁真っ盛りです。孔明が曹操軍から十万本の矢を調達してきたり、黄蓋・周瑜が苦肉の計を仕掛けたりとお馴染みのエピソードが展開していきますが、曹操軍の戦艦を鎖でつなぐのは于禁が提案したことになっていますね。出番を奪われた龐統、哀れ(^^;)

で、最後に孔明が祈祷して東南風を呼ぶわけですが、孔明を始末しようとする周瑜に対して妻の小喬が孔明を逃してしまいます。理由は「東南の風が来ないということで病気にまでなった夫を助けてくれたから」ということですが、小喬の所業を知った周瑜は「もうお前帰れ。二度と顔も見たくない。」と絶縁宣言。これはいろんな意味で予想もしなかった展開www

水戦の後は、呉側は劉備側に曹操を捕らえてor殺させて曹操側の恨みをそちらに向けさせてしまおうという心積もり。ということで華容道の直後に魯粛が劉備の元にやって来て曹操をどうしたか様子を見に来るのですが、その魯粛の面前で孔明や劉備が、最初からそうなると予想していたクセに「曹操を故意に逃した関羽は処刑すべし!」「しかし関羽一人を死なせはせん。関羽を処刑して儂も死ぬ!そして義兄弟の契りを全うするのだ!」とひとしきり猿芝居。魯粛も芝居と承知で一同を取りなしたりしてます(^^;)

一方、関羽のお情けで命からがら逃れた曹操は打ちひしがれる将兵を前に「敗北は明日の勝利のための教訓なんだ!」と必死に訓戒を垂れていますが、そのありがたいお言葉を聞きながら居眠りをしている男が一人……その男こそが司馬懿でありました。曹操を彼をスカウトし、愛児曹沖の師として許昌に連れ帰ることに。

その許昌では曹丕・曹植らが後継者争いの火花を散らせておりましたが、まだ幼いながらも兄弟の中で随一の才知を見せ、父曹操にかわいがられている曹沖を「このままでは奴に後継者の座が奪われる」と危険視する曹丕。作中でも曹丕を出し抜いて一人許昌に帰還した曹操を出迎えてたりしてましたが……

で、思い余って彼の部屋に毒蛇を放ち、暗殺してしまうことに。曹沖の遺体を調べた荀はフェイクで「毒鼠に噛まれて亡くなったのでしょう」と曹操に告げ、ついで人払いして「実は毒鼠ではなく毒蛇が原因、犯人はおそらく曹沖が死んで後継者争いで最も有利となる曹丕ではないか」と推測しますが、その直後に当の曹丕もたまたま毒鼠に噛まれて倒れたという知らせが…… そんなたまたまがあるかいっ!(^^;) 司馬懿は「真の智者は曹沖ではなく曹丕」なんて評価してますが、こういうわざとらしい所を見ると「どこがやねん!」とツッコミたくなるわけですw しかし結局曹操も曹丕が犯人と察知しながら事をウヤムヤにすることにしたのでありました。何か想像の斜め上をいく展開が続くなあ……

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『シリーズ中国近現代史1 清朝と近代世界』

2010年07月02日 | 中国学書籍
吉澤誠一郎『シリーズ中国近現代史1 清朝と近代世界』(岩波新書、2010年6月)

岩波新書にて『シリーズ日本近現代史』に続く第二弾『シリーズ中国近現代史』が刊行開始。しかも第1巻のテーマは清朝ということで読んでみることに。個人的には当時の冊封体制に関する部分が面白かったですね。

日本については豊臣政権が朝鮮出兵時に明との和平交渉を折衝する際、あるいは徳川政権が朝鮮と国書をやりとりする際に、日本側と相手側の双方の顔が立つように適宜国書を書き換えていたことが知られていますが、実はビルマ・シャム・ベトナムといった東南アジア諸国も清に対して同様の態度を取っていた模様。すなわちこれらの国々では国内では自国と清は対等と認識していたのですが、清に差し出す漢文の国書ではその辺りを適宜修正していたというのです。

そしてそのうちシャムは近代化が進むと、漢文の国書でも清の属国と表明することを拒否。またビルマは19世紀末にイギリスによって併合され、インド帝国に編入されますが、清朝的にはイギリスに併合されようと何だろうと朝貢さえ続けてくれればオーケーという認識だったとのこと。

つまり冊封体制とは、少なくとも清代においては冊封される側がほとんど本気で付き合っていなかったという壮大なファンタジーだったんだよ!(ここで「なんだってーーーーー!!」とツッコんであげて下さい(^^;) )唯一本気で付き合ってたぽいのは朝鮮ですが、国土が清に直に接しているとは言え、その律儀さに泣けてくる…… しかしその朝鮮の「属国にして自主」という立場も、アメリカと条約を結ぶ際に「意味が分かんないんですけど」とツッコまれてしまう始末……

なお、日本の徳川政権は清と冊封の関係を有しておらず、単に長崎で民間の業者を通じての貿易を許可するのみでしたが、これについて本書では、英国の使節が清朝皇帝に謁見する際に三跪九叩頭を行うかどうかで揉めたのと同種の儀礼的問題が発生するのを日清双方が憂慮したため、正式の外交を持たなかったとしています。

朝鮮については正式な使節を受け入れていたわけですが、やはり日本側の将軍の称号で揉めたりしてますし、このような問題は確かに起こりえたのでしょう。とすると冊封体制で一番の勝ち組は、敢えて清に朝貢せず、明治維新以後は西洋式の外交に乗り換えた日本ということになりましょうか(^^;)
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