札幌のまちづくりの基礎を築き、明治期の開拓判官・島義勇(しまよしたけ)(1822~74年)の銅像は札幌市役所と北海道神宮にある。(興味のない方は大抵、間宮林蔵でしょ
と言う
)・・・が、この島判官は当時、「コタンベツ」と呼ばれる丘に登り、南一条通を中心に札幌のまちづくりを構想したが、コタンベツの丘はどこなのか
今でも謎のままだ
コタンベツの丘はどこなのか
探している登山愛好家や歴史研究者らもいる
いろんな方の諸説(推理・見解等)は長くなるので割愛するが、札幌のまちづくりの「原点」は、円山か三角山か荒井山
さあどっち
小生は、円山派か。市作成の円山公園パンフに「島義勇判官は、札幌に着任してすぐに円山に登り、札幌一帯を一望して札幌の街づくりを構想」とある。札幌市史では「北海道神宮近くの丘に上がって」とある。んで円山と思うんだが、国土地理院の地図では、円山、三角山からも南一条通は直線で結べない。有力な資料が出てくるまで、コタンベツの丘は幻のままで面白い
銅像の前にある障害のある人たちが働く「元気カフェ」。コーヒー店を営む「宮田屋」が運営している。安らぐ場なので頑張って欲しい
山並みの台座には「河水遠く流れ山隅に峠(そばた)つ 平原千里の地膏腴(ゆ)四通八達宜しく府を開くべし 他日五州第一の都」とある。五州(世界一)の都市を構想した心境かな