銭函村の丸山星野丸山北峰・つつじ山山頂からの虹Rainbow二重Arc-en-ciel
虹が次から次と現れる日だった…消滅した山・星野丸山へ…昭和中期に採石場となって昭和50年頃に山頂は崩壊…HP小樽の地名「アイヌ語地名と小樽の風景」の特集:星野丸山~消えた小樽最東端の低山~に前から興味があってやっと散策…小樽と札幌の境界付近にある山だが星野丸山北峰を同様に散策した
ほしみ駅は小樽銭函ではなく、札幌市手稲区でしたね…さらに星置駅とほしみ駅をよく間違える小生…札幌市手稲区のほしみ駅は、駅の近くにある星観橋に由来…星置駅はアイヌ語「崖の・その下」=ペㇱポキに由来し、駅が星置団地と隣接していることから命名したようだ。
ほしみ駅からきらいち公園を経て高架下をくぐり抜け高速道路の横を歩く…🐻ではない電線維持管理の作業道結構急登だエゾシカ多い🦌立派な角数本拾う…また売れそう星野丸山北峰185m山頂ほしみ駅と星置駅が眼下に…むかしの砕石事業社の屋号か跡形もない星野丸山…星野採石場に…チサンカントリークラブ銭函からのゴルフボール2個拾った昭和31年当時は、約326mあったとのこと星野丸山北峰は星野富士と命名してもいいような山容だ銭函天狗山が凛々しく見える…
銭函村の丸山として紹介された入北記と北海道植民状況報文…など↓
星野丸山は江戸時代や明治時代には知られていたようだ…銭函村は朝里村から小樽市銭函と変わっていくが…江戸時代の繁忙期にはニシンを売却した収入を入れる銭の箱が各家に積み重ねられていたことが銭函の由来
蝦夷・サハリン巡検随行日誌(箱館奉行)である記録入北記は…1857年に仙台藩士・玉蟲虫左太夫(1823年~1869年)らが書いた…5ヶ月間かけて一周したようだ…文献に銭函天狗山と並べて丸山(銭函村)が出てくる。玉蟲虫佐太夫は、日本人が初めてビールを飲んだ人とされている…幕末、最初の遣米使節がアメリカに渡る船上で航海日誌に「苦味ナレドモ口ヲ湿スニ足ル」と書いている
北海道史研究のパイオニアで知られる河野常吉(1863~1930年)は…31歳に道庁の嘱託となって開拓地の現地調査を行った…統計や文化風俗に関する膨大な記録を残す…市立小樽図書館の初代館長だこの北海道植民状況報文に丸山が記載されている…1914年の札幌博物学会会報の有珠岳の噴火や1926年の大雪山及石狩川上流探検開発史、また大雪山の父である小泉秀雄氏と「旭岳は山群の総称名であるべきだ」と主張した論争も面白い…
近くの青葉山や星滝山などの散策も興味がある…
星置駅近く…そば処・中一日替わり定食…酒は松竹梅350円だった…土産のほしぱん星置駅ね…魚肴ひら山や山おやじにも行ってみたいね・・・
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