裏ユキヒロック

ロックとバイクとラーメンが大好きだ。

責任のとり方

2016年06月08日 | 考えてみたシリーズ


「辞める=責任をとる」の図式は随分と、日本人特有な考えと思う。

「切腹」からの名残りなんかな?

「死んだら許す」はまだ理解できますが、

「辞めたらチャラ」は、むしろ本人を「楽」にするだけじゃない?

・・・では、「責任をとる」ってどういうことだろう?

ひとつ良く考えなきゃいけないのは、「その責任」ってのは、一体

「誰に? 何に?」を明確にする必要があると思うのですが、

昨今は、そこが非常に曖昧のまま とにかく責められてる人をよく見かける。

法を犯したのであれば、「法律的な処罰を受け入れること」

金銭的な損失を出したのであれば、「金銭的補填を行うこと、今後の仕事で補うこと」

期限までに結果が出せなければ、「結果が出るまでやり続けること」

責任をとると言うことはそういうことですよね? 使い込んだお金を全部返金したらOKと言う意味ではないけど。


と言うことは、「責任をとる」は、「やらかした」を上回る補填

・・・少なくとも補填しようとする努力をみせること?

同じ過ちをしないための再発防止方法を実践する・・・で良いのかな?

「責任は 取るものでなく 果たすもの」


厄介なのは「道義的」とか「倫理」とか「感情」とかで「責任をとれ!」と責められた場合。

対象が曖昧で、誰にどのように、どこまでやったら「責任がとれる」ことになるのかがわからない。

ゴール・・・ストーリーのエンディングが見えない。

ネットの発展で「叩く」技術だけが一方的に発達したけど、その出口・・・ゴール、エンディング

・・・「責任の取り方」というか・・・たぶん最終的に「許す」の技術も

向上しなくちゃいけないんじゃないかと思う。


ちなみに、「盗んだバイクで走り出す~♪」の尾崎豊の歌をリバイバルしたGUのコマーシャルが、

「犯罪を助長している」とBPOに苦情があったと言うニュースをみたが、呆れた。

「単なる昔の歌じゃん!」と思う反面、

あまり感じの良いCMではないし、あのCMで服を買いたいと思うヤツがどれだけいるのか?

誰が得してるのかは・・・確かに不明だし、面白くもなんともないのは認めるが、曲に罪はないと思う。


「よーし!バイクを盗もう!」って思ってる馬鹿なヤツは、あのCM見ようが見まいが盗むと思う。

「叩いてる人」の質の低下は、誰がどのように責任をとるのだろう。


人生やり直しは出来ないけど・・・

2016年05月31日 | 考えてみたシリーズ
人生、やり直しは出来ないけど、

仕切り直しは、何度でも出来る!

なるほど、確かにその通り。

タイムマシンでも出来ない限り、過去に戻ってやり直すことは出来ないが、

一旦、反省して同じ過ちを繰り返さぬにはどうしたら良いか考える。

謝るべき所は謝るのは必要と思いますが、一旦どこかで仕切り直して

再出発しないとね。

しかも、一度失敗してるということは、その経験を活かせる訳ですよ。

何も失敗していない人より、再出発しようとする人の方が次に上手くいく可能性が高いのではないでしょうか?

「人間、そんなに変わらないよ・・・」と言われるのも確かですけど。

怪しい彼女(韓国 2014年版)

2016年05月22日 | 考えてみたシリーズ
2014年 韓国映画 「怪しい彼女」




日本版としてリメイクされる?された?ようですが、本家の韓国でもまたリメイクするとのこと。

・・・で、結論から申し上げますと、これが久しぶりに面白い韓国映画だった。


まー、お婆ちゃんが20歳の姿に戻ってしまい、繰り広げられるドタバタ・コメディー

・・・と言ってしまえばそれまでだけど、まー、ありがちな設定とも思えるのですが、

この映画は「歌」が(・∀・)イイ!!のです。

音楽映画の要素も加わったり、家族愛とか隣人愛とか人生愛、人間愛的な凄く愛に満ちた映画。

「人生の機微」と「歌」が、とても心揺さぶられる。

細かいとこが破綻してるのが韓国映画の特徴だと諦めていましたが、

この映画は最初から最後まできちんと練られていて、破綻もない。

実によく出来た映画。

日本でのリメイクも、韓国でのリメイクもわかるような気がします。

大作ではないですが、前知識なくこれを観たら、儲けたと思うと思う。

これは「見るべし!」っす。








東京オリンピックの新しいエンブレムについて、考えてみた。

2016年05月21日 | 考えてみたシリーズ


都庁に貼られたという、新しい東京オリンピックのエンブレムのニュースを見て・・・

はっきり言って、あのエンブレムはダサいと思う。

無料でロゴをつくれるサイトのサンプル・レベルじゃありませんか?

パクリ疑惑だった最初に決まってた方が断然良い。

あの時に一緒に話題になった景品のトートバッグの方は別として、

エンブレムの方は、全くパクリだとも思えないし・・・。

結局、どんどん無難で保守的な「デザイン」を採択していけば、

それは「デザイン」要らなくなるのでは?

完全無垢な「オリジナル」なんて存在しないと思う。

無人島とかアマゾンとか、あ、宇宙人とかでもなければ、

無意識であっても、どこかで誰かの何かの影響を受けながら形成されていくんだと思う。

ましてや、これだけの情報社会ならどうしても「リミックス」にならざる得ない。

音楽でも基本は「ドレミファソラシド」の組合せなんだから、そりゃー似ますって。

また、人間が気持ちよく感じる進行とかパターンがあるんだから、しょうがない。

問題になったエンブレムは、故意にそのまんまパクったのとは違うような気がします。

批判があると全部「やめればいい」風潮では、新しい文化の創造を妨げてるのでは?

