■74km 以降
73.3kmの関門を飛び出したときは、限りなくウォークに近いが
一応走ってた。少なくとも、私の感覚では、「走ってた」。
関門を1分オーバーした男性も走ってる。背中を追う。
ところが、彼は、ぱたっと歩き始める。
仕方なく追い越すと、「怪我しない程度に頑張ってね。」 と
励ましてくれる。軽く手を上げ、「ハイ。」 と力なく応えた。
銀河高原ビールの入り口で、「頑張れば間に合うよ。」 と声をかけてくれた
男性が、「大丈夫だった?」 と尋ねてくる。
「ぎりぎりだったけど、間に合いましたぁ。ありがとうございました。」
と言いながら、「大丈夫だったから、走ってるんだよ~」 と
心の中で、小さくツッコム。
ダメだったら、収容車を待つ身だからね。
少し行くと左折。
そうそう、去年、雨だったにもかかわらず、この道を走ってるときは
日が照ってた。去年でさえ、「ちょっと暑い。」 と思ったのだった。
ここで、私の脚が止まる。
「もう進めない…」
二進も三進もいかない…
まだ息が弾んでるし…
関門を出てから、まだ500mていど、ここで止まったら
猛ダッシュで関門クリアした意味もなくなる、となんとか歩きに変えて
歩を進める。
すると、さっき歩き始め、私が追い越した男性が、走って追い越していった。
「復活したので走ります。」 と言いながら。
えーっ、復活したの~?!
「私は、もう、どうにもこうにもダメそうです。頑張ってくださいね。」 と
激励し、彼の背中を見送る。
なぜか、復活した彼を羨ましいとも思わない。
やーめた、やめた。どうせ、次の関門、間に合わないんだし。
思いっきり、ネガティブシンキングぅ
とぼとぼと歩く。
何人かは、走って、私を追い抜いていった。
でも、そんなランナーも、ウォーカーに変身してるのが遠くに見える。
走ったり、歩いたりを繰り返してる人ばかりだ。
イノさんに、リタイアを決め収容車が来るタイミングまで
歩いていることを伝えるメールを作成しながら歩く。
いざ、送信というときになって、圏外であることに気付いた。
山の中といっても、うっそうとした森の中じゃあるまいし…
でも、紛れもない、圏外…
こんな感じ。視界は開けてるでしょ?
青い空。ぽっかり浮かぶ白い雲。
のどかだなあ。
私、こんなところで何やってるんだろう?
去年は、関門クリア成るか否かの瀬戸際で一生懸命走ってたんだよなあ。
それに比べ、今年は何という体たらく…
涙が出そうになる。 が、ぐっと堪える。
普通の乗用車の収容車が後ろから近づき、私の横で止まる。
「大丈夫ですか? 乗れますよ。2人乗れます。」
と声をかけてくれる。私、蛇行してたのかもしれない。
でも、歩きに変えてからは、それほどつらさを感じなくなっていたので
「もう少し歩いて進みます。」 と言って収容車を見送る。
先ほど追い越した女性は、マメができて、それを庇って
脚を傷めたようなので、そういう人が優先かな、とも思った。
今回、気力と体力は、すっかりエンプティ。
でも、どこかが痛かったり、攣ったりというトラブルはなかった。
後ろを見ると、男性二人、話しながら歩いてる。
立ち止まって、彼らが追いつくのを待ち、
「ひとりで歩くのつらいから、ご一緒していいですか?」 と尋ねる。
3人で歩きましょう、ということになったけど、男性の一人が
「ここで、収容車待ちませんか?」 と提案。日陰があったのだ。
そういう提案、ウェルカム状態だったので、3人で日陰で
おしゃべりしながら、収容車を待つことにした。
■レストステーション(66.5km) にて
ここのエイド近くの直線で、大会役員の男性がゼッケンを見て
番号をアナウンスする。それを聞いたボランティアの中学生(?)が
預けた荷物を持ってきてくれる。
タイムロスを少なくしようという心遣いなんだろうな。
いろいろなアクシデントを想定して、ステーションに荷物を送った。
ニューシューズにインソールを入れてからの試し履きは、トレッドミルでの
1.6km のみだったので、念のため古いシューズも用意した。
ノースリーブのウェアで、脇が擦れて赤剥けになった経験があるので
半袖のウェアも入れておいた。
その他、日焼け止めやら、絆創膏やら、マメパッドやら…
でも、なんにも使わずに、着替えもなしで、荷物は戻した。
シューズを脱いでしまったら、もう二度と履きたくない! ってことに
なるだろうと、外のトイレを利用。
それなのに、このレストステーションに、15分近く滞在し、
ここまでに “蓄えた” タイムを食い尽くしてしまった。
いったい、何をしていたのか…
まず、到着して私がしたことは、給水・給食。
