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こういった講座に
ご興味を持ってくださる方は
関東以外にもいらっしゃるので、
今後は、
出張開催も検討したいと考えています。
ご要望などお気軽にお寄せください。
我が家で使っている「Bhutanカレンダー」より
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こういった講座に
ご興味を持ってくださる方は
関東以外にもいらっしゃるので、
今後は、
出張開催も検討したいと考えています。
ご要望などお気軽にお寄せください。
私は気功を続けることで
心も身体も変わりました。
その体験がきっかけで
気功の仕事をするようになりました。
そして、
教える立場になってからも、
ご縁のあった方々が
元気になっていく様子を見ています。
そういう体験から
気功は・・・
多くの方にとって
お役に立つものだと信じております。
だから・・・
もっと気功を知っていただきたいと思うのです。
しかし、
現実は、
まだまだ正しく知られていないというか
勘違いされていると思うことも多いです。
ですから、
ぜひ、
一度どこかに参加していただきたいと思います。
単発で参加できるクラスもいくつかありますので、
一度、気功体験にいらしゃいませんか?
いつでも、どこでも、
お待ちしております。
*** 養生気功塾の願い ***
皆さまには・・・
できればこの先、
”医療依存型”から”自分主体型”になることを考えていただき
その為に適切な”生きる智慧”を覚えてほしいと思っております。
それには、
ぜひレッスンや各種教室に通っていただき
先生や仲間と一緒の場での練功を通して
気功を身につけていただきたいのです!
それができれば、「一生の宝」を手に入れたも同然だと思っています!
だから、
練功クラスには「気功習慣」をつけるためにぜひ参加してほしいのです。
また・・・、
気功の知識や功法を知る「気功理論」も、
生活の中の気功の智慧を理解する「気功養生アドバイザー」も
できれば受講していただきたいと思うのは、
いろいろな角度から納得して
”自分主体型”を目指してほしいからです。
皆さまが皆さまらしい人生を送れますように!
それが叶う、健康な心と身体でありますように!
皆様自身が、
ご自分に最善を尽くせる方法に出会えますように!
田邉和子
81歳になる実家の母が作ってくれる服。
今回はこれが来ました。
ガーゼ服なので
とても気持ちいい感じの服です!
母にとっては、
いくつになっても私は娘なので
どうしても、女の子っぽさが残る服ばかりになるのですが
ありがたく着ます。
今になって
こういう手づくりものが
どれだけありがたいかを
感じるようになりました。
他にも…
梅漬け(これは少し甘めにしたからと2種)やかんぴょう。
ジャムもありました。
現在、違う服の制作に取り掛かっているようです。
母は・・・、
もう何十年も、大きな病気を抱えつつ
入退院を繰り返しているのですが、
とにかく
気持ちが明るく元気なのです。
そういうことって・・
大事なんだなぁと、
母を見てつくづく思います。
以前も書きましたが、
毎朝、四葉のクローバーを見つけて
ひとつだけ玄関に飾る。
これができたら
今日は最高にハッピーなのだと信じている。
そして、毎日見つけてくる。
・
よく笑う
・
還童功もしっかりやる
などなど。
参考までに、
以前もご紹介しましたが、
佐々木芳邦さまのコラムを再度ご紹介
<心のバランス>
これは実は、健康のための最も重要なポイントだ。
北京の100歳以上の老人を見ると、生活習慣はいろいろある。
早寝早起きの人もいるし、遅寝遅起きの人もいる。
肉好きな人もいると思えば、タバコを吸う人もいる。
(勿論、吸わなければもっと長生きできるはず。)
しかし共通しているのは2つ、1つは怠け者がいない。
もう1つは、全員性格が明るく、温厚で、人に優しい。
小心ですぐくよくよする人、或いはすぐ怒る人は1人もいない。
性格はこんなに重要なのか。
人間は自然に動脈硬化が進むため、
50歳ぐらいの人は毎年、1、2%血管が狭くなる。
高血圧、高中性脂肪である場合、毎年3、4%血管が狭くなる。
ところが、人間が激怒すると、
