裏ユキヒロック

ロックとバイクとラーメンが大好きだ。

3月も終わりだね。

2018年03月31日 | ひとりごと・日記
誕生日月って、いつもの月より短く感じるのって・・・俺だけ?

別に何がって訳ではなく、なんとなく期待感みたいなのがあって、

結局、「何もなかったねぇ~」と言う、喪失感的なものに変わるのかな?

だから、あっという間に終わったと言う印象が残るのかな?

「一日を一生と思って過ごせ!」みたいな、偉い人の言葉でいくと、

人生ってとても短く感じるのでしょうね。

いえ、何もなかったってことは、「便りのないのはよい便り」で、とても良かったのです。



桜のつぼみもだいぶ大きくなっていました。

来週くらいには咲き始めるのかな?

根っこ

2018年03月28日 | ひとりごと・日記


草原に立っている一本の木を想像してみる。

普段は地上に出ている部分しか見えてないので、

葉っぱが増えたな、花が咲いたね、、、いや、花が枯れてしまった、葉っぱが落ちた、風で枝が折れた・・・

地上に出ている部分は、気候や風や雨など外的要因・・・つまり他者との関係性に左右されてる状況。

花が咲き、運が良いとか幸せだとか、花が枯れて運が悪いとか、不幸だと一喜一憂してしまう。

でも、自分で気温を司ることも、風を止めることは出来ないし、

花を永久的に咲かし続けることも不可能。

地上に出てる為、目に見えてる部分だから、捉えやすいけど、それはあくまで他力本願?であって、

自分でどうにか出来ない部分がほとんど。

・・・でもどうでしょう?

「根っこ」がしっかりしていれば、また花を咲かすことも出来るし、枝を伸ばすこともできます。

「根っこ=自分の心」と思えば、根っこさえしっかりしていれば自分でどうにか出来るし、

花が散った事を悲しいこととは思わなくても大丈夫。

しっかり水分や栄養(勉強や努力のこと)をとって、根を張って、根を太く成長させることで、

ぐんぐん地上の現実の部分も良くなっていく。常に根っこの部分を清く正しく美しく保つべし!

・・・と言うような自己啓発?倫理なんちゃらって言う会の講演ビデオをyoutubeで見た。

理屈はわかったけど、それって逆に言えば他者は全部必要ない、関係ない!って事じゃん。

唯我独尊・・・山奥で荒行を終えた高僧の悟りみたいで、なんか寂しい考え方だね。

ものすごく孤独であり、虚しくないかい?

花が咲いたら嬉しいし、枯れたら悲しいって事を素直に感じて、傷ついて、癒やされて

そんな繰り返しが、生きてるってことなのでは? 

・・・とか思う。

ただ、この「根っこ」の考え方、捉え方をしたら、現実の世界はだいぶ楽にはなるよね。

楽になるのは、良いことなんかな? 

良いことなんだよね?(^^)

ただ、楽に生きてるようにみえる人が、羨ましく思う気持ちが自分にあるのは間違いない。

要は、全無視! アウト オブ 眼中! 

何も考えない、感じない 阿呆を装い、己だけを高めよ!って感じかな。

違うかな? 

・・・違うね。(^_^;)

東京タイムトラベル2018 春 その4

2018年03月23日 | ひとりごと・日記
その1その2その3 の続き)

翌日は、お昼から上野広小路にある「鈴本演芸場」です。ええ、そうです、落語を見る覚悟です!!(回文)

タイムトラベラーの先輩は、2日目も史跡巡りをしたかったのだと思うのですが、やや強引に「古典落語もある意味、江戸へのタイムトラベル」・・・とお誘いしたのでした。







私は、こちら3回目になるかと思います。お弁当やお酒持ち込みOKなので、しかと準備して参りました。

今回は「これぞ!」って感じはなかったのですが、全体のバランスが良かったです。ホームランさんとか、3回とも出演されてたような気がします。(笑)

正直、今日も一日歩き回るってことになっておりましたら、挫折してました。。。もう歩けません。 体力と申しますか、体重を何とかせねばならんと、今回の旅でつくづく思い知らされました。よーし、体重落とすよ!マジで頑張るよ!また行きたいもんね。

・・・と、のたまいつつ呑む・・と言う。。。愚行。(笑)

上野駅の近くの「庄や 上野駅前店」に・・・しょうや・・しようや♪ ってことになりにけり。
「はい!よろこんで!」の庄やグループ。



もつ煮を「タイタ・ニック」とかって云っちゃう感じ、、、軽いシンパシーすら感じるメニューの中で、凄いの見つけました。 でも、10Fで豆腐は・・・いただけないと思うぞ。



