◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて
(センブリ)
2012年11月4日(日)
『山野走』
<くろんど園地>
【コースタイム】
[私市駅]15:24:00→[月ノ輪滝]→[すいれん池]→15:56:41[くろんど池]16:03:00→(くろんど池コースの道)→(さわわたりの路)→(そよかぜの路)→16:18:26[展望台]16:21:00→(管理道)→16:41:55[キャンプ場]16:47:00→(管理道)→(やまごえの路)→17:02:53[水舞台]17:04:00→[すいれん池]→17:27:16[私市駅]
<桜紅葉とスミレ>
放せない仕事や用事が無い限り、僕は毎月三日の日にN霊園に墓参に行く。そのお墓には、祖母、父、母、甥の4人が眠っている。それは父母が健在であったとき、父母が毎月欠かさず三日に墓参していたのを、父母が逝ってしまった今もそれを僕は踏襲している。認知症が進み車の運転を止めた親爺に替わって、僕が二人を車に乗せて墓参するようになったのは2007年9月からだ。2010年2月にお袋が、そして今年の4月に親爺が逝った。
ところで、昨日が三日だったのだが、昨日は義兄の三回忌で墓参は叶わなかったゆえ、今朝N霊園へ墓参に行ったところ、至極桜紅葉が美しかった。今日は、事務所にて一日中机上の仕事に励むつもりで山野走を楽しむ予定はなかったのだが、その華やかな桜紅葉に誘われて、やらなければならない仕事があるにもかかわらず、“くろんど園地”へとやって来てしまった。しかし、“くろんど園地”には桜の木が少ないのだろうか、N霊園のような華やかな桜紅葉の色彩を見ることは殆どなかった。
“キャンプ場” を後にするとき、「手袋を持ってきて正解やった」と思った。そのとき僕の両手指先は冷気で固まり始め自由が利かなくなりつつあった。次に“やまごえの路”へと足を踏み入れて以降今度は、「ヘッドランプを持って来るべきやった」と後悔すること頻りであった。そのころより私市駅に到着するまで僕の眼は、足下のみを見て走ることとなった。日没がもう其処に迫っているため草原広場へ行くのを諦め、“すいれん池”より真っ直ぐ、夕闇が近づく道を“私市駅”へと急いだ。これからの季節、午後に山野走を楽しむときは必ずヘッドランプを携行しなければならない。
“さわわたりの路” を行くとき、仄暗い足下を極めて小さな紫色の花が後方へと走った。それが如何なる花なのかと、10m余り引き返し暗くなり始めた道上を「この辺りの筈だった」と腰を屈め地面を注視すると、それはスミレのように見える。今の季節に花咲くスミレがあるのだろうかと、地面に着かんばかりに頭を垂れつくづく眺めると、それはやはりスミレで、周辺を見廻すと計三輪の開花するスミレがあった。