2020/12/13
北区中央図書館で「ドナルド・キーンを読む会」の主催で、「わが親愛なる三島由紀夫~キーン先生の著作から」というブックトークが行われたので、参加しました。
先日、初めて図書館を訪れて、このような催しがあることを知りました。
6名の会員の方が、キーン氏の著作の中から三島について書かれた部分を取り上げて、トークをしてくださいました。
メモ用紙を持っていかなかったので、小さな資料の端っこにメモを取ったのですが、後から見ると判別不明でした(笑)。自分の覚えのため、思い出すまま書き留めておきます。不正確な部分があるかもしれません。
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三島とはいつも敬語で話した。三島から、敬語はやめてざっくばらんに話そうと言われたが、自分にとっては敬語が心地よかったので、それで通した。しかし、あのとき、敬語をやめて話すようになっていたら、もっと深い話ができたかもしれない。
三島はノーベル賞を取ることに執心した時期があって、『愛の渇き』の翻訳を頼んできたが、その当時は忙しかった。後になって『愛の渇き』は忘れて、安倍公房を翻訳してしまった。それがノーベル賞受賞と関係があるかどうかわからないが、心残りになっている。
三島は自分と似ている人を好まなかった。かけ離れている人を好んだ。
ロンドンで2015年当時(年代不正確かも)最も多く上演されている劇は、1位 シェイクスピア、2位 チェーホフ、3位 三島由紀夫である。三島のサド侯爵夫人は海外でも人気の作品である。
三島の自決について、日本と海外では反応が違う。三島はバカな死に方ではなかった。日本では長い間疎んじられたが、海外では最初のうちこそ衝撃があったが、それはすぐにおさまり、彼の文学の評価はずっと高い。あの死によって彼は古今東西、最も高名な作家になった。
作家の辻井喬が、三島の自決1か月前に、三島から急用があると銀座の店に呼び出された。2時間話をしたが、肝心の急用が何であるかは最後まで言わなかった。
三島は筆まめで、よく手紙をくれた。何か頼むと必ず忘れずにすぐに送ってくれた。
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西武デパートで楯の会の制服を作ったことや、伊豆で高級な伊勢海老を三島が、3名なのに7人前注文した逸話は私も知っている話でしたね。
キーン氏は三島への親愛の情というか哀惜の情や小さな後悔を、彼の死後もずっと持ち続けていたのですね。
6冊の本の紹介がありました。三島の本は今でさえ読みたい本が山積みですが、時間が取れたら、ぜひ読みたい本です。