よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

三保の松原で富士山を見る(静岡市清水区)

2018-02-08 05:00:00 | 「東海道(京~日本橋)道草ウオーキング」

1/31(水)から東海道を歩くために静岡県に行ってきました。

博多発朝一番の新幹線で新神戸へ。新神戸から新幹線ひかりで静岡へ。静岡着10:33.約4時間半かかりました。(羽田まで飛行機で行ってそれから戻る方が早いのかな?)

JR清水駅からバスで三保の松原へ。私、三保の松原は初めての地です。三保の松原というと、「羽衣」ですね。羽衣が三保の松原から舞い上がった姿を連想してみます。

バスは、20分ほどで三保の松原入口バス停へ。バスから降りるともう目の前に、「富士山」です。

  

三保の松原は、気比の松原(福井)、虹ノ松原(佐賀)、と並び日本三大松原の一つです。

  

松原の道には、三保の松原を扱った歌人や、文豪などの碑が建てられていました。

  

ちゃっきり節は、静岡鉄道の娯楽施設「狐ヶ崎ランド(現在は廃園)」をPRするために作られた「民謡」だったのですね。

高山樗牛は、昨年、山形県鶴岡市を旅した時、市役所の近くに碑が建っていました。鶴岡出身です。

  

「羽衣の松」です。

三保に白龍(はくりょう)という名の漁師がいました。今朝も三保の松原で釣をしておりました。見慣れた浜の景色ですが海原に浮かぶ春の富士はとりわけ美しく見えました。

と、どこからともなく、えもいわれぬ良い香りがしてきました。香りに惹かれて行ってみると一本の松に見たこともない美しい衣が掛かって風に揺れていました。

「何てきれいなんだろう。持ち帰って家の宝にしよう。」そういって衣を抱え家に持ち帰ろうとしたその時です。「もし、それは私の着物です。」木の陰に美しい女の人が立っていたのです。

「私は天女です。その衣は羽衣といってあなたがたにはご用のないものです。どうぞ返して下さい。それがないと天に帰れません。」

白龍はこれがかの天の羽衣かととても驚きましたが、天女の悲嘆にくれた姿を見て羽衣を返す気持ちになりました。

「返すかわりに天人の舞を舞って下さい。」天女は喜んで承知しましたが「羽衣がないと舞が舞えません。まず羽衣を返して下さい。」と言うのです。

白龍はふと思いました。羽衣を返せば舞を舞わずに帰ってしまうのではないか。すると天女はきっぱりと答えました。「疑いや偽りは人間の世界のことで天上の世界にはございません。」

この言葉に白龍は自分がすっかり恥ずかしくなりました。羽衣を身にまとうと、天女は優雅に袂を翻し、舞いを舞いはじめました。どこからともなく笛や鼓の音が聞こえよい香りが立ちこめます。

白龍があっけにとられて見とれているうちに天女はふわりふわりと天へと上りだんだん高くなったかと思うとみるみる内に愛鷹山から富士の高嶺に、

霞にまぎれて消えていきました。(静岡シティプロモーションより抜粋)

  

羽衣伝説は、日本全国にあります。昨年行った鳥取県倉吉市では、

ひとりの百姓が、山腹の石の上に美しく芳しい衣が置いてあるのを見つけました。さらによく見ると、そばの流れで、若い美しい女性が水を浴びているではありませんか。

「天女にちがいない」石の上の衣は、天の羽衣ということになる。百姓はその羽衣を盗みました。天女は羽衣がないので天上に帰ることができず、百姓の妻になりました。

数年たち、二人の子どももできました。天女は、子どもに羽衣のありかをたずねました。子どもは、父親の隠していた羽衣を、母親に渡しました。天女は、まさにも天にものぼるよろこびで、

羽衣を着けると、天上に帰ってしまったのです。

二人の子どもは、母を慕って泣きました。母が好きだった音楽で、母を呼びもどそうと考えました。近くの山に登り、太鼓と笛を演奏しました。-天女が衣を置いていた山を羽衣石山、

また、子どもたちが一生懸命、大鼓を打ち笛を吹きならした山を打吹山といいます。(鳥取県)

このように羽衣伝説も地方によっていろいろ違うようですね。

海岸にやってきました。富士山の見える方向では、護岸工事が行われていました。

 

「羽衣の碑(エレーヌ記念碑)」

能「羽衣」に魅せられ、三保松原に憧れつつこの地を訪れることなく亡くなったフランスのバレリーナ、エレーヌ・ジュグラリスを記念し、1952年に建立されました。

このエレーヌの碑(羽衣の碑)には、能面を見つめるエレーヌ夫人のレリーフがはめ込まれ、夫マルセル・ジュグラリス氏が亡き妻に贈った6行の詩が刻まれています。

  

御穂神社

御祭神は、大己貴命(大国主神)、三穂津姫命。

   

このあとバス通りに出て、次の目的地清水次郎長生家に行きました。