自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

天明

2007-06-04 23:42:00 | Weblog
 ホタルのシーズンを迎えあそこで1000匹ここで2000匹。
我が堂々川はどうどうと落ち着いており、まだ150匹。
一寸だけよと隣の箱田川へ浮気のホタル見物。
えへへ!フォトも上手く撮れだした。



今日はいっきに天明の飢饉、備後一揆を学んでみる。
時は天明3年3月岩木山の火山爆発
7月浅間山の大爆発。死者2万人を数えたという。
又アイスランドのラキ火山も爆発しており日本近世史最大の飢饉が発生するのである。
ちなみに江戸三大飢饉は享保、天明、天保が有名である。
天明の飢饉は火山の爆発で日照不足、冷害、多雨という自然の影響と
老中 田沼意次の経済政策・賄賂好き風潮で農民はいじめられ都市へ逃げたので、働き手を失い作付けする田圃が少なくなったのでる。
つまり人災と天災が同時に起こったことも要因である。
備後の話に入ると
備後は阿部藩。阿部のお殿様は徳川家康大権現の時代からの譜代、しかも老中を何代も勤めている。
天明の頃も備後藩主阿部正倫は老中になる為に3000両と言う大金を福山10万石の国許から何回も江戸へ届けさせている。
このお金が賄賂になるのだが国許の百姓は飲まず食わず、その上藩からは不作でお米が出来なくてもきっちり銀で支払いをさせられている。
当然不満が募り一揆が起こるのであるが福山藩の一揆は全国で2000件も起こった中で唯一農民が勝利した一揆なのである。
ここからこの一揆の主役 徳田村の庄屋、徳永徳右衛門と菅茶山先生を紹介する。
徳右衛門のお墓を見ていただく。
このお寺は参道をJR福塩線が横切っている。









この徳右衛門が教えを乞い、学んだのが菅茶山先生。
朱子学では萩の吉田松陰が有名であるが、穏健派で政りごとを好まぬ茶山先生は隠れた存在で知る人は少ないが人によると松蔭より素晴らしい先生だと言う。
国の史跡に指定されている廉塾を紹介する。



ここでいろいろなことを学んだのであろう。
一揆の話に戻るが
老中に就任した阿部正倫に一揆の代表である徳右衛門は無血で30項目の要求を飲ませたのである。
残念なことであるが徳右衛門はその後武士2名により寶泉寺の先で暗殺されたのであるが一揆再発を恐れてか病死扱いで処理された。
尚、この話が全国的に広まっていないのは時の老中の権限喪失を恐れて福山藩がひた隠しに隠したからである。
このことは「天明の篝火」藤井登美子著 で詳しく紹介されている。
廉塾を紹介したが続きを見て欲しい。



クスノキに長く住み着いたノキシノブがくすくす笑いながら「お主も好きよのうー。この川でホタルを飛ばそうと考えるのは歴史的にも面白い。わしは長年木の上から見ているが川の水が問題じゃからこころしてかかられよ」と教えてくれた。





ありがとう。早く雨が降ればノキシノブさんも綺麗になるのに梅雨いりはもう少し先じゃそうな。へへへ。・・・」と返事した。