福島県の「いわき」名物「メヒカリ」発見!! マジか?なんでじゃ? からあげでしたが美味。むかし、福島に所縁ある方から食べさせてもらい(その時も唐揚げだったな)あまりにも美味しかったので、福島まで探しに行ったことがありました。まさかこんな所で再会するとは・・・メニューにしっかり「目を光らせていた」お陰ですね。メヒカリだけに。



トマトジュース+ビールでレッドアイなら、たまに呑みますが、今回は「トマトハイ」でした。ってことは焼酎ベースなんでしょうね。タバスコが付いてきたので入れてみたら、これが辛味というよりスパイシーになって刺激的。

帰りの新幹線が、大宮から長岡までノンストップなので、たった90分で帰れちゃいました。こんなのあるのね?!びっくり。



新幹線の席の前には「私をスキーに連れてって」の平成Ver.の「私を新幹線でスキーに連れてって」の広告が貼ってましたが、ガーラ湯沢とか停まらないし。(^_^;) 

それにしても、この映画 懐かしいのですが、原田知世さんのアンチエイジング具合はどうなってんすか?! まさか本当に「時をかけてる」んじゃないでしょうね?!

えー、今回のタイムトラベルにふさわしく、「時をかける少女」を見つめながら、無事に終焉と相成りました。
長文、失礼つかまつりましたが、ご清聴ありがとうございました。(聴いては居ないのか?)

また、次回までには痩せて、体力つけて出直そう! 今回、誘っていただいた先輩に感謝しつつ

・・・おしまい。

オマケ

お土産は、東京ばな奈のパンダのものが可愛かったので、、、バナナ・ヨーグルトのクリームでちょっと爽やかでしたよ。パンじゃないけど、パンダ。

東京タイムトラベル2018 春 その3

2018年03月22日 | ひとりごと・日記
その1と、その2の続き)

(古谷)一行(いっこう)は渋谷へ。「どんだけぇ~♪」(それ、IKKOやね)
いやはや、ひとりなら絶対に近寄らない街です。もっとも似つかわしくない街、、、それが渋谷。



渋谷駅前は、イメージ通り、ハチ公の前で待ち合わせの人の山。「これ、渡れんのか?」ってくらい、どっから集まってくるのかわからないスクランブル交差点で動画を撮ってみたりしました。すくらんぶるろけんろー♪ ちょっとした棒倒しとか騎馬戦の勢いっすね。「いざ出陣じゃ!」ですな。

渋谷ってくらいですから、やはり「谷」だったんでしょうね。ちょっと調べてみますと、、、


何万年もの時をかけて渋谷川と宇田川が削ってできた谷を東西方向に横断しようと、いつの日か渋谷川に橋が架けられ、谷に二つの坂ができた。橋は宮益橋で、二つの坂とは現在の、東が宮益坂で西が道玄坂である。鎌倉時代には既に鎌倉街道としてこの谷越えルートはあったのでその歴史は長い。日経電子版より)

なので、坂道(のアポロン)をノッシノッシと上がって行きます。結構、足にキマてます、キテます。







日本放送協会(NHK)の真ん前にある渋谷税務署の一角に慰霊碑があります。慰霊碑と言うか、観音像が天に向かって指をさしてました。何かを意味してるんのかな?・・・とても印象的でした。 
ここは東京陸軍刑務所の跡地でニ・ニ六事件を首謀した若い将校が処刑された場所です。

