

水戸八幡宮は佐竹義宣公の創建、天正18年(1590)に水戸城主の江戸氏を滅ぼし、常陸太田より水戸に居城を移した際、文禄元年(1592)に氏神として崇敬していた常陸太田鎮座の馬場八幡宮より、水戸城内に奉斎し、のちに八幡小路に慶長3年(1598)に御本殿を建立し、水府総鎮守の社と定めました。

しかし、関ヶ原の戦いの後の慶長7年(1602)に佐竹氏が秋田へ移封されると、水戸は徳川家の所領となり、元禄7年(1694)には2代藩主光圀公(義公)の寺社政策の命により、那珂西村へ移遷されましたが、宝永六年(1709)3代藩主綱條公(粛公)の時代になり、再び水戸に遷座され、現在の白幡山神域に鎮斎されました。

祭神は応神天皇(誉田別尊・ほんだわけのみこと)、神功皇后(息長足日売尊・おきながたらしひめのみこと)、姫大神(ひめのおおかみ)の三柱、いたるところに菊のご紋が付いています。
左奥に見える天然記念物の御葉付公孫樹(いちょう)は国の天然記念物、樹齢800年、樹高42m、幹周り9mという巨木です。銀杏の実が稀に葉の真ん中に付きますが、滅多には見られず、仙人も数年前にやっと撮影することができました。

国指定重要文化財である本殿は創建当初のもの、佐竹公お抱えの「御大工」吉原作太郎(当時15才)を棟梁に、10〜20代の60名程の工匠の名が本殿内墨書に記されているそうです。平成7年から初めての全解体修理が行われ、3年かけて建立当時のまばゆいばかりの姿に復原されました。



ここはアジサイ(紫陽花)の名所としても知られ、50種5000株が咲き誇りますが、特に杉林の中に造られた「山あじさいの小道」は、林というシチュエーションと山あじさいに特化したことが最適の雰囲気を出しています。あじさいは日影や雨が似合う花だとつくづく感じました。

水戸徳川家の崇敬が厚いこの神社には9代藩主斉昭公(烈公)もしばしば参詣し、その際に涼をとったとされる烈公御涼所が残されています。日影をつくる大欅は樹齢約400年、樹高は約30m、幹周り5.75mの巨木です。

那珂川の冷風が吹きあがってくるここは比高約20mの上市台地の北の端、那珂川や遠く阿武隈山地を遠望できる今でも絶好のスポットです。

この台地は水戸層とよばれる凝灰質泥岩の上層に砂礫層がある水を貯えた地層のため、崖の真下には湧水が多く見られます。当時参拝の前に身を清めたという「神明水」は、今でも清涼な水が湧き出しています。

今はあまり通る人のいない東側の大鳥居の中に水戸芸術館のタワーが写りこんでいます。江戸時代は太郎坂から階段を上り、この鳥居から入るのが本来の参拝コースでした。

点線で記入したこの八幡宮の西側に、水戸城の総構えの一つで、西の谷緑地と結ぶ5段目の空堀があったとされますが、遺構は市街地の中に埋没してしまいほとんど残っていません。