朝が白み始めた6時前に海湧食堂横を通過しすぐにある、(1つ目の荷物預け場所)
97.4KCP2の油谷中学跡に到着。
ここで、びっしょりになった服を着替え。
女子Kさんと一緒にCPすましたが、彼女は着替えなしとのことで濡れたまま、再び出発。
恐るべし、体力、気力のウルトラウーマンであります。
(あとからきた兄ちゃんは、低体温であきませんと、着替えて毛布かぶって横たわっている)
ウルトラ用勝負靴(サロマ)は、176Kの第二荷物預けに置いてあるため
濡れた靴にまた足いれて、海湧食堂にて、中華丼朝食をもらう。
ちなみに、どの椅子もみんな濡れたままで食べてるのでびっしょり
食べてすぐおじさんも出発。この間30分ほど時間を要したろうか。
雨も小降りになってきたが、油谷湾から吹いてくる
海風が冷たくて、あったまろうと走りはじめるも、膝の痛みがどんどんましてきて、
後ろからくる女子たちやら、年配のろのろランナーさんに抜かれる。
だましだましのランになってきた。
10キロ先の俵島CP(98.9K)半島先までの上り基調まったく速度あがらず。
まだか、まだかと辛抱の1時間半、ようやく、98.9K俵島CP3に到着した。
私設エイドとしてお水や飴を出してくれてるおばあちゃんとであった。
常連さんたちは、ここまで来ておばあちゃんに会うのが楽しみだと言っていた。
お互いに、元気をもらっている名物CPである。
水一杯もらって、すぐに出発。
目の前をいく女子のあとをついてひたひた。
(女性の話ばかりで恐縮ですが、男性陣は早すぎてすぐに遠ざかり追跡できないのです)
それでも、だんだん距離があいてくるので道に迷わないないように、とにかくくらいついて走る。
ここでも、前も後ろも誰もみえず、ほんまにこの道であっているんかいな?と疑心暗鬼のラン。
やがて、もときた道まででて一安心。
しかし、後ろからどんどん人が抜いていき、誰一人追いつくこともままならぬ速度となっている。
次の108.2CP川尻岬・沖田食堂へ。こきざみのアップダウンを繰り返しながら
9キロ耐え忍んで70分ほどかけて到着。到着寸前の食堂前の下り坂に入るとに左膝の痛みにあわ
せて、右足首に痛みがでてきた。
この食堂はカレーが名物。小さな女の子たちが、カレーやらお水やらをお世話してくれ
る。いったん座ると動けないおじさんにとって、小さな天使達である。
疲れたランナー達は苦労を共有しあって、会話が弾む。
隣にすわった大阪のおばちゃんと意気投合し、一緒にいきましょうと声かけてくれた。
せっかく声かけてくれたのに、出発してしばらくいくと、ペースがあわず
もうのろまな牛状態のおじさんである。先に行ってくださいとお願いして、
のろのろランにて、次の118.1KCP立石観音へ向かう。
後ろからきた50歳代のランナーさんが一緒にいきましょうとゆっくりペースでつ
きあってくれた。この方サロマンブルーの実力者とのこと。
途中、114Kあたりで別れ道ここでは、かなりの人が間違って数キロ余分に走る
はめに。サロマンブルーランナーさんのおかげで、迷わずに行けた。しかし、そ
のあと1キロも行かない間に、ついていけなくなりずるずると離れていき、一人旅となった。
一人で地図と道に書かれた白線→を見落とさないようにのろのろ。
すると正面からくるランナーと遭遇。
さきほどの分岐点で道に迷い、ここはいったいどこ?状態。
地図も途中食堂で忘れてきたとのこと。この先まだ150K一体真夜中道に迷った
らどうするんだろうと心配。山を下ってなんとか立石観音に到着。
パンチを押して、ベンチの腰かけて一服していると続々と後続ランナー。
次は7キロ先にある125K CP6千畳敷である。
少しでも、前に進もうと歩を進めるが上り坂。平地ならのろのろもあるが
坂道はまったく走れる状態にはない。
ゆっくりゆっくりとあがる。先ほどのランナー達のろのろランで横を通りすぎて
いく。
この千畳敷の坂は、後半最後にある「萩往還道の板堂峠:標高約600M」についできびしい標高300Mまであがる
アップダウンの道のりである。
ここでも、後ろから抜いていったランナー達誰一人見えなくなってきた。
歩くことさえできなくなってしまった。痛くて右足を前に踏み込めないのである。
立ち止まり、何度も後ろからくる車の姿をみて、手をあげてヒッチハイクをし
千畳敷まで乗っけてくださいと思ったことか。
千畳敷までいくと、回収バス13:10発がある。
時間は、まだまだある。とにかく走れでなくても歩け歩け前に1歩、1歩
自分の足でいくしかないと言い聞かせて動く。足を引きずりながら坂を上っていく。
