自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

古代山陽道

2007-03-01 23:44:12 | Weblog
 気温18.2度少し動くと汗がでる。
春ではなくもう初夏だ。おうしょかといっていいものか考え中。
ビオトープの中では、卵のほとんどは空でオタマジャクシが100匹ぐらい見える。細竹で突くと黒いおたまはくねくねと泳いで藻の中に隠れる。



タラの芽はもう食べられる寸前まで葉が開いてきた。
食べタラとの声に、でもこのサンプル公民館においてあるのです。
かなりずうずうしい奴でも一呼吸置いて、また後日来ますと言い、いとまを頂いた。



少し堅い話になるが古代山陽道を学んで見よう。
大化の改新(645年)後のことを日本書紀は国司等や駅馬、伝馬を置くと記載しており、政治・軍事の他に交通網が全国的に整備された様子が見える。



我が家の前の道(南側=右)を昭和20年以前に生まれた人は馬往還と呼ぶ。そしてこの道に沿って条里ができている。(ハヤガッテンはいけません。我が家は左側の道沿いで70m先の楠木のある家だ。近世、古代両山陽道にも沿っている)
後で説明するがこのあたりに安那駅があつたと推定する。



国分寺沿いに古代山陽道が有るとは限らないそうだが備後の場合は参道入り口が古代、近世の交点にあったようで今でも道標が近くの神社の境内に鎮座している。
ということはここは昔とはかなり道筋が変わっているのかもしれない。



右石州ぎんざん道
左九州をうくわん道



古代山陽道は播磨の国明石駅から備後の国品治駅まで中国唐に習い都から広い直線道路を造ったようだ。そして60里毎に駅屋を作りその中間30里にも駅を造ったようだ。その30里間隔の駅安那駅が東側にあった。西に行くと現在でも福山市駅家町がありそこには品治地区が有る。多分ここがその駅家だろう。



眠くなりました。
おやすみなさい。