ニ・ニ六事件とは?
1936年2月26日早朝、東京は何十年ぶりの大雪だったと言う。陸軍の青年将校に率いられた約1500人の反乱部隊が決起して首相官邸などを襲撃した。日本列島を震撼させたクーデター未遂事件の模様を写真で振り返った。襲撃を受けた岡田啓介首相は無事だったが、高橋是清(これきよ)蔵相、斎藤実(まこと)内大臣らが殺害された。反乱部隊は陸軍省、参謀本部、警視庁などを占拠、永田町周辺を封鎖した。
部隊を指揮した青年将校らは、「昭和維新」を掲げて陸軍部内で国家革新を目指した「皇道派」グループに属し、クーデターによる天皇親政を目指していた。しかし、昭和天皇は「最も信頼する老臣を殺傷することは真綿にて我が首を絞めるに等しい行為」と激怒、鎮圧を命じた。
2月29日、戒厳司令部は約2万4000人の兵力で反乱軍を包囲して戦闘態勢をとった。そしてラジオや飛行機からのビラ、アドバルーンなどで「今からでも遅くないから原隊へ帰れ」「お前達の父母兄弟は国賊となるので皆泣いておるぞ」などと、下士官・兵に帰順を呼びかけた。このため大部分の下士官・兵は帰順し、青年将校も野中大尉が自決したほかは、憲兵隊に検挙され、東京陸軍刑務所だったこの渋谷の地で弁明の機会もない軍法会議ですぐに処刑された。
当時は、この事件の前に海軍青年将校らが起こした五・一五事件(1932年)があり、犬養毅総理を殺害ほか、各地を襲撃したが禁錮15年以下の刑しか受けなかったことも二・二六事件の動機の一つになったともいわれる。ただし五・一五事件は古賀清志海軍中尉らの独断によるテロであり、将校としての地位を利用して部下多数を動員したクーデターではないとされている。
皮肉にも、この事件の結果、皇道派は壊滅し、東條英機ら統制派の政治的発言力がますます強くなってしまい、5年後の太平洋戦争の開戦へと繋がっていくことになった。


前出の高橋是清もこの事件で殺害されました。(その2 参照

もしも、、、たらればの話をしても仕方ないのですが、この「昭和維新」を唱えたクーデターが成功していたら・・・もしかして、太平洋戦争は起こらなかったのかも知れないと思うと、大きなターニングポイントだったとも考えられますよね。「その時、歴史が動いた!」じゃないですかね?噂では、近くで軍靴の音がするとかNHKのスタジオでは将校の霊が出るとか言われてるらしいです。(^_^;)
確かに、やったことは殺戮であって人道的には決して良いことではなかったと思いますが、20代のまだ若い将校たちの「国をおもうんがばかり」の純粋な気持ちを考えるとあまりにも無念だったことと思います。

逆に、面白い話としては、実は5代目の「柳家 小さん」がこの事件で反乱兵士として参加していたと言うか、させられていたらしいのです。
前座時代の1936年、大日本帝国陸軍歩兵第3連隊に徴兵され二等兵となる。同年2月26日に起こった二・二六事件では、反乱部隊の機関銃兵として警視庁占拠に出動した。小さんや同僚兵士は事前にまったくクーデター計画を知らされず、当日出動命令を受けて支給された弾薬が実弾だったことから「あれ、今日は、演習じゃねえんだな」と思った。反乱部隊の屯所に畑和(後の埼玉県知事)らとともに詰めていたが、知らぬうちに自分たちが反乱軍に参加していると知って意気阻喪気味の兵士を見た指揮官に「士気高揚に一席やれ」と命令された。持ちネタの『子ほめ』を演じたが、「えらいことしちゃった」と悄然としている兵士たちは笑うわけがない。「面白くないぞッ!」のヤジに、「そりゃそうです。演っているほうだって、ちっとも面白くないんだから」と返した(本人の回顧談)。

どこまでがホントでどこまでがネタなのかわかりませんが、ほとんどの下級兵たちは何も知らずに参加していたと言うより、させられていたようです。事件のあった霞が関周辺でも通り一本違えば、一体何が起こっているのかよくわからなかったらしいです。


(タイムトラベル感出してみました。Amwayの本社ビル?のオブジェ)

その場所から徒歩でトホトホ・・・(もう、いいんじゃない、そのくだり)坂を下るように歩いて行くと、古い米屋さんがあります。



その隅の電信柱の影に隠れるようにして小さな小さな慰霊碑がありました。



渋谷暴動事件
昭和46.11.14 沖縄での沖縄返還協定批准阻止のゼネストに呼応し、渋谷、四ッ谷などで行われた沖縄返還協定批准阻止闘争。騒乱。中核派の学生ら約400人が渋谷で警戒中の機動隊や渋谷駅前派出所を襲撃。
この時、関東管区機動隊新潟中央小隊(新潟中央警察署)の中村恒雄巡査(当時21、2階級特進で警部補)を鉄パイプで殴り、大坂正明が火炎瓶を投げつけ殺害した。他に3名が重傷。その火炎瓶を投げたとされる指名手配だった大坂正明容疑者が2017年6月に逮捕された。過激派「中核派」は大坂容疑者の46年に及ぶ逃亡生活を組織ぐるみで支援していたとみられる。


今回の旅に誘っていただいた時に聞いたこの事件の話、被害に遭われた巡査が新潟の方と言うことで、とてもショックだったのですが、現場に行って・・・もっとショックでした。同僚の警