自然を尋ねる人

自然の素晴らしさ、豊かさ、人と自然の係わり合いを求めて!自然から私たちにくれる贈り物を見つけるために今日も歩く。

堂々川砂留群①

2012-02-01 16:15:33 | Weblog
朝は雨、お昼頃から晴れてきて、15時を過ぎると気温がどんどん下がってきた。
午前中、鳥を探すとともに堂々川の砂留の不思議を探しに山登りをした。
堂々公園ではサザンカの花の終焉が近い。
我が期待のサザンカの宿、
「くもりガラスのくの字もない」何もない冬(今日から2月)でした。


350mほどの公園垣根


日曜日に整備した、江戸時代に築かれた砂留「淀ケ池東砂留」の整備を再現して見る。


対岸の下御領伊地線道路から眺める

大きな木が根を張り砂留を動かし始めている

チエンソウが動き木が倒れはじめた


昨年6月国土交通大臣から「砂防施設の美化清掃や土砂災害防止施設の維持管理など」
で表彰された義理や恩で取組み始めたのではなく、今回は砂留の美を復活させることだ。


2月1日は風があり、水鏡は見えない


この淀ケ池は波のない日は山の景色が逆さまに綺麗姿を見せる。
今日の目的は堂々公園を作る日本一の石積み砂防施設の
6番砂留の脇にある「潼々谷餘滴」に関してのことだ。


昭和51年頃水辺公園を作った時作られたもの

短歌が刻んである


安那の海は彌砂の海となりにけり
 川とは見えず埋もる砂留
年々にかく埋もれ来て行末は
いかにやならんせくすべもなみ

冊子「堂々川今昔」の作者なら読みも意味もわかるだろうと
小学校から問い合わせが入ってきた。
わからないと言って断れば余分な仕事を会員に押しつけることはなかっただろうに!
聞けば調査範囲は
地元の歴史研究家、図書館、県、短歌の先生、菅茶山記念館、他多数らしい。
一つだけふりがなの入った資料があったが反対意見が出てきた。
この碑のある6番砂留の下流斜面を同好会の役員Nさんが
少しづつ草を刈って、日本一を際立てようとされている。



陰になり日向に立ちの日本一の砂留を守る人の力を
もう辞表を出してやめた人を責めるのではないが
「俺らがやった、綺麗にしたと」大臣表彰の際、人を押しのけたり
数人で祝賀会を上げているのはいかがなものか。
役員の功績は消してはいけないものなのだがわからないのかなー。

余談が愚痴になったが
『ウイキベデイア』フリー百科事典の「堂々川の砂留群」を見てもらうと
何と任意団体「堂々川ホタル同好会」がこの砂留群を綺麗にしてあると書いてある。
愚痴など書いて「ヤダナー」でも今から消すのもダサイからそのまま残して
ブログ来訪者に短歌の読み方を教えてほしいと思っています。

尚、碑には詠み人知らずと記載してあるが
この歌の出典は「西中条村史」に出てきており作者「金尾直樹」明治15年発刊
作者候補
(自分の作故あえて自分の本に名をのせなかった説)
(砂留の調査もし、江戸時代の砂留のことをすべて理解している人)
もう一人の候補は明治10年に亡くなっている豊姫神社の「鈴鹿秀満」神官
1万句以上も読んだ人故、可能性は十分ある。
今まで調査した参考資料としては以上のほかに
安那=吉備の国時代当地は安那と呼ばれていた。
この地方には穴の海伝説が残っている。海ではなく湖と言う話が今では通り相場。
安那=やすな又はあなと読める
彌砂の彌の言葉は西方にヤダ川(文字?)と言う川があった。
575 77
の下の句の「せく」は「堰く」と訳したい。
よろしくお願いします。