ウィリアムのいたずらの、まちあるき、たべあるき

ウィリアムのいたずらが、街歩き、食べ物、音楽等の個人的見解を主に書くブログです(たま~にコンピューター関係も)

生きていることが、無駄ではないことを示すために、どう生きたかを残す技術としてのブログ

2008-02-24 22:41:30 | Weblog

さっき、NHKスペシャル

最期の願いをかなえたい
~在宅でがんを看(み)取る~
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080224.html

をみてて思ったこと。




末期がんなどで、もう余命わずかの人にとって、
生きている意味があるのか?という考えで、
自殺を考える人もいるようだ

・・・というか、たぶん、そーいう人も多いんだろう。

でも、そういう人でも、少しでもよりよく生きたことを
記録にのこせれば、将来、おなじ境遇になった人に、
どうやって生きると、よりよく生きることができるかを
示すことが出来る。
 そう思えば、そして、記録に残せれば、生きる意味を
見出せるんじゃないかと思うんです。




その番組では、ベットから起きるということをやっていました。

 起きれれば、簡易ポータブルトイレを使って、介護する人
 の苦労が軽減されるというお話を、おいしゃさんはしてましたが、
実際、そこまでいったかどうかまではわかんないけど、
(起き上がることはできたみたいよ。寝たきりだったのが・・)

 その記録を病気になった人が、自ら、記録に残せれば、
そのことが生きる記録になるし、さらに、同じ境遇(寝たきり)に
なったひとに、どういう手順で、起きるかを参考にしてもらうことが
できると思うし、さらに、それを見た人が、起きることから、さらに進んで
簡易ポータブルトイレを使うまでの手順を示して、記録に残せれば、
介護の苦労を軽減して、全国的に介護する人の手助けになる。

 病気の人も、そうやって記録に残すことで、役に立てると思えば、
生きている価値や希望を見出せるだろう。




 で、その技術がブログのはずなんだけど、

 そーいった、「どう生きたかを残す」というところまでは
うまくいってるけど、そこからさき、同じ境遇の人が、ブログを調べて
さらにそれを生かしていくまでには、検索技術がすすんでいない気がします。

テキストマイニングは、まあまあ、すすんできたけど、
じぶんの境遇や気持ちから検索し
(気持ちというか、意図や信念をモデルにはできるみたいだけど、
 文章から境遇、気持検索をできるようにするってのは。。)
そこから、自分の生き様を記録して(病気の状況でも記録できる方法で)
ブログに保存する・・・

っていうところまでは、いってない気がするんですよ、奥村先生(^^)!

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