よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

12月例会「春日市の史跡巡りと九大筑紫キャンパス」(福岡県春日市)

2024-12-22 17:17:44 | ふくおかウォーキング協会

12/7(土)ふくおかウォーキング協会12月例会は、「春日市の史跡巡りと九大筑紫キャンパス」でした。

集合場所は、JR南福岡駅、参加者は41名でした。

 

今日のコースです。

9:30スタート、南福岡駅横の踏切は、開かずの踏切ともいわれています。10分ぐらい待ってやっと開きました。  

 

奴国(なこく)の丘歴史公園です。

奴国は、福岡市付近にあった弥生時代の原始国家。「なのくに」ともいう。『日本書紀』に儺県(なのあがた)・那津(なのつ)とみえ、後の那珂(なか)郡に比定される。

『後漢書(ごかんじょ)』倭伝によると、57年(建武中元2)に奴国が後漢に朝貢し、使者自ら大夫と称したとあり、光武帝(こうぶてい)は奴国王に印綬(いんじゅ)を賜ったとある。

1784年(天明4)福岡市志賀島から発見された「漢委奴国王」の金印は、このときに与えられたものとされている。また『魏志倭人伝』(ぎしわじんでん)によると、伊都国の東南百里にあり、

長官を兕馬觚(しまこ)、副官を卑奴母離(ひなもり)といい、戸数は2万余戸あったと記される。奴国は伊都国とともに紀元前後ころより大陸との交易に従事し大いに発展した。

奴国域内の須玖(すぐ)岡本遺跡からは前漢鏡、銅剣、銅矛など多数の舶載品が発見されている。(ニッポニカより)

このあたりが、奴国の中心部だったそうです。

園内には、弥生時代の青銅器や鉄器、鋳型など多数の遺物を展示したコーナーがあります。

 

 

外に出てみると、「須玖岡本遺跡」があります。

福岡県春日市は福岡平野の南端に位置し、弥生時代中期をとおして巨大な集落が営まれました。福岡平野には「那の津」などの名前がいまにも残ることから、この地は倭の国の1つ奴国の

領域だったと見られ、須玖岡本遺跡は奴国の中枢拠点だったと考えられています。この遺跡の内で、特徴の異なる3つの墓域が発見されました。それぞれ王墓、王族墓、有力者層の墓域に

該当すると想定されます。

 

 

須玖岡本遺跡から再スタート

 

 

春日ふれあい文化センターで休憩

 

ふれあいプラザから春日神社に向かいます

 

 

牛頸(うしくび)川を渡ります。

 

春日公園を通り、九大筑紫キャンパスへ

 

12:00 JR大野城駅にゴールしました。