1分間で血管が100%狭くなることがある。この場合は即死だ。
いかに性格が大事か分かる。
癌患者を個室に入れて入念に治療すると、大体半年で亡くなる。
グループにして、毎日お喋りしたり、ダンスしたり、
楽しく生活させると、中には20年経っても元気な人がいる。
良い薬を飲んでいるので延命していると言うわけではないのだ。
本人の心のバランスと家族など周りの人からの暖かい支援が重要だ。
楽観的な目で世界を見ると、世界は明るく見える。
悲観的な目で世界を見ると、世界は暗く見える。
ある哲学者の言うように、生活は鏡である。
あなたが笑えば生活も笑い、あなたが泣けば生活も泣くのだ。
自分用のメモを兼ねてブログを書いているのですが、
かなりの量になってきて
探すのも大変です。
読んでくださる方は、もっと大変…ですよね
すみません・・
仙人長寿功や還童功については
カテゴリですぐ探せると思いますので
参考にしたい方は
カテゴリから見てみてください。
役に立ちそうなのは…
「季節の話」や「食材の話」のカテゴリも
面白いと思うのですが、
他に
のカテゴリにも
読んでいただきたいものがあります。
参考までに
お時間のある時に覗いてみてい下さい。
日常の時間に
中国茶タイムを持つようになってから…
自分なりに、
少しは丁寧に淹れるので
その
ちょっとの”丁寧さ”に
癒されております。
丁寧に…
と思う時は
集中できるんですね。
これは、練功にも言えると思います。
ぜひ、丁寧な練功を心がけていただきたいです。
暮らしの中に当たり前のように
気功があってほしいなぁ・・・と
思うことは多いのですが、
他にも、
心や体に優しいものが
身近にあるって
ステキだなと思っています。
海外に行くと
そういう場面に出会うことは多いですよね。
そういうところは、
今でも
伝統医学を大切にしているからこそなのかも・・・
と思ったりもします。
年末に行った台湾でも
喉が渇いたと思って見渡すと
桑椹汁(マルベリージュース)があったり・・・。
そこは廸化街(漢方街)だったので
特別と思われるかもしれませんが、
薬草のジューススタンドは
他でも見かけます。
豆乳はあちこちにありますし。
スイーツも
豆や豆腐、雑穀などのスイーツがたくさん!
それらがとてもおいしい!
こういうことが
当たり前のように
暮らしの中にあるって
素晴らしいと思います。
そして・・・
「気功をもっと身近に…」
と思うのは
こういうことと同じなのです。
ですので・・・
難しく考えず
”気功のある生活”
をはじめてみませんか?
ぜひ、
こころとからだで実感
していただきたいと思っています。
気軽に参加していただける外部教室も有ります。
ぜひ、体験して続けてみてください。
どこでもお待ちしております!
昨年、ブータンで買ってきた
シルクの靴!
おそらく手刺繍です。
とても素敵です!
一生ものとして大事にしています!
それでも、
ただ大事に取っておくのではなく、
使いたいなと思い、
先日はじめて履きました!
この靴
いつ頃作られたものかわかりませんが…
少し前のものかも・・・
と、その時を感じながら
心地よく履けました!
そして・・・
丁寧に作られたものを大切に使う心地よさを実感!
そういう生き方をしたいものだと・・・
あらためて。
修業も丁寧にしていこう!
そう思いました。
ブータンからは
帰ってきてからも
たくさんの気づきをもらっています。
何度でも紹介させていただこうと思い
また、以前のブログをご紹介!
気功をしていて
こういうことって大事だなぁと実感したことや
気功の深さを知ればその意味がもっと分かってくること…
そういうことをたまにブログに書いています。
生徒さんへのヒント
になればと思っていますし・・・
読んでくださる方にも、
こういうことも気功なのだと知ってほしい
という思いもあるからです。
もちろん、
私自身のため
でもあります!
そんな過去の日記の中から
読んでいただきたいと思うものをいくつか載せておきます!
お時間のあるときに
クリックして読んでいただければと思います。
たまに内容を更新しています。
養生気功塾の思いはこちら
おススメブログ
気功を生活の中に取り入れることは
皆さまのこれからに
きっと気功はお役に立てると信じております!
ぜひ、体験にいらしてください!
このご縁に感謝!
