◆撮影:2012年10月14日、八雲ヶ原湿原(比良山系)にて
(アキアカネ)
2012年11月7日(水)
『山野走』
<ほしだ園地>
【コースタイム】
[私市駅]6:19:00→[星の里いわふね]→(かわぞいの路)→6:40:36[ピトンの小屋]6:46:00→(さえずりの路)→7:00:19[やまびこ広場]7:04:00→(まつかぜの路) →7:22:56[飯盛霊園・境界鞍部]7:27:00→(せせらぎの路) →(管理道)→[やまびこ広場]→(さえずりの路)→(管理道)→[ピトンの小屋]→(かわぞいの路)→8:09:58[私市駅]
<親爺と映画>
私市へと向かう京阪電車線各駅の階段を上るとき、いつものことだが脚が至極重たく、「こんなんで今日、走ることが出来るんやろか」としばしば考える。また、走り始めてから10分くらいまでの間に、「何でこんなしんどいことをしてるんやろ」「ここで走るのを止めて引き返そう」などという思いが僕の脳裏を掠めたりする。しかし不思議なことに、未だ一度たりとも途中で引き返したことはない。
今朝、“かわぞいの路”にある103段の階段と、“さえずりの路”の階段の大部分を歩いてしまうが、総じて快調に走れたように思う。ところで、今朝走るときに心掛けたことが二つある。一つは「背筋を伸ばし、しっかりと腕を振る」であった、それは先日上さんが「前屈みで年寄り臭い歩き方や」と、僕の歩く姿勢を指摘したからだ。二つ目は、「右腰や左膝をかばった走り方は止めよう」であった。今朝起きてから暫くの間、重たかった腰は僅かな違和感のみで済んだが、左膝には終始痛みがあった。
「なんで快調やったんか」と考えるとき、身体的にそうであったと云うよりも精神的な部分の方が大きかったのだろうと思う。それは、この4月に逝った親爺のことを終始考えていたからだろう。走る間に親爺との様々な記憶が蘇ったが、中でも、認知症の進行が加速し始めている親爺と、その介護に腐心するお袋との三人で行った映画鑑賞時の記憶がもっとも強烈に蘇った。その映画は、藤田まこと主演の“明日への遺言”で、僕が何故戦争にかかわる映画を選択したかと云えば、「主題が戦争にかかわることであれば、認知症が進んでいる親爺であっても、大正11年生まれの親爺なら理解できるのではないか」と考えたからだ。そして鑑賞後に感想を訊いたところ、「私には関係がない」と一言だけ発した親爺の言葉を僕は今も明確に覚えている。
京阪電車交野線車中より見る東方の空を鉛色の高積雲が覆っていたが、飯盛霊園境界鞍部から見る狭い空には一点の雲も無い青空があった。そして半月もあった。また、磐船街道入口に設置された「電光道路情報表示板・気温計」に往路でプラス8℃とあった。