2020/06/09
映画館が再開したので、5日に三島由紀夫を見てきました。
3月から公開されていましたが、コロナから映画館に行くことを控えていて、4月8日に映画館は閉まってしまいました。再開したら見に行こうとずっと思っていました。
https://gaga.ne.jp/mishimatodai/
観客は全部で7~8人。座席は2人あけて座るようになっていました。
ほぼ予想通りの映画でしたが、あの時代の政治情勢、三島の気持ちは、登場した解説者の方々のコメントに助けられました。
三島が全共闘と討論をした1969年は自殺の前年ですが、学生運動が盛んで大学は荒れていました。学生たちの行動に危機感を持っていたのです。
討論会で語られる言葉は難解で、しかし意味があるかと問われれば、借り物の、学んだ知識を並べたにすぎない。教養主義、権威主義の大学を批判した学生たちも、やはり教養主義、権威主義に浸かっており、暴力と反抗することでしか社会変革の方法が見つからないのです。
全共闘の運動が成果もなく立ち消えてしまったことは、その後の歴史が物語っています。
今の若い人たちより、ずっと幼いと私は思いました。
長い間、昔の青年のほうが精神年齢が高いと思ってきたのですが、そうでもない。今の若い人は反抗などせずに、自分の新しいアイディアとやり方で社会を変えていってしまう。
「社会を変えていくのは言葉なんです」という平野啓一郎氏は、ほんとうにそのとおりだと思うけれど、大衆の心に届かない机上の空論はむなしい。
共産主義体制を信じる、あるいは、日本の文化は天皇によって作られている、という前提は、話者がそれぞれにそう信じているだけなのだ。
大学の一角を占拠して解放区なるものを作った、それは祝祭劇場だ、時間ではなく空間だ、といっても、話者がそう規定しただけのもの。ファンタジーの類で真理ではない。ああ、あなたはそう考えるのね、ということだと思う。
討論する両者の前提が異なっているので、どんなに定理を証明するように話しても、どちらが正しいということもなく、永遠に話はかみ合わない。
だから、この映画の見るべきポイントは討論を聴くことではなく、言葉以外のものを見ることだと思った。
会場の雰囲気、学生たち、どんな話し方でどんな振る舞いだったのかがわかる。この討論の本も出ているが、百聞は一見にしかず、だと思う。
無作法で、常にけんか腰で話をする芥正彦氏・・・
三島は丁寧に学生の質問に答え、話す学生にマイクを向けて、声が会場全体に聞こえるようにする。内田樹氏が言っていたような、終始上機嫌、というふうには思えなかった。ただ、誠心誠意向かい合おうとする気持ちは伝わってくる。
私などは、スルーしてしまえばよいのにと思う質問にも答える。たぶんそういう人なのだろうと思う。豪放磊落を装うが、繊細な精神の持ち主なのだということが感じられた。
けれど三島のほうが人生経験が長いだけに、学生よりずっとうわてという気がする。
びっくりしたのは、三島が煙草をやたらに吸うこと。時代ですね。会場が煙っている。
そして学生も吸うのだが、芥氏は自分の赤ちゃんを膝に抱いて、マイクをもってしゃべりながら、その手に火のついた煙草を持っている。赤ちゃんの顔に煙草が近い。私は、そういうところにひやひやしていた。赤ちゃんのことばかり気にかかった。なぜ、こんな場に赤ちゃんを連れてくるのか。・・・アピールですね。
(映画公式ページより)
昭和の年号と自分の年齢が同じという年に生まれた三島は、国を守ること、天皇陛下のために死ぬことが美徳という教育を受けて愛国少年として育った。
それが敗戦で、信じるものが180度転換してしまった。天皇は現人神ではなかった。
天皇のために命を投げ出すつもりで遺書まで書いた青年は、戦後の価値観の転換はどうしても信じられず、受け入れがたかったに違いない。自分は戦争で死ぬつもりだった、戦後は余生だと語っています。
これからは民主主義の時代だということに違和感を持ちながら、昭和30年代は時代を反映した小説を多く書いてきた。
三島由紀夫は時代を映す鏡だった、彼ほど時代に翻弄された作家はいなかった。時代に忠実だった。
見ていると、何かひたむきさがかわいそう、痛ましいという気持ちが浮かんだのです。全共闘との討論を見てそんなことを感じました。
〈追記〉
三島由紀夫と石原慎太郎との対談「守るべきものの価値 -われわれは何を選択するか」(1969年)で石原氏は全共闘のことを次のように書いています。この対談は三島と全共闘との討論後に行われたと思われます。
「全共闘の学生たちは既成のエスタブリッシュメントを見てこわそうとしているわけでしょうけどね。彼らは非常に生理感覚が鋭敏で、この時代のうそ、ぬるま湯みたいな民主主義のうそを拒否しようとしていることは共鳴できるんですけど、日本の学生運動を評価できないのは、そのほとんどを容共というか、歴史的に、社会科学的に、自由への制約が強いことがあかし立てられている。共産主義の方法論で自由を求めようとするところが、実に陳腐で、保守的というより、退嬰的だと思う。だから僕は日本の学生運動を認めないんだ。」