おにぎりと水で、人心地つくと、「豚汁は~?」 と聞かれたので
「トイレに行ったら戻ってくるね。」 と言って、いったんエイドから
離れた。実際、トイレを済ませてから、「豚汁くださーい。」 とエイドに戻った。
ボランティアのおばちゃんたちが、「オレンジ食べろ」
「ロールパンも食べなよ。」 と至れり尽くせりのおもてなし。
どこのエイドも、サービス満点だけど、ここのエイドがピカイチかもしれない。
おしゃべりも弾む。
ゼッケン見て、「あらー、神奈川から来たの?遠いところよくきたねえ。」
と労ってくれる。ゼッケンの名前の横に記された年齢を見て
「年、書かなくたっていいのにねえ。イヤじゃない?」 と言う方がいた。
私が、なんて答えようと、言いよどんでいると、別のおばちゃんが
「別にいいよねえ。これから嫁に行くわけじゃなし(笑)」 と。
「うん、そうそう。今さらグラビアアイドルになろうって、年齢詐称する
必要もないからね~」 と私も大笑い。
ひとしきり、おしゃべり、大笑い、腹ごしらえ(相変わらずバナナはダメ)
を済ませると、「じゃ、頑張ってね。いってらっしゃい。」 と送られる。
私ったら、「うーん、もうちょっと (ここに) 居る。」 と出発を先送り。
走るのがイヤになってきて、なるべく長く休んでいたい気持ちの表れ。
「関門」 の二文字が、頭の片隅にちらちらと、あるにはあったけど
忘れてるフリをしてたんだな、たぶん。
それでも、さすがに休み過ぎを自覚して、いやいやながらも再スタート。
5歩くらい歩いたところで (エイドの隣) 、コーラの入った紙コップ発見。
ご丁寧に、「炭酸抜き」 と 「炭酸あり(氷入り)」 の2パターン。
「あー、コーラあったのー?!」 と言ったら、「飲んでって下さい。」
と言われ、また立ち止まる。「炭酸あり」 の方に手を伸ばすと
「走るときに炭酸飲んで大丈夫?」 なんて聞かれて、ここでも
ひとしきりおしゃべり。
■第3関門 73.3km 地点
本当にレストステーションを出発した時には、レストステーションの
関門時間近くになっていた。(13時ちょっと前=スタートから9時間弱)
ゆるゆると走りながら、考える。
この次の関門は、13時40分。(すっかり暗記)
距離は、ここから7km弱ではなかったか。
記憶では、50km過ぎの激坂ほどではないが、上り坂…
キロ6分で走ったとして、7km 42分かかる。。。。。
うぎゃー!!
これは… 相当頑張らなくてはキビシイ。
レストステーションで長居したことを悔いても後の祭り。
充分休んで英気を養ったと思えばいいのだけど、キロ6分近くの
スピードで走れるほどの充電はできていない。
去年もそうだったのだが、50km過ぎの激坂を経験しちゃうと
ここの坂は軽く感じる。50kmの部の人たちと合流してるので
そこそこの人数のランナー。
何人か追い抜いた。そんなテンポで歩を進めた。
70km 地点。関門時間まで残すところ22分。距離は3.3km。
脳みそ溶けかかってる頭で、また計算。
キロ6分で、3kmを走ると18分かかる。
うーん、22分で3.3kmって、どのくらい? 6分半で間に合うのかな。
結局、暗算できず。
このあたりで、 の囁き。
「73.3km で関門アウトしたら、収容車に乗れるぞ~」
あぁ、それは、グッドアイデア
なーんて思うけど、関門が近づくにつれ、「もしかしたら間に合うかも。」
というタイミングであることに気付く。
関門(エイド)が設置されてる、銀河高原ビールの入り口に立つ
大会役員と思われる男性が、「あと2分弱。頑張れば行けるよ!」 と
声をかけてくれた。
しかーし、去年の記憶では、銀河高原ビールの中を
ぐるっと回ったような…
2分で回れる距離だったかな? その辺の記憶は定かでない。
中のお庭では、マラソンと全く無関係の観光客が、バーベキュー。
横目で、それを見ながら、スピードを上げる。
最後のカーブを曲がると、見えた! 関門(エイド)だっ!
余裕がないのに、時計に眼をやる。あと5秒。
100m走のごとき、猛ダッシュ
迎えてくれた男性役員は、「オッケー、オッケーだよ。」 と関門クリアを
知らせてくれた。時計を見ると、5秒オーバーしていた。
膝に手を置き、上体を折り曲げ、はあはあ、息を整えていると
もう一人男性ランナーが飛び込んできた。
ここまでOK 彼のタイムは、1分オーバー。
なーんだ、私、もうちょっと遅くても大丈夫だったんじゃないの。
吐きそうだった。ここのエイドでは、何も食べられない。
スポーツドリンクを飲んだだけ。
私の後に入った男性は、このエイドを、すぐに飛び出した。
長居無用。私も後を追う。