2024/07/02
1950年(昭和25年)の今日、7月2日は
金閣寺が修行僧によって放火され
焼失した日です。
犯人は当時21歳の金閣寺の従弟僧でした。
本人の供述によると、
当初は金閣と心中するつもりで火を放ったが、
怖くなり、寺の裏の左大文字山に逃げ
胸を短刀で突き睡眠薬自殺を図りましたが、
胸を短刀で突き睡眠薬自殺を図りましたが、
果たせずにいたところを逮捕。
懲役7年の判決を言い渡されるが、
1955年10月に恩赦で出所します。
再建された金閣の落慶法要から20日後のことでした。
そして、半年たらずで、肺結核で26年の生涯を終えた
という事件でした。
三島由紀夫はこの事件をモデルに
1956年(昭和31年)、小説『金閣寺』を発表。
『金閣寺』は三島の代表作となり
人気作家の地位を不動のものにしました。
私は高校生か大学生の時に
この作品を新潮文庫で読みましたが
観念的で難解に感じられて
なかなか読み進められなかったことを
覚えています。
ただ、三島由紀夫に興味があり
優れた作品だというので
辛抱強く少しづつ読んでいきました。
しかし最後まで
おもしろいとは思えませんでした。
「金閣の美に嫉妬する」というのが
まずわからなかった。
人の美に嫉妬するというなら
まだわかるけれど…。
当時は20歳そこそこでしたから
歯が立たないといった感じでした。
今でも理解できているかどうか
怪しいところですが。
怪しいところですが。
小説『金閣寺』について
なにか語れる術も持たないので
金閣の話はこのくらいにします。
・・・・・・・・・
私のブログで人気があるとして
読まれている記事は三島由紀夫なのです。
これには我ながら驚いています。
読んでいただけるのはありがたいけれど不思議。
たいして力を入れて書いたものではないからです。
私自身、最近は三島の情報を見たことがないし
人気が再燃したとも聞いていないし
どんな方が読んでくださるのか‥。
2020年にコロナ禍で緊急事態宣言が出て
仕事は休みになりました。
公共施設も商業施設まで休みになり
外出もはばかられる事態になりました。
その年はちょうど三島由紀夫の没後50年
にあたっていました。
三島と東大全共闘との討論会の記録映画が
公開されることになって
情報がたくさん出てきていたので
暇にまかせて三島を読んだのです。
その書きつけは
ほぼ本の引用ばかりです。
アップした当初はたいして読まれることも
ありませんでしたが
今に至ってずっとコンスタントに
読んでいただいているようです。
文学を学ぶ人が読んでいるのかなと
思ったりしています。
前にも書いたことがありますが
私がなぜ三島を読み、書いていたかというと
大学時代にできなかったことの
やり直しだったのです。
京都の大学にいたときは専攻は日本文学でした。
あの頃は三島で卒論を書こうと思っていたけれど
三島のことがさっぱり理解できなかった。
三島のことがさっぱり理解できなかった。
没後50年になって
石原慎太郎が『三島由紀夫の日蝕』
という本を書いていることを知り
読んでみて謎が解けたような気がしたのです。
ああ、こういう人なんだと。
三島の経歴とかエピソードは
知識として知ってはいても
それをどう分析、解釈するのか
わからなかったのです。
私が歳を取って
人生経験を積んだことも
関係しているのかもしれません。
それから何冊かの本を読み
だいぶ分かったような気になっている私ですが
実は三島由紀夫についての書きつけは
まだ途中なのです。
本番はこれからというところで
中途で放り出してあるといっても
よいかもしれません。
書くことはエネルギーが必要なので
モチベーションがアップしたら書くかも
しれません。
そうしたら私の中で
大学以来やり直しの三島由紀夫は
一段落するのではないかと思います。
コメントありがとうございます。
三島由紀夫は美しく構築された虚構が好きでしたね。
でも生活から遊離していたような人でした。あの衝撃的な割腹自殺も虚構の極みだったんでしょうか。
それ以前に「金閣寺」は読んでいました。
その後彼の作品を呼んだのか、読み返したのか記憶に残っていません。
独特の美意識をもっていたのでしょうかね。