山岳小説の分野を拓いた新田次郎
2000年から2005年まで放送され大きな反響を呼んだ「プロジェクトX 挑戦者たち」の4Kリストア版が放送されているBSプレミアムとBS4Kの同時放送第1回の放送は、高精細な映像になって蘇った「巨大台風から日本を守れ ~富士山頂・男たちは命をかけた~」昭和34年に日本を襲った伊勢湾台風は、死者行方不明者5000人を超える大災害をもたらした。当時のレーダー技術では、台風を上陸の直前にとらえるのが精一杯で充分な対策をとることはできなかった。上陸の24時間前、南海上で台風の位置を正確にとたえるには標高4000mの高地に巨大レーダーを設置するしかない。そこで、構想されたのが富士山頂気象レーダー。昭和38年夏に着工。しかし作業は困難を極め、最大100m/秒を超える強風、足下には堅い永久凍土、セメントを練る水も不足する限られた環境、作業員たちは次々と高山病に倒れた。それでも建設に賭ける男たちの熱い思いが徐々に実を結んでいった。一方、技術者たちもまた難問と戦う。東京気象庁から遠隔操作の実現、強風に耐える強固なレーダー建設。そして最後の仕上げは鳥かごと呼ばれたドームの空輸。気流の不安定な山頂に重量オーバーのドームをヘリコプターで設置するという無謀な計画が昭和39年8月15日ついに決行された。気象庁測器課長として工事を指揮した藤原寛人氏が実質リーダーとなって不可能としか思えない富士山レーダーを見事完成させたその偉業は個人の力で成しえたものではなく、まるでプロジェクトX。藤原寛人氏(ペンネームは作家・新田次郎)は、 新田次郎は諏訪町大字上諏訪角間新田(かくましんでん)で生まれたので「新田」を「にった」と読み変え、自身が次男であったことから新田の後に「次郎」
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