11時前に立石観音を出発してからすでに90分経過
ガスに覆われた、千畳敷の進入道路にはいった
近づくと、カメラマンの方が写真を撮ってくれた
力つきた体に鞭を入れて、ゆがんだ笑顔でポーズ
その奥に、CP。
赤丸が、チェック用パンチ。パチと押して終了とした。おじさんのゴールである。
これで歩かなくてすむ ようがんばった足と膝君たち。
次のレース(6月10日 飛騨高山ウルトラ100K)では、絶対完走してやるからかんべんな
5月3日12:26 125.8K 千畳敷にて、おじさんの萩往還250Kは終わった。
勝負靴のサロマレーサも、眠気覚ましのドリンク、カフェイン入りパワージェル、テーピングもすべて
176K地点での荷物の中。荷物開封されることなく終わった。
13時10分から遅れること15分、赤いバスが到着。乗り込むとすでに汗臭い臭いがつーんと。
戦い敗れ疲れきった顔でもあり、とにかく終わったもう走れない、走らなくていいとの
安堵の顔でもあった。
この時間に乗ったバスは、スタート地点に到着は17時すぎ。
そりゃそうです、ここから先100Kもあるコースを廻って、選手を回収しながらの
到着であります。
17時すぎに、瑠璃光寺に到着したものの、1キロ先のホテルまでとても歩けず
情けないランナータクシーにてホテルへ。
夕飯は、外にでる体力もなく、持参したカロリーメイト2本にスポーツ飲料のみ。
翌日4日、朝バックは重くてもてないので宅急便にて送付。
70K、140K、140Kトライした翌日の朝、ホテルチェックアウト時に
必ず、翌年の宿泊予約をしてきたが、さすがに今回は見送った。
まだ、自信がない。本当にトライするなら、完踏必須。
36000円のエントリー代捨ててはならない覚悟をもって。
それがいつか・・時間をかけて考える。
新居浜のウルトラ女王さま、1回で完踏は、ほんとうに
そのすごさは、参戦したものにしかわからないでしょうに。
ゴール写真はみることができないので、ボランティアのおじさんが
記念にと撮ってくれた貴重な写真である。
最後に
完踏はできなかったが、、学ぶことはたくさんあった。
完踏したものだけが学べるのでなく、とにかくスタートしたすべての人が
それぞれに、学ぶことがあったはず。
何を学んだか、後日アップし、更なる戦いに向けて取り組んでいくことといたしましょう
97.4KCP2の油谷中学跡に到着。
ここで、びっしょりになった服を着替え。
女子Kさんと一緒にCPすましたが、彼女は着替えなしとのことで濡れたまま、再び出発。
恐るべし、体力、気力のウルトラウーマンであります。
(あとからきた兄ちゃんは、低体温であきませんと、着替えて毛布かぶって横たわっている)
ウルトラ用勝負靴(サロマ)は、176Kの第二荷物預けに置いてあるため
濡れた靴にまた足いれて、海湧食堂にて、中華丼朝食をもらう。
ちなみに、どの椅子もみんな濡れたままで食べてるのでびっしょり
食べてすぐおじさんも出発。この間30分ほど時間を要したろうか。
雨も小降りになってきたが、油谷湾から吹いてくる
海風が冷たくて、あったまろうと走りはじめるも、膝の痛みがどんどんましてきて、
後ろからくる女子たちやら、年配のろのろランナーさんに抜かれる。
だましだましのランになってきた。
10キロ先の俵島CP(98.9K)半島先までの上り基調まったく速度あがらず。
まだか、まだかと辛抱の1時間半、ようやく、98.9K俵島CP3に到着した。
私設エイドとしてお水や飴を出してくれてるおばあちゃんとであった。
常連さんたちは、ここまで来ておばあちゃんに会うのが楽しみだと言っていた。
お互いに、元気をもらっている名物CPである。
水一杯もらって、すぐに出発。
目の前をいく女子のあとをついてひたひた。
(女性の話ばかりで恐縮ですが、男性陣は早すぎてすぐに遠ざかり追跡できないのです)
それでも、だんだん距離があいてくるので道に迷わないないように、とにかくくらいついて走る。
ここでも、前も後ろも誰もみえず、ほんまにこの道であっているんかいな?と疑心暗鬼のラン。
やがて、もときた道まででて一安心。
しかし、後ろからどんどん人が抜いていき、誰一人追いつくこともままならぬ速度となっている。
次の108.2CP川尻岬・沖田食堂へ。こきざみのアップダウンを繰り返しながら
9キロ耐え忍んで70分ほどかけて到着。到着寸前の食堂前の下り坂に入るとに左膝の痛みにあわ
せて、右足首に痛みがでてきた。
この食堂はカレーが名物。小さな女の子たちが、カレーやらお水やらをお世話してくれ
る。いったん座ると動けないおじさんにとって、小さな天使達である。
