今年も神辺町観光協会主催の史跡巡りの日がやってきた。
今年も昨年と変わらぬコースと案内資料、
変わっているのはお客様60名と資料がオールカラーそして弁当の内容が大幅に改善したことと
20代の若い女性が少なくとも3名は参加したことだ。これって神辺文化の進化かな。
神辺にあって福山市の冠が付かない数少ない団体の一つ神辺町観光協会事務所近くで受け付け、
最近は雨にたたられることが多かったが今年は行楽日和。
受付が進行しているがバスはすでに待つ。
私事ながら集合場所へ行く前に自分の担当の堂々川をまわってみると
何とゴミが45㍑の袋に1杯分捨ててあった。拾い集めに時間がかかり遅れて参加。
意地悪なのか、今日に限って。

受付で黄色のジャンパーを着ていると1号車の案内役を承った。
神辺本陣までは近いから全員歩く。

神辺本陣
ここからバスに乗る。わずか400mほどで菅茶山の開いた学習塾廉塾へ。
頼山陽が塾頭もした場、国の特別史跡である。
講堂、筆洗い場、方円の手水鉢、養魚池、菜園等30分は話せる。

昨年と比べるとガイドの皆さんの説明内容、資料の準備は格段に進歩している。
説明の中身では負けるので
1号車の皆さんには聞いた。
①詳しく話すのが良いか、②砕けて話すのが良いか、③吉本クラスの笑いをを交えたのがよいかと聞いたら
真ん中ぐらい②の話が良いと声が出たので詳しい話はしなかった。(実際はできない)
旧神辺の町を通りぬける所に街を大水から守る堰板を設置する所がある。
高屋川が氾濫したら街の入り口で堰止める。実際に設置後1度だけ使ったらしい。
童謡、唱歌、校歌の作詞家葛原しげる、そしてその父の2弦琴師、勾当日記も県の重要文化財の旧宅
しげる作詩の「夕日」をみんなで歌い楽しんだ。

ここから茶山記念館までの7分間、
12月1日我が案内で下御領の史跡めぐりをするがその予行演習をさせてもらった。
やめておけばよかったのだが、お客さんの姿を見ているとでてしまった。
「あれから四十年、昔は綺麗だったそのお顔を今でも綺麗ですが・・・」
後でとんでもないしっぺ返しをいただいた。

茶山記念館
ここから堂々公園までは福山市文化課の学芸員の方に説明をまかせた。

紅葉が始まっていた
ここで昼食
堂々川の説明、昭和21年ここで競馬があったことや、烏岩の話をした。
潼々谷餘滴の説明=村境石をしたところでクレイムがきた。
「こんなところに境石はない。川の場合は川の真ん中が境だ」と
このじい様よく見ると昔はハンサムだっただろう。もしかして奥さんもいたかな!
あれから40年はまずかった!
続いて大坊古墳までまた学芸員さんに車中の案内を頼んだ。

大坊古墳前
この場にチーリップかラべンダーを植えたいと話したら
「洋花を植えるなどしたら神辺の人が笑われる、古墳にあった和花を植えるべきだ」
なるほどごもっともな話、ここでもあれから40年がたたった。
と云う訳で1部の人にどんな花が良いかお尋ねした次第です。
最後は環濠堀跡のある亀山遺跡と亀山古墳

地元の観光協会理事が素晴らし説明をされた。
15時、予定の行動をすべて無事に終了し、茶山饅頭を参加者全員にお土産として渡された。
参加料をいただいていたがその価値は金額以上に値するものであった。
しかし文化の日があるこの時期いたるところで史跡めぐりをやっている。
しかも無料バージョンのところが多い。
この価格は高いと思う人が居てもおかしくない。
今年も昨年と変わらぬコースと案内資料、
変わっているのはお客様60名と資料がオールカラーそして弁当の内容が大幅に改善したことと
20代の若い女性が少なくとも3名は参加したことだ。これって神辺文化の進化かな。
神辺にあって福山市の冠が付かない数少ない団体の一つ神辺町観光協会事務所近くで受け付け、
最近は雨にたたられることが多かったが今年は行楽日和。
受付が進行しているがバスはすでに待つ。
私事ながら集合場所へ行く前に自分の担当の堂々川をまわってみると
何とゴミが45㍑の袋に1杯分捨ててあった。拾い集めに時間がかかり遅れて参加。
意地悪なのか、今日に限って。

受付で黄色のジャンパーを着ていると1号車の案内役を承った。
神辺本陣までは近いから全員歩く。

神辺本陣
ここからバスに乗る。わずか400mほどで菅茶山の開いた学習塾廉塾へ。
頼山陽が塾頭もした場、国の特別史跡である。
講堂、筆洗い場、方円の手水鉢、養魚池、菜園等30分は話せる。

昨年と比べるとガイドの皆さんの説明内容、資料の準備は格段に進歩している。
説明の中身では負けるので
1号車の皆さんには聞いた。
①詳しく話すのが良いか、②砕けて話すのが良いか、③吉本クラスの笑いをを交えたのがよいかと聞いたら
真ん中ぐらい②の話が良いと声が出たので詳しい話はしなかった。(実際はできない)
旧神辺の町を通りぬける所に街を大水から守る堰板を設置する所がある。
高屋川が氾濫したら街の入り口で堰止める。実際に設置後1度だけ使ったらしい。
童謡、唱歌、校歌の作詞家葛原しげる、そしてその父の2弦琴師、勾当日記も県の重要文化財の旧宅
しげる作詩の「夕日」をみんなで歌い楽しんだ。

ここから茶山記念館までの7分間、
12月1日我が案内で下御領の史跡めぐりをするがその予行演習をさせてもらった。
やめておけばよかったのだが、お客さんの姿を見ているとでてしまった。
「あれから四十年、昔は綺麗だったそのお顔を今でも綺麗ですが・・・」
後でとんでもないしっぺ返しをいただいた。

茶山記念館
ここから堂々公園までは福山市文化課の学芸員の方に説明をまかせた。

紅葉が始まっていた
ここで昼食
堂々川の説明、昭和21年ここで競馬があったことや、烏岩の話をした。
潼々谷餘滴の説明=村境石をしたところでクレイムがきた。
「こんなところに境石はない。川の場合は川の真ん中が境だ」と
このじい様よく見ると昔はハンサムだっただろう。もしかして奥さんもいたかな!
あれから40年はまずかった!
続いて大坊古墳までまた学芸員さんに車中の案内を頼んだ。

大坊古墳前
この場にチーリップかラべンダーを植えたいと話したら
「洋花を植えるなどしたら神辺の人が笑われる、古墳にあった和花を植えるべきだ」
なるほどごもっともな話、ここでもあれから40年がたたった。
と云う訳で1部の人にどんな花が良いかお尋ねした次第です。
最後は環濠堀跡のある亀山遺跡と亀山古墳

地元の観光協会理事が素晴らし説明をされた。
15時、予定の行動をすべて無事に終了し、茶山饅頭を参加者全員にお土産として渡された。
参加料をいただいていたがその価値は金額以上に値するものであった。
しかし文化の日があるこの時期いたるところで史跡めぐりをやっている。
しかも無料バージョンのところが多い。
この価格は高いと思う人が居てもおかしくない。