暑いといっても涼しくならないが
つい いいたくなる
←暑さでセミも歩道に倒れていた
昨日は仕事サボって休み
今日は公認の休み
しかし明日の日曜日は
この暑い時に暑い場所での
地獄の仕事が待っている
それはサボらないのが私の責任感の強いところだ暑さしのぎに食堂「こいわ」に入った
先日酒蔵コンサートの帰りに
Uエ田喜代子さんにつれてこられた店だ
「知り合いの店だからまた利用してやって」
と言われうっかり返事をしてしまった
責任感の強い私は 約束を果たす気持ちもあり寄ってしまったのだ
店に入っても何も応答なかった 人は見えるので何回も呼んだ
日替わり定食を注文した 待つ間に店員ウォッチングをした 強い口調で指示していた
こう暑いと優しさは消えうせるだろう 私はポニョを小声で口ずさんだ
http://jp.youtube.com/watch?v=OxkNy9lfuWY
暑さを避け近くの山寺に涼みにいき蚊にさされた
平日休みだった と言うより自分で休日を作った
何もしない日を設定し 夏バテしないうちに身体を休めた
有給休暇は全部使い切ってしまうように心がけているが
真面目に働きすぎたのかまだ残っている おまけに休日出勤も多くなったので
何も用事がなくても 平日休みを取ることにした
朝からだらだらとすごし昼前に川風が吹き抜ける「お茶ぼっこ」でかき氷をいただいた
午後はテレビ観戦したが 家の中も暑いので 近くの山寺で涼もうと考えた
木立の中に吹き込む涼風は心地よかったが その考えは甘かった
ゆっくりと昼寝などはできない 蚊の餌食になってしまう
早々と帰る途中の坂道で後輪を側溝に落としホイルキャップを壊した
そこで仕事人間なら句をこう詠むだろう 「無責任 仕事さぼって 罰当る」
私は何も悪いことはしてないから 罰が当ったのではない
人の手を借りずに 勢いですぐに上がったのでむしろ運がよいのだ
「涼求め 山寺に来て 蚊にさされ」 山頭水
平日休んだ後ろめたさを少し感じる良い句だと板見さんの声が聞こえた
なぜか五七五にこだわっているが 俳句と言われるまではまだ遠い
そうだ板見さんも俳句と言ってなかった フォト五七五だ
フォト五七五の提唱者板見浩史さんの講演を聞いた
現実に見たものに想像を接合させる
それが寄りかかるのではなく
付かず離れず不即不離を心がけ
自立した表現として響きあうのが理想
と難しそうだが
日本独自の餡に西洋のパンを合わせてアンパン
コーヒーに牛乳でコーヒー牛乳などと同じように
自分で撮った写真に言葉をつけて遊ぶ 写真に向き合うことで撮影意図や
表現方法を客観的に見るよい機会になる などの話だった
私は恐れおおくも昨日公開した写真を持参した その評価は
花は見事だが 俳句は字足らずが気になる
「支えられ」は後にした方がよいとの事 したがって
「ゆりの花 見事に咲けど 支えられ」と持参したもう一句の方が好まれた
ただ 写真の説明にならないように 俳句との距離感を保てということなので
これをどう変えようか悩む 推敲(すいこう)
俳句を作った
字足らずになった
それでも自分で楽しむには良い
去年NHK教育テレビ趣味悠々で
「フォト五七五」をやっていた
その番組を見たわけではないが
写真と俳句の組み合わせは
楽しそうだと思った
それを思い出し今日作った 明日そのときの講師 板見浩史氏に会うからだ
板見さんは以前 「日本フォトコンテスト」誌の編集長をしていた
そのときに何度かお会いしたことがある そのときも俳句を作っていた
写真と俳句 得意とする分野を結合して 新しい分野を提案している
私の写真と俳句 なんといわれるか評価してもらいたくなった・・・ 山頭水
今日は一年で一番暑い日とされる大暑(たいしょ) 暦通りの暑い日だった
山路でゆりに出会うと一時暑さを忘れ心が和む 山並みを背に咲き誇る姿は清楚で壮観だ
上の写真は近くの水槽の脇に咲いていた やまゆり
コンクリートの壁面をバックに なんとなく日本画のようで これも好みだ
下の写真は 喫茶去「お茶ぼっこ」の近くで蕾をいっぱいつけている やまゆり
写真は4日前のもの それが今は花が開き 咲き誇っている それを店主が毎日公開するという
詳しくはここをクリック→ 「お茶ぼっこ」のブログ
いま喫茶去「お茶ぼっこ」では冷たく冷やした茶碗に熱い抹茶を入れてくれる
持つ手は冷たく気持ちが良い 茶はあたたかく飲み頃になる 夏の日の心配りの一服だ
↑ 写真のつぼみをクリックでも花が咲く