最近の「しくじった人々」の公開リンチの傾向も同じように感じます。

「謝って、辞めれば終わり。」では、何も解決されていない。



「明日の食文化をデザインする。」(嘘だー!駄洒落ブログの癖に!)大盛りユキヒロックも良かったら見てね。





考えてみたシリーズ、コンビニの年齢確認問題について考えてみた。

2016年05月19日 | 考えてみたシリーズ
娘がコンビニでバイトしてるのですが、「あの年齢確認ってさ、意味なくね?」って話になり、
少し考えてみました。



もちろん、20歳未満の飲酒・喫煙はいけませんという法律があるので「いけません!」なのは大前提の上での話。

あのコンビニのレジでの年齢確認ってのは、基本的に「自己申告」なので、虚偽の申告をされてもわからないのが現状ではないかと思います。

お店側としては、「うちはちゃんと確認したのだけど・・・」という既成事実さえあれば良いのではないかという消極的な感じを受けます。保身的な立場。

そもそも、明らかに未成年者と思われる人に、一言確認すれば良いだけだと思うのですが、若いバイトさんや女性の方だと「怖い」し、暴力的なトラブルの原因にもなりかねない、難しく大変なのも理解できます。

一歩踏み込んで「身分証明書」的なものを提示するとか、「ピッ」とデジタルに認証するのも良いと思うのですが、あの「taspo」って何処に行ったんだろう?っていう軌跡をみると、うまくいかないのかも。

「飲みたい奴はどんなことしても飲むだろうし、吸いたい奴はどんなことしても吸うんじゃないか?」
という性悪説と、売る側ばかりでなく買う方・・・つまり「家庭での躾や教育できちんと対応したら良い話」じゃないのかな?

そもそも、人生80年と言われてるのだから、未成年ってのは1/4・・・でも実際には10歳~19歳くらいが年齢確認の必要がある世代。人口の10%・・・その中でも「法律を破ってでも飲みたい、吸いたい人」なんて比率はどのくらいなのでしょう? 数パーセントですよね。(吸うパーセントかい?)

こんな僅かな人、しかも悪いことをしようとしてる人の為に、9割以上の「無実の人?」があのボタンを押さなくていけないというところに大きな矛盾があるのではないでしょうか?

逆じゃないですかね?

そこで、何か無実の人にもメリットがあれば、話は別かもと思います。

例えば、画面に「すみません、お若く見えたもの・・・」とかの一言が表示されるとかね。

ワンタッチした分が、募金になるとか?

ルーレット・スタート!でクジになってても面白いなぁ~。

時々、質問の内容が高度になるとかね・・・

「実年齢は20歳以上ですが、精神年齢は未成年のままですか?それでいいんですか?」

「永遠の18歳でいたいとは思いますが、実際は20歳以上?」

>答えにくいわ!

タッチすると、瞬時に血圧が表示されるとかは、どうだろう? いっそ、体重が表示されちゃうとかね・・・メタボ防止、健康促進。
健康保険が少なくすむのは、国民全員に恩恵がある訳ですし・・・

>って、おまいが言うなや! 重すぎて、計れないと思う!(^^ゞ



ま、結局は・・・黙って押してますけど。(汗) そういう物分りの良い大人でいいんだろうか?


良かったら、大盛りユキヒロックもどうぞ。ほぼ毎日更新しております。



考えてみたシリーズ、クマ問題を考えてみた。

2016年05月14日 | 考えてみたシリーズ
アニメ「輪るピングドラム」4巻目まで観たけど、挫折しました。wikiでだいたいのストーリーを知ってしまったら、観る気が失せました。(^^ゞ

それはともかく、「生存戦略」という意味のあるようなないような言葉が妙に印象に残っています。

その「生存戦略」というキーワードと、近年、山里や市街地に現る「ツキノワグマ」について考えてみたいと思います。



人間の方からみたら「わー!クマ出たー!怖いー!」

でも、クマの方も「わー!人間出たー!怖いー!」と思ってるはず。しかも、山の中の木の実なんか喰ってるより、里山や市街地に出てきて、畑や生ゴミなどを喰ったほうが簡単だし、美味に決まってる。

このまま「クマは危険だから」と、駆除を続けていたら、日本オオカミのように絶滅してしまうのではないかと危惧しております。

なんとか、共存の道はないものか?

自然界は「弱肉強食」ではなく、「適者共存」である。。。という話を前に書きましたが、その前にも「ハンダ」という記事で、クマ問題を少し話しました。

つまり、「クマの毛色を変えるだけで、共存の道が拓ける」のではないかというアイデアです。

ツキノワグマをパンダ柄にするだけで、「怖い」が「可愛い」に変わる。

題して「ツキノワグマ、パンダ化計画。」なのです。

パンダはあんなに人気で、世界的に保護されているのに、ツキノワグマだって、パンダのような珍しい柄だったら、絶対に殺されないんだと思います。

カラスも同じなんだけど、「黒」ってのがイケない。

「白いカラス」「白いクマ」だったら、珍重されると思うのですよ。パンダ柄は無理なら、せめて「白」になれば殺されにくいのでは?

今の科学をもってすれば、そのくらいの遺伝子操作が出来るような気がする。

もともと、ツキノワグマは人間を襲って食いたい訳ではないのだから、互いに「怖い!」という感情さえなくなれば、性格も大人しく、優しくなれるはず。

きっといつの日か共存できる世界が来るのでは?

適者共存・生存戦略としては、「ツキノワグマ、パンダ化計画。」





あれ?これって人間同士の戦争も同じじゃね? 世界平和にも一石を投じる形になってませんか?

みんなパンダになればいいんじゃね?って話。どうよ?


良かったら、大盛りユキヒロックもどうぞ♪