疲れたランナー達は苦労を共有しあって、会話が弾む。
隣にすわった大阪のおばちゃんと意気投合し、一緒にいきましょうと声かけてくれた。
せっかく声かけてくれたのに、出発してしばらくいくと、ペースがあわず
もうのろまな牛状態のおじさんである。先に行ってくださいとお願いして、
のろのろランにて、次の118.1KCP立石観音へ向かう。
後ろからきた50歳代のランナーさんが一緒にいきましょうとゆっくりペースでつ
きあってくれた。この方サロマンブルーの実力者とのこと。
途中、114Kあたりで別れ道ここでは、かなりの人が間違って数キロ余分に走る
はめに。サロマンブルーランナーさんのおかげで、迷わずに行けた。しかし、そ
のあと1キロも行かない間に、ついていけなくなりずるずると離れていき、一人旅となった。
一人で地図と道に書かれた白線→を見落とさないようにのろのろ。
すると正面からくるランナーと遭遇。
さきほどの分岐点で道に迷い、ここはいったいどこ?状態。
地図も途中食堂で忘れてきたとのこと。この先まだ150K一体真夜中道に迷った
らどうするんだろうと心配。山を下ってなんとか立石観音に到着。
パンチを押して、ベンチの腰かけて一服していると続々と後続ランナー。
次は7キロ先にある125K CP6千畳敷である。
少しでも、前に進もうと歩を進めるが上り坂。平地ならのろのろもあるが
坂道はまったく走れる状態にはない。
ゆっくりゆっくりとあがる。先ほどのランナー達のろのろランで横を通りすぎて
いく。
この千畳敷の坂は、後半最後にある「萩往還道の板堂峠:標高約600M」についできびしい標高300Mまであがる
アップダウンの道のりである。
ここでも、後ろから抜いていったランナー達誰一人見えなくなってきた。
歩くことさえできなくなってしまった。痛くて右足を前に踏み込めないのである。
立ち止まり、何度も後ろからくる車の姿をみて、手をあげてヒッチハイクをし
千畳敷まで乗っけてくださいと思ったことか。
千畳敷までいくと、回収バス13:10発がある。
時間は、まだまだある。とにかく走れでなくても歩け歩け前に1歩、1歩
自分の足でいくしかないと言い聞かせて動く。足を引きずりながら坂を上っていく。
11時前に立石観音を出発してからすでに90分経過
ガスに覆われた、千畳敷の進入道路にはいった
近づくと、カメラマンの方が写真を撮ってくれた
力つきた体に鞭を入れて、ゆがんだ笑顔でポーズ
その奥に、CP。
赤丸が、チェック用パンチ。パチと押して終了とした。おじさんのゴールである。
これで歩かなくてすむ ようがんばった足と膝君たち。
次のレース(6月10日 飛騨高山ウルトラ100K)では、絶対完走してやるからかんべんな
5月3日12:26 125.8K 千畳敷にて、おじさんの萩往還250Kは終わった。
勝負靴のサロマレーサも、眠気覚ましのドリンク、カフェイン入りパワージェル、テーピングもすべて
176K地点での荷物の中。荷物開封されることなく終わった。
13時10分から遅れること15分、赤いバスが到着。乗り込むとすでに汗臭い臭いがつーんと。
戦い敗れ疲れきった顔でもあり、とにかく終わったもう走れない、走らなくていいとの
安堵の顔でもあった。
この時間に乗ったバスは、スタート地点に到着は17時すぎ。
そりゃそうです、ここから先100Kもあるコースを廻って、選手を回収しながらの
到着であります。
17時すぎに、瑠璃光寺に到着したものの、1キロ先のホテルまでとても歩けず
情けないランナータクシーにてホテルへ。
夕飯は、外にでる体力もなく、持参したカロリーメイト2本にスポーツ飲料のみ。
翌日4日、朝バックは重くてもてないので宅急便にて送付。
70K、140K、140Kトライした翌日の朝、ホテルチェックアウト時に
必ず、翌年の宿泊予約をしてきたが、さすがに今回は見送った。
まだ、自信がない。本当にトライするなら、完踏必須。
36000円のエントリー代捨ててはならない覚悟をもって。
それがいつか・・時間をかけて考える。
新居浜のウルトラ女王さま、1回で完踏は、ほんとうに
そのすごさは、参戦したものにしかわからないでしょうに。
ゴール写真はみることができないので、ボランティアのおじさんが
記念にと撮ってくれた貴重な写真である。
最後に
完踏はできなかったが、、学ぶことはたくさんあった。
完踏したものだけが学べるのでなく、とにかくスタートしたすべての人が
それぞれに、学ぶことがあったはず。
何を学んだか、後日アップし、更なる戦いに向けて取り組んでいくことといたしましょう