はるまのとりとめのない日記 (ほぼおやつ日記)

【とりとめのない】「特に重要ではない単なるおしゃべり」といった意味合い

3月11日(金) やっぱり金曜日

2016-03-11 | フツーの日記

3月11日。5年前も今年と同じく金曜日だったなあ、そういえば。

あの時、ここ横浜もかなり揺れた。私はスポーツクラブにいた。スタジオ前でレッスン開始を待っている時だった。やっぱりスポーツクラブ滞在中だったか私らしいと今になって思う。私の周りでは老親も含め大きな被害はなく、我が家の食器戸棚から飛び出したガラスの器が2個割れたのみ。夫が帰宅困難者となり会社に泊まった。TVを通して大災害だということを知る。時間が経つにつれ未曾有の大災害だと驚愕する。岩手に住む友達と連絡が取れ無事と分かり胸をなでおろす。

翌日は土曜日。夫は動き出した電車でなんとか帰宅。その後また電車は止まってしまう。関東でも被害が出た地域もある。しかし、うちの周辺はすぐに通常の生活に戻るものと思っていた。でも、いろいろあったよね。電車は間引き運転、スーパーは短縮営業。スポーツクラブも休館。エスカレーター・エレベーターは止まってる。ガソリンスタンドには長蛇の列。月曜頃から徐々に不足する物資が出てきた。米、パン、納豆、ヨーグルト、乾電池、飲料水、小麦粉、ティッシュなどのペーパー類等々がスーパーや量販店の棚から消えた。うちは小さな子供がいるわけでもなく、米が足りなくなったらスパゲッティや乾麺があるしと悠長に構えていたけど、小さなお子さんや介護の必要な人を抱える家族は非常に困ったんだろうな。

計画停電も2回経験した。夕方だんだん暗くなっていく家の中で一人、「寂しいよ~寒いよ~」と心細くなった。かの地では、何日も不自由な生活を強いられているのだ、泣き言を言うんじゃないと己を叱る。時間が来れば明かりが点く。ほんの2、3時間の辛抱だ。スポーツクラブも1週間ほどのお休みで営業再開したが短縮営業だった。なんだかんだ言って、ほぼ通常の生活に戻ったのは4月になってからかな。それでも「自粛」と言ってお祭りやイベントが中止になったり延期になったりした。直接的な支援は何もできないもどかしさ。できることは募金をするくらいだった。でもね。ふと考えたんだよね。何もできないくせに一丁前にふさぎ込んだり自粛自粛と言って家に閉じこもっていても被災した方々のお役に立つわけでもない。日本中がふさぎ込んでいたら日本沈没しちゃう。それよりも、被害に遭わなかった私たちが笑顔で元気で暮らすことが、被災された方々の力になるのではないかって。だからと言ってお祭りやイベントに積極的に参加したわけではないけど、なるべく普通に暮らすようにした。

今週はニュースなども特別編成で「あの日のこと」「この5年間」「これからのこと」を繰り返しやっている。 被災された多くの方は、未だに普通の生活を取り戻せないでいる。5年経っても、やっぱり、私のできることは、明るく元気に笑顔で一生懸命暮らすことしかないような気がする。そして、3月11日は、被災された方、とりわけ亡くなった方に想いを馳せる日にしたいと思う。


合掌 


 
2011年の3月・4月の日記

大地震

負けずに元気を