10日(木)は強い日差しが照りつけ、昼間は生気を奪うような厳しい暑さになりました。
▽ 毎朝出勤前恒例の撮影は、下生野の犀川対岸に行き、朝霧が晴れてきた上空からの風景を撮影しました。
下生野と小立野上空からの風景
本日生坂村では、つながりの場づくり事業「居場所みーつけた」+生坂おとこ塾、地域未来塾、こども水泳教室、胃がん検診、議会全員協議会・議会改革検討会、商工会でインボイス制度講習会などが行われました。
私は、我が家の本家の鋪江お祖母ちゃんが7日に亡くなられ、私が葬儀委員長を拝命し、前夜にお通夜の納棺の儀を済ませ、朝8時に日置神社 隠岐宮司さんから祝詞(のりと)をあげていただき、近親者や近所の皆さんに見送られ8時20分に出棺しました。
9時過ぎには、広域豊科葬祭センターに着き、告別室にて火葬前に故人と最後のお別れをし、火葬後は皆で故人のお骨を収骨して、ご遺骨・遺影を持って、お葬式の会場に向かいました。
当センターは、当村も組織市村であります安曇野松筑広域環境施設組合が管理している公営火葬場です。生坂村では、村内に住所を有していた故人を広域豊科葬祭センターで火葬した場合は火葬料を無料にしております。
お通夜と告別式は、本家と話し合い、新型コロナウイルス感染症が5類に引き下げられましたが、このところ感染者が増えている状況から、近親者により執り行うこととしました。
よって午後12時からは、JA虹のホール岡田において、喪主はじめご家族に弔問を受けていただきました。
我が家の関係の親戚も多く弔問に来ていただき、本家のご家族にお悔やみの言葉をかけられた後、神式での葬儀ですから、御霊前に玉串を捧げて帰られました。
午後1時からは、隠岐宮司さん達に神葬祭を進めていただき、孫の文徳くんの弔辞は、鋪江お祖母ちゃんの若い頃から晩年までを上手にまとめていただき、心のこもった弔辞だと感じました。
参列者で玉串拝礼や十日祭を繰り上げて執り行っていただいた後、喪主の隆一父さんの御礼挨拶と、父さんからの指示で私が葬儀委員長としての御礼の言葉を述べさせていただき滞りなく終了しました。
私からは、娘と息子が大変お世話になり我が家みたいに過ごさせていただいたこと、私が村長になったことと米寿と白寿のお祝い状を私の名前でお贈り出来喜んでいただいたこと、4世代8人家族は当村で一番多い家族構成であり、理想の家族でこの様な家族が多いと人口減少・少子高齢化が抑制できることなどを申し上げました。