博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『包青天之七侠五義』その6

2011年01月06日 | 中国古典小説ドラマ
『包青天之七侠五義』第29~35話まで見ました。

開封にて夜な夜な悪人を退治して回っている謎の剣客「玉蝴蝶」。その正体は名門南宮世家の跡取り息子南宮玉輝でありました。南宮世家は元々武林の名門でしたが、宋の太祖の即位に協力したことから定国公の爵位を授けられたという家柄。南宮玉輝はそんなお堅い家柄に反発し、正体を隠して正義の味方稼業に従事していたのであります。

さて、展昭と艾虎は皇命により、その南宮玉輝の父親南宮権の誕生日を祝うために定国公府へと向かいます。おりしも南宮権の長男南宮正耀との婚約を解消するため、丁氏双侠とその妹丁月華も定国公府に到来しておりました。彼女は「夫となる人は自分より強い奴じゃないとヤだ!」ということで、武芸が出来ない正耀との婚約がどうしても受け入れられなかったのです。実は南宮権の長男正耀は妾の子で、15歳になるまで母親のもとで読書人として育てられたため武芸が出来ず、次男でありながら嫡出子で武芸に堪能な玉輝が後継ぎに指名されていたという次第。ただ、2人の兄弟仲は至って良好であったのですが……

で、展昭が定国公府で月華に見初められたり、南宮玉輝に喧嘩を売られたりと様々なイベントが発生する一方、開封では龐大師の妾が「玉蝴蝶」に斬殺されるという事件が発生。展昭・艾虎は玉輝こそが「玉蝴蝶」で事件の犯人と見て捜査を進めますが、南宮世家は宋の太祖よりあらゆる罪を赦すという「鉄券丹書」を授けられており、証拠を見つけても立件が難しいという状況に。

おまけに当の南宮玉輝が何者かに殺害され、展昭がその犯人ということにされてしまいます。展昭は南宮世家の追っ手を逃れて開封府へと帰還しますが、南宮権に泣き付かれた仁宗は包拯に展昭の捕縛を命令。展昭は大人しく縛に付きますが、包拯らが3日以内に真犯人を見つけられなければ犯人として処刑されることになってしまい……

ということで今回は双侠篇……のはずなんですが、月華以外はほとんど見せ場がありません。メインは明らかにオリジナルキャラの南宮兄弟の方ですね。おまけに丁兆蘭・丁兆の兄弟は双子じゃない(^^;) 背格好・雰囲気の似た役者さんを連れてくるのが面倒臭かったんでしょうか…… あと、今回も黒妖狐の智化が(名前だけ)登場してますが、この人、変装の名人というスキルのせいで、もうすっかり便利キャラ扱いされちゃってますねえ。
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『ロビン・フッド』

2011年01月04日 | 映画
『ロビン・フッド』

時は12世紀末。イングランドのリチャード獅子心王に付き従い、フランスの城を略奪しながら十字軍遠征より帰還していたロビンですが、リチャード王の戦死のドサクサに紛れて軍より離脱。その時に殺害されたロバート・ロクスレー卿から郷里ノッティンガムにいる父親のウォルターに家宝の剣を渡すよう頼まれ、仲間とともにノッティンガムへと向かうことに。しかし思いがけずウォルター卿より息子の替わりになって欲しいと頼まれしまいます。

一方、兄リチャードを継いで王となったジョンは、乳兄弟のゴドフリーを重用し、母アリエノールや父の代からの老臣を遠ざけるようになりますが、実はこのゴドフリー、フランス王フィリップがイングランド征服のために送り込んだスパイで……

ということで、ロビン・フッド伝説に十字軍とかマグナ・カルタとか時代的に合いそうな要素を振りかけた、歴史好きにはたまらない作品に仕上がっています。

ロビン・フッド物に出て来るリチャード獅子心王と言えば、騎士の鑑ということで名君扱いされるのが普通なんですが、この映画では戦争好きのDQNな王様として描かれ、しかもDQNなまま序盤で戦死してしまいます。後で「やっぱり生きてました!」という感じで再登場するのかと思いきや、出番は本当にそこまででした(^^;)

で、通常悪役として描かれるジョン欠地王は本作でもやっぱり悪役です。最初から最後までブレのないDQNぶりを見せてくれます。途中で王としての自覚に目覚めかけるシーンなんかも出て来たりするのですが、それでもアホなDQNから脱皮して狡猾なDQNになったという程度です……

本作ではイングランド征服を企んでいるということになっているフィリップ尊厳王ですが、陰謀家タイプでいい所を見せてくれるのかと思いきや、結局はかばかしい所も無いままラストシーンでは涙目を見せてフランスへと退却していきます。史実では完璧超人に近い王様のはずなんですが、実にもったいない使い方です(^^;)

ラストの英仏両軍の戦いなどアクション・シーンに目が行きがちな作品なんですが、個人的には英仏両国王の三者三様ぶり(英国母后アリエノールも含めると四者四様か)が面白かったなあと思います。
コメント (4)
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年末に読んだ本

2011年01月02日 | 日本史書籍
今年最初の更新が年末に読んだ本の紹介というのもナンだなあと思いつつ……

小林敏男『日本国号の歴史』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー、2010年9月)

「日本」という国号の由来や、「倭」から「日本」への国号変更の経緯をまとめた本。「日出づる処」の意味での「日本」という呼称は、倭国の内側から生まれたとは考えにくく、朝鮮半島など倭国の外側から生まれたのではないかという議論はちょっと面白いが、これを「日本号韓国起源説」と称するのは誤解を招くもとになるのではないかと思ったり(^^;) この本が参照している神野志隆光『「日本」とは何か』が読みたくなりました。

安永祖堂『笑う禅僧 「公案」と悟り』(講談社現代新書、2010年11月)

オビには「まったく新しい禅問答入門」とありますが、禅の公案をネタにしたエッセー集のような感じですね。個人的にウケたのは以下の2点。

○生まれ変わりについて。東洋では人間は死後人間以外の動物などにも生まれ変わるとされるが、西洋では人間は人間にしか生まれ変わらないという前提がある。これはキリスト教における神と人、自然との捉え方に起因する。

○キリスト教徒と神との関係は、主人に忠実な飼い犬と飼い主との関係に似ている。禅僧と仏との関係は、気ままなニャンコと飼い主との関係に似ている。

加藤隆『福音書=四つの物語』(講談社選書メチエ、2004年)

福音書はなぜマルコ・マタイ・ルカ・ヨハネの四つが書かれなければならなかったのかという疑問について解説した本……のはずですが、どうも私が期待していたのとは少し違うなあという感じが…… 同じ著者の『『新約聖書』の誕生』を先に読むべきだったのでしょうか……
コメント (2)
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