養生気功塾
田邉和子
(たなべかずこ)
気功を、もっと正しく知ってほしいなと思い、
レッスンや講座ではそういう話をしますし、
ここでも、そういうことを書いています。
何度かご紹介させていただいていますが、
気功界の大先輩である津村喬さん。
何冊も本を出されている方で、
とてもわかりやすい文章なので
今回も許可を得てご紹介させていただきます。
自然と気功の話です。
ーーーーーーー
わたしはポプラ、わたしはグミの木
◇
◇
ある程度の豊かな自然が残っているところであれば、「樹林気功」をしてもらうのに、たくさんの説明はいらない。
「木にタッチして、掌や額をつけたり、よりかかったり抱きついたりする方法と、向かい合って立つ方法があります。木の気の流れは根っこも含めて球形なのに注意して下さい。一日の時間によってそれが縦長になったり、横長になったりします。站椿といって自分も木になってしまう体験をすると、木と話ができそうな気がします。でもあんまり思い込みが強くない方がいいです。ただ立つのに疲れたらスワイショウをしてもいいし、簡単な繰り返しの動きをしてもいいです。木から気をもらうことだけ考えていると自分と木が分裂したままなので、あげたりもらったりしながらだんだんに融け合って行く感じをつかんでください」
この程度のことを言って森に散開してもらう。それだけで30分とか45分とか放置しておいて、「おーい」と声をかけたりピーと笛を鳴らして呼び集め、どんな体験をしましたかと、時には地面にまるく輪になって話してもらいもする。初めて気功をしたというような人が、結構深い体験をしているのにびっくりする。人間が教えることより、木に教えてもらうことのほうが多いのだ。
站椿やスワイショウをもっと深めていくということはむろんできる。樹木の気というものについて、漠然とした印象批評からもっと精密なそれぞれの木の性質を識別したり、はては樹木の個体識別に近いこまかい情報にからだが開かれて行くプロセスもある。しかしそれは習うということより慣れることから出てくる。いったん方法がわかれば,自分で探求して行くことができる。仏教の言葉で言えば「平等一相」である。初めての人と「達人」との間に本質的な差別はない。人間と、とりあえず「老師」である樹木との間にも本質的な違いはない。「山川草木悉皆成仏」である。樹林気功は道教や神道の自然崇拝や、仏教のエコロジカルな一面をバックグラウンドとして継承している。
◇
93年に黒龍江省の鉄力に行った。東方気功養生学研究会という名でチベット密教気功の大きな組織が東北一円にひろがっていて、そのセンターが、指導者である劉尚林先生の故郷である鉄力にある。ハルピンから車で五時間ほど東北に行ったかなりの田舎の町だが、そこに六階建ての大きな気功ビルが落成し、その祝に招かれたのだった。
この鉄力が小興安嶺の原始林から近く、満州時代の林業の一大拠点だった。千人以上の人を集めたオープニング・セレモニーの翌日、バスの都合で二百人ほどの人で桃山という原始林に行くことになった。バスの中で劉尚林先生が「あんたの言う樹林気功をみんなでやってみよう。もう一度かいつまんで、みんなにどう言えばいいのか説明してくれ」と隣に坐った。樹木とともに気功をするという方法はみんなある程度やっているという。彼は黒竜江省の林業局の人であるので、林業関係者も多く、植物の知識は豊富である。「樹林気功」という言葉に出会ってその体験の累積がひとつに結晶し始めたと劉先生は言った。山小屋のバルコニーから200人に向かって「もう君らがやってきたことだが、新しい気功の流れがここから始ると思ってやってくれ」と彼は説明した。「もうひとつ、日本から来た通天大法があるので紹介しよう」といってビニール袋を掲げた。「山にゴミが落ちていたら、これに入れて持ち帰る。これも21世紀の気功だ。ここにいる津村さんが発明したものだ」200人から拍手がわいた。この辺りの森は泰山のようにゴミやビール瓶のかけらはなかったのだが。それ以前に各地の聖山でゴミ気功をしていたのを誰かから聞いたらしかった。冗談にしながら、心に響く物があった。歩きながらゴミを集め、樹木によりかかって瞑想し、小高い山頂で天と通じ合う緑土母の呪文の瞑想を長時間した。
