2019/02/21
TOHOシネマズ日比谷で「メリーポピンズ リターンズ」を見てきました。
総じていえば、画面もきれいで楽しいミュージカル映画といえます。
と、そんな感想だけにすればいいのに、日頃思っているディズニー映画に関する感想も書いておきたいと思います。
この映画は、トラヴァース原作の同名の作品とは話が違ってます。本に出てきた子どものマイケルとジェーンは大人になっていて、マイケルとその子どもたちの話です。映画の内容はディズニーの創作です。
原作の「メアリー・ポピンズ」を最初に読んだのは大学時代。「メアリー・ポピンズ」が大好きだという子がいて、私も読んでみて、英国風ユーモア、奇抜さにすっかり惹かれてしまいました。イギリスの中流家庭の様子も興味深いものでした。岩波少年文庫のシリーズ4冊揃えましたが、残念なことに、こちらに引っ越してから手放してしまいました。また手元に揃えたいと思っています。
作者のPL.トラヴァースは、ディズニーによる映画化を長い間拒んでいたそうですが、初出版から30年ほどたった1964年にジュリー・アンドリュース主演で映画化されました。これは有名ですし、夢のある楽しい映画でしたね。映画の中の歌「チムチムチェリー」や「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」(間違わずに書けただろうか)などたくさんの歌が耳に憶えのあるところです。
1964年の「メリーポピンズ」はミュージカルながら原作に近くて楽しい映画ですが、今回のは、イギリス児童文学らしい香りは消え失せます。文学の底辺に流れる思想は似て非なるものです。
それは昨年公開の「プーとおとなになった僕」と同じ。世の中の荒波にもまれ、悪意の人物におとしめられる不運な主人公という点、メリー・ポピンズやプーの登場によって、子ども時代の心を取り戻し、幸せもかえってくるというのは同じパターンです。
今回の映画では、美しくて楽しい場面も歌も多いのですが、ディズニーは必ずドタバタのカーチェイス的(馬車などですが)、ジェットコースター的場面を入れるのですね。のどかで田園の平和な世界であるプーにもこういう場面があって、私はこれが好きではないのです。本来、何の必要もない場面ですから。
権力と悪意をもった人物が登場して、主人公を陥れるという筋書きも解せません。特にプーの世界においては、作者ミルンは意図して、このようなものを排除していました。
つまり、児童文学においては、これから長い人生を希望をもって生きていこうとする子どもたちには、まだ世の中が悪意と困難に満ちていると示す必要はないのです。
もしその必要があるなら、悪意ある振る舞いをする人にはそれなりの理由があり、また人は善意の部分もあわせ持つという人間の多面性も描かれなければならないのです。
ディズニーの映画はそのあたりの発想がない。定型的な悪役、ドタバタでハラハラ場面を作る。映画を遊園地的娯楽と考えているディズニーに思想を期待するほうがおかしいのかもしれません。
なお、2013年のアメリカ映画「ディズニーの約束」にはトラヴァースがディズニーと映画化を交渉する過程が描かれているそうで、見てみたいと思っています。
こんなふうに書きましたが、見てもいいと思う映画です。メリー・ポピンズが、なんでも魔法で解決せずに子どもたちに考えさせたり、自分で行動を起こすように作ってあるのはいいと思います。
TOHOシネマズ日比谷で「メリーポピンズ リターンズ」を見てきました。
総じていえば、画面もきれいで楽しいミュージカル映画といえます。
と、そんな感想だけにすればいいのに、日頃思っているディズニー映画に関する感想も書いておきたいと思います。
原作の「メアリー・ポピンズ」を最初に読んだのは大学時代。「メアリー・ポピンズ」が大好きだという子がいて、私も読んでみて、英国風ユーモア、奇抜さにすっかり惹かれてしまいました。イギリスの中流家庭の様子も興味深いものでした。岩波少年文庫のシリーズ4冊揃えましたが、残念なことに、こちらに引っ越してから手放してしまいました。また手元に揃えたいと思っています。
作者のPL.トラヴァースは、ディズニーによる映画化を長い間拒んでいたそうですが、初出版から30年ほどたった1964年にジュリー・アンドリュース主演で映画化されました。これは有名ですし、夢のある楽しい映画でしたね。映画の中の歌「チムチムチェリー」や「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」(間違わずに書けただろうか)などたくさんの歌が耳に憶えのあるところです。
1964年の「メリーポピンズ」はミュージカルながら原作に近くて楽しい映画ですが、今回のは、イギリス児童文学らしい香りは消え失せます。文学の底辺に流れる思想は似て非なるものです。
それは昨年公開の「プーとおとなになった僕」と同じ。世の中の荒波にもまれ、悪意の人物におとしめられる不運な主人公という点、メリー・ポピンズやプーの登場によって、子ども時代の心を取り戻し、幸せもかえってくるというのは同じパターンです。
今回の映画では、美しくて楽しい場面も歌も多いのですが、ディズニーは必ずドタバタのカーチェイス的(馬車などですが)、ジェットコースター的場面を入れるのですね。のどかで田園の平和な世界であるプーにもこういう場面があって、私はこれが好きではないのです。本来、何の必要もない場面ですから。
権力と悪意をもった人物が登場して、主人公を陥れるという筋書きも解せません。特にプーの世界においては、作者ミルンは意図して、このようなものを排除していました。
つまり、児童文学においては、これから長い人生を希望をもって生きていこうとする子どもたちには、まだ世の中が悪意と困難に満ちていると示す必要はないのです。
もしその必要があるなら、悪意ある振る舞いをする人にはそれなりの理由があり、また人は善意の部分もあわせ持つという人間の多面性も描かれなければならないのです。
ディズニーの映画はそのあたりの発想がない。定型的な悪役、ドタバタでハラハラ場面を作る。映画を遊園地的娯楽と考えているディズニーに思想を期待するほうがおかしいのかもしれません。
なお、2013年のアメリカ映画「ディズニーの約束」にはトラヴァースがディズニーと映画化を交渉する過程が描かれているそうで、見てみたいと思っています。
こんなふうに書きましたが、見てもいいと思う映画です。メリー・ポピンズが、なんでも魔法で解決せずに子どもたちに考えさせたり、自分で行動を起こすように作ってあるのはいいと思います。