5/23(火)竹生島から戻り、今津の町中を散策します。
「琵琶湖周航の歌」が誕生したのは、今津です。この歌は、大正6年(1917)、京都にある旧制の第三高等学校水上部(現在の京都大学ボート部)小口太郎が今津の宿でクルーに
披露しました。3番の歌詞には、波のまにまに 漂えば 赤い泊火 なつかしみ 行方定めぬ 波枕 今日は今津か 長浜か と歌われています。
今津港の前には、お花がいっぱいです。その中に「ヒツジ草」があります。ヒツジ草は、スイレン科で夏、池や沼で水面すれすれに白い清楚な花を咲かせます。
昔の時刻の数え方のひとつである「未の刻(14:00ごろ)」頃に花が咲くからこの名前になりました。実際は、午前11時ごろから咲き始め夕方4時ごろしぼんでいきます。
「琵琶湖周航の歌」の原曲は、「ひつじぐさ」です。
『ひつじぐさ』は、1915年に雑誌「音楽界」8月号 に掲載された日本の歌曲。作詞(訳詞)および作曲は吉田千秋。『琵琶湖周航の歌』のメロディのルーツ・原曲とされます。
原詩は、19世紀イギリスの詩「Water Lilies ウォーター・リリーズ」。『ひつじぐさ』の歌詞はこの詩をほぼ忠実に翻訳した内容となっています。
この花壇は、近くに住む方が毎日手入れをされているそうです。
「ユリノキの花が咲いています」という手作りの看板の先を見ると、ユリノキの花が咲いていました。
琵琶湖周航の歌資料館までには、琵琶湖周航の歌の歌詞六番が掲げられています。
「琵琶湖周航の歌資料館」は、今津東コミュニティセンターの中にあります。
中に入ると、琵琶湖周航の歌に関する資料が展示されています。
作曲 吉田千秋略歴
作詞 小口太郎略歴
館内では、いろいろな歌手の方が歌っている「琵琶湖周航の歌」が試聴できます。
「ひつじぐさ」と「琵琶湖周航の歌」の聞き比べ。
琵琶湖周航の歌 加藤登紀子 Song of Biwako Shuukou Tokiko Kato - Bing video
琵琶湖周航の歌資料館から「ヴォーリズ通り」に行きました。
辻川通りの中で、「旧今津郵便局」「日本基督教団今津教会」「今津ヴォーリズ資料館」という三つのヴォーリズ建築が並んでいるところを「ヴォーリズ通り」と呼んでいます。
建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズは1880年に米国カンザス州で生まれました。日本で多くの西洋建築を設計した建築家として知られるだけでなく、キリスト教を基本理念とした社会事業家であり、また近江兄弟社の創立者として実業家の側面もあります。讃美歌の作詞作曲も行なっており、音楽にも造詣が深く多才な人です。
明治38年(1905)英語教師として来日したヴォーリズは、大正3年(1914)モーターボート「ガリラヤ丸」を進水させ、布教の為今津にやってきました。その後、キリスト教会の
なかった今津では、ヴォーリズの命を受けた鎌田漢三牧師によって、積極的な布教活動が行われました。仏教徒の多い今津の地ですが、人々は鎌田牧師のもとに集まり、聖書や讃美歌を
習ったといいます。今津地区には、ヴォーリズ建築事務所の設計による今津教会、旧百三十三銀行(現滋賀銀行、現在の今津ヴォーリズ資料館)、旧今津郵便局などが建てられたほか、
ヴォーリズの理念に基づく病院、農繁期託児所、保育所等が造られました。ヴォーリズの思いは、今津の地で様々な形で実現化され、現在にまで生き続けています。
1910年には、メンソレータム社の創業者であったハイドと出会い、これがのちの近江兄弟社の設立につながります。
ヴォーリズ通りの「辻川通り」は、九里半街道(若狭街道)の起点から西へ延びる辻川通りは、琵琶湖岸を北上してきた北国海道(西近江路)の一部でもあり、明治時代初期の頃から
沿道に集落が形成されていったといわれます。現在の今津ヴォーリズ資料館の場所には、金沢藩今津役所がおかれ、明治時代になるとその跡地に町内で最も早い金沢藩今津小学所が
おかれました。また、通り沿いには、多くの商店が並び、今の今津の繁華街の一つとして知られていました。
今回のビワイチはここまでにします。また、秋口でも再開しようかと思っております。
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