その前夜にも、「人民に服務するという毛主席の言葉は普度衆生を言い換えたものだ。しかし今や”地球に服務する”でないとならない」というような話をしあって、鉄力のこのビルの中に環境教育中心を設置することに決めた。チベット密教気功と林業文化が結びついて行くと、中国気功の新潮流を形成して行くかもしれない。
◇
「樹林気功」と私たちが言い出したのは1988年のことである。それ以前から、樹木と一緒に気功をすることがなかったわけではない。樹々の中で、また特定の木とともに練功するということは伝統分野の中にひとつの分野を占めていた。しかし,樹林気功という言葉ができることで、それまでばらばらに存在してきた問題意識と関心が、ひとつのはっきりした潮流になり始めた。この年に出た関西気功協会のパンフレット『樹林気功の手引き』はB6版の、文字通り掌に乗る小さなものだったが、いくつかの本にも転載され、英語、フィンランド語、中国語にもなった。国木田独歩の「山林に自由存す」から始っているそれは、いくつかのdzの違うバックグラウンドを持っていた。
ひとつはなんといっても、気功が健康商品あるいはオカルト商品として極めて低次元で輸入され始めたことに対して、別の明確な文脈を作る必要があったということである。木に習いに行きなさい、では余計なお金の取りようもない。
第二は広がり始めた森林浴の動きに対して、もう一歩深めないとつまらないよと言いたいことがあった。森林浴は自分が変わることなく、木からもっとサービスを受けたいという思想に基づいていたから,自然が好きとはいいながらどんどん自然を破壊して行くリゾート思想とはっきり自分を区別する必要があった。この意味では、森林浴は人間の都合ばかり考えた「浅いエコロジー」だったが、それを「木になる」体験をテコに「深いエコロジー」の領域に引っ張って行きたかった。
第三に、それと重なってくることだが、世界的規模での森林の消滅の進行に対してどうしていくかを考えずに健康法をしていても滑稽だということがあった。樹林気功は日本での環境気功の最初の具体的なかたちだった。
中国気功界でも、樹木との練功は様々な形ですでに取り上げられていた。劉漢文先生の禅密功の中には植物からの採気法がある。立ち木や鉢植えを站椿の両手の間に入れて左手から気を入れて右手から出すようにする。仏像に向かって気を出し、受けて一体になって行く時と基本的に同じである。湖南省の水力発電に関わるグループがこの方面で経験を積んできて、上海中医学出版社から『樹功』という本にまとめられている。ここに掲載されている約160種の植物の薬効については、群馬中医研の井上さんに頼んで『気の森』に訳してもらったことがある。 漢方薬はもともと飲むものであるよりも服につけたり(服薬)握ったり(握薬)したのだということはまだそれほど常識とは言えないかもしれない。飲むというのも、ある成分がからだに入って作用することもあるけれども、特定の気を放射する物質を一定期間体内に留めておくというためのものだ。自分に合った薬を握ると肋骨の下がふっとゆるみ、合わないと緊張するということを利用して、握訳を診断に使う医師もいる。森の木でも自分を歓迎してくれる気がする時はその木の出す気がいまの自分に合っているので、あまり思い入れを強くしないで虚心に耳を傾ける必要がある。
ぼっとしたまま森を通りかかってもある程度の効果は自然にあるけれども、からだをオープンな状態にして気と一体になることができれば、森は本当に薬箱になる。或る程度の気功状態の脳が必要なのだ。世界を薬箱としてみて行く博物学的世界も、それにふさわしいオープンなからだを前提としたものなので、ただ知的なものではない。
ディープ・エコロジー・ワークで知られるマーガレット・パヴェルがこの三月に神戸のわが家に来た時に、さまざまな手作りのおみやげを持ってきてくれた中に、鹿の皮で作ったメディシンバッグがあった。南北アメリカのネイティヴやラップランドのサーメがよく用いる、首から下げる小さな革袋で、そこには自分を癒してくれる何かを入れておく。小石でも木の葉でもどんぐりでも鳥の羽根でもなんでもいい。ただ、歩いていて自分に呼びかけているような、連れて行って欲しそうにしているものに出会ったらそこに入れる。漢方薬の膨大なシステムも、こうしたことが幾億回となく繰り返されるうちに形成されてきたに違いない。
◇
