自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

あー神辺城

2007-03-07 12:57:37 | Weblog
 古き昔へ遡る事670数年、建武の時代
神辺のこの地に山城が築城された。







360度見渡せる山頂に朝山景連が守護職をいただいて赴任してきた時に始まる。
浅山氏の字違い表示の歴史家もいるがここは朝山氏でとおす。
歴史が始まる。
この城は呼び名も沢山有るが(道上城、紅葉城、黄葉城、楓山城等)城主の移動も激しい。
朝山氏→山名氏→杉原氏→尼子氏→大内氏→陶氏→毛利氏
戦国時代とはいえ山陽道の要衝だから、幾たびも激しい合戦がありった事が理解できる。
その中でもある戦では2枚目の写真の山すそ、日本住血吸虫の中間宿主である宮入貝が大量に生息し、合戦で片山沼に入った戦士は片山病という足が像の足のように太くなる病気にかかった。(昭和の時代迄現実の病として残った)
その後関が原の戦で戦功のあった福島正則が廣島に入り備後も支配下に置いた。
福島もつかの間に消え、家康の従兄弟水野氏が備後を納めることになった。
そして、家康が江戸城を築いた事例と勧めで神辺から福山へ移転したのである。
ここで神辺が政治の舞台から消えたのである。
参考までに今でも福山街中の実相寺に山門が残っているという。

歴史を学んだ後は神辺城址をアー、あー、フーフーといいながら登って頂く。
ソメイヨシノ900本、山桜100本花芽が膨らみ始めている。
楽しめそうだが友は遠方なので一人の桜になるかも。











麓に下りると杉原氏の邸宅であったと言われる天別豊姫神社がある。





ここでは真冬を飛ばした春の陽気に亀がのんびり甲羅を干していた。
一緒になって遊びたいが先の仕事が待っている。
一寸一言
以前書いた「ウサギと亀とアオ鷺と」の話はここで思いついたのである。