はちみつと青い花 No.2

飛び去っていく毎日の記録。

『街場の親子論』内田樹X内田るん

2021年06月27日 | 
2021/06/27
 
内田樹氏と娘・るんちゃんの往復書簡の形をとった「父と娘の困難なものがたり」です。
 
 
 
この本はほんとうにおもしろかった。
私は、いつも内田氏の本はおもしろいと言っていますが、これもそうなんですよ。
 
私の興味は、結局人に関する興味で、どんな家庭で育ったか、どんな子ども時代を経験したか、それでどんな大人になったのか、ということなんだと思っているのです。
 
この本の内容ですが、ほとんどの人は、親がいて家庭生活の経験があるわけで、自分の経験に置き換えることができると思うのです。共感したり、比べたり、新しい発見をしたりと、自分の身近に感じられると思います。
 
だからこそ、この本はおもしろかった。1回1回の手紙に様々な感想が湧いてきて、それを書き出すときりがないほどです。
 
 
読む前、離婚した内田氏がるんちゃんをひきとったということを、なぜ父親だったのだろう?と思ってました。
母親になにか親権者になれない原因があったのだろうか、と考えたりしていたのでした。
 
それについては、両親は6歳だったるんちゃんの意見を尊重したのです。両親は、「どちらについていきたい?」とるんちゃんに聞いたのです。
 
るんちゃんは、自分がついていかないと、お父さんは何もかも失ってダメになってしまうと思ったので、お父さんについていったと書いています。
 
〈あのときお父さんは「お母さんの所へ行ったら、もう俺、るんちゃんと会えないかもしれないんだよ」ってワーワー泣いたんだよ。だから私、「わかった。じゃあお父さんと暮らす」って。そうすれば、両方と縁が繋げると思ったから。〉
 
るんちゃんに気持ちを聞いた両親も偉いと思うし、母親っ子であったというるんちゃんが、お父さんを助けるためにお父さんを選んだというのが、いじらしい。
 
子どもって、そうなんだよなあ、よく見ているし、状況がわかっているものなんだ。
 
でも、るんちゃんはこの自分の選択を後になって後悔するのです。それは女の子だから母親がいないと困るということもあったでしょうが、もう少し複雑な気持ちがあったようです。
 

〈「ママがいなくても、私とお父さんだけでも、なんとかなるわ」と本気で思っていたのです。お風呂に入れるのも、髪を洗って乾かすのも、お天気に合わせて私の服を選ぶのも、遊びに行った先の友だちの家に電話を入れてくれたりと、社交のフォローをするのも、すべて母がやってくれていたのだと、それまで気づかなくて…。〉(P.95)

 
〈両親のフォローに回れず離婚に至らせてしまったことすら、私の「かすがい」役の足りなさ、言ってみれば「管理不行き届き」という意識もあり・・・その上、あんなにもお父さんに苦労を掛けてしまったことで、すっかり自信を失ってしまいました。〉(p.98)
 
〈当時、離婚して精神的にショックを受けて、瀕死の子犬のようだったお父さんを哀れに思い、私はできるだけ自分の意見を譲っていました。でもお父さんは「小さなわが子が自分のために自分を押し殺している、自分がそうさせている」と、余計に自信を失ってしまった。〉(p.230 )
 
〈お父さんを憐れんで嘘八百をついた負い目がある〉とも。
 

これに対して内田氏は〈るんちゃんを傷つけるようなことをした時にも怒りや悲しみの言葉を自制してくれたことをとても感謝している。〉(P.86)と書いています。

〈これから自分が一人で育てるのかと思うと、その責任の重さに呆然として、眠れない夜中に、本当に必死になって神様に祈ったことがあります。

取りあえず僕の思い通りになるように「噓をついていた」というのを今になって聴くと「ごめんね」と「ありがとう」の両方の気持ちです。〉(P.237)

〈・・・そんなふうに思ってくれているなんてしりませんでした。 そういうふうに言ってもらえると、色々な後悔も、全部前向きに消化できる気がします。ありがとう。「お父さんを離婚のときにバッサリ捨てて、お父さん一人で身軽に新しい人生を再スタートさせてあげていたほうが、お互いのためだったのでは?」という不安はずっとあったのです。〉(P.253)

 
 
私は、子どもだった経験もあるし、親の経験もあるので、両方の気持ちがわかる。このあたりは痛みを伴って感じます。
 
一方、るんちゃんがお父さんについていくという選択をした時、お母さんはどんな気持ちだったろうかと想像すると、胸が痛むのです。
 
お母さんについては、ほとんど書かれていないし、不特定多数の読者に対して、家庭内のことをあれこれ書き連ねる必要もないと思います。しかし、小さな娘が父親についていくというのは、やはり母親としてはつらかったんじゃないかなと想像するのです。
 
と、まあこれはごく一部のところしか書いていませんが、感想は尽きないのです。
 
内田氏は、前から生活者目線があると感じていて、それが書斎派学者とは違うと思っていたのです。
それは、仕事をして、子育てもして、家事もしてという、父親役も母親役もこなさなくてはならなかったことからきているのかと思ったりしました。
 
婦人公論に親子対談が載っています。
 
 
また感想の続きを書いてみたいと思います。
 
 
 
 

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