樹林気功のもうひとつの重大な関心は、この方向で中国気功を見て行くと、それと世界各地のさまざまな先住民文化との共通領域が浮かび上がってくるということにある。漢方薬とメディシンバッグというのはそのひとつの例である。あちこちで書いて来たので繰り返さないが、わたしが最も強い影響をうけたのはフィンランドのカレワラ文化であり、それをいまでも継承しているライフスタイルである。森に相談すべき木をもっていたり、暖炉やサウナに薪をもやしながらもその木からの語りかけに耳を傾ける文化である。現代フィンランドを代表する思想家であるタピオ・カイタハルユは、森の妖精と出会ったファンタジックな体験を詳細なレポートにして、そういう信仰をひそかに持ち続けていた大部分のフィンランド人を励ました人だが、これまでに五回ほどインタビューさせてもらった中で、カレワラ以来の「木と話をする」伝統についても詳しく語ってくれた。モミはなかなか口を開かないが、いったん親しくなると深いつきあいになる、赤松は気楽で誰にもわかりやすい気を出している、白樺は女性的で優しい、などなど。その後にヘルシンキのCDショップでシベリウスの全集を見ていて、彼がたくさんの種類の樹木についてそれぞれの曲を作っているのを知って、フィンランドの神秘の回廊にもう一歩はいることができた。
C・W・ニコルさんと樹林気功をめぐる対談をしたことがあって、彼もそういう体験をしていた。少年時代に今からは考えられない程虚弱だったとき、おばあさんに「森に行って木に抱きついてきてごらん。好きな木を決めてずっとそうしていると、じょうぶになるよ」といわれたのだという。ケルトの伝統文化にそういう感性があるということなのだろう。
宮沢賢治の詩の世界に、それに通ずる感受性が豊富にあふれていることをわたしは最近になって知った。
何と云はれても
わたくしは光る水玉
つめたい雫
すきとほつた雨つぶを
枝いっぱいにみてた
若い山ぐみの木なのである
という短い詩は、木と一体になり、木の眼で世界を見ることができた賢治の樹林気功的感性を余すところなく伝えている。彼の詩の世界全体が雲語や白樺語や風語やカエル語で語られた世界の人間語への翻訳である。『れいろう』96年1月号に掲載した「賢治の宇宙後学校」という文章でわたしはそのあたりをまとめてみた。
最近できた映画『種山ヶ原』のなかでは、賢治の教え子たちが楽しそうに賢治の学校劇『種山ヶ原の夜』のことを回想している。からだを横にゆすっておけといわれて芝居の間じゅうゆすっていて、「先生あれは何だったの」と聞くと「ススキをやってもらってた」という。タテゆれはと聞くとポプラだという。木のまねをしてからだを揺するというようなことを、賢治自身がいつもやりつづけていに違いないのだ。ちなみに坐って左右前後にからだをゆするのは臨在の七支坐から気功に持ち込まれた伝統である。
たくさんのヒントが出そろっている。みんなで樹木と一体になる経験を積み重ねながら、どうすれば森の文化をこの国に、これからの地球によみがえらせていけるかを考える時だと思う。
ーーーーー
昨年買った「ブータン日めくりカレンダー」を愛用しています。
月のスタート、1日はこれ。
「しあわせとは、自分が持っているものを喜ぶことです」
何度読んでもステキ!
もうひとつ、ご紹介させていただきます。
昔は、病気になると
「良くなるように」、「治るように」と
儀式をして祈っていたのだそうです。
(おそらく、昔はどこでもこうだったのではないかと思います)
そういう祈りは、
病気になった後だけではなく、
できれば、
病気になる前にこそ
「悪くならないように」
祈りなさいということだと思います。
これは、養生だと思いました。
「養生」という言葉
多くの方は消極的な印象を持たれているように感じますが…
決して消極的ではなく
むしろとても積極的で、
何かに頼らずに済むように、
自分が主体になることだと思っています。
決して、
心配しながら不安になりながら生活するのが養生ではなく
病気になることから避けられる智慧を持ちなさい・・・
それは自分で選べることですよ・・・・
そんな感じではないかと思います。
「しあわせとは、自分が持っているものを喜ぶことです」
ならば
自分の持っているものを大切にすべく祈るのは
当然なのかもしれません。
今でも
こういう言葉と共に生活をしているブータンの方々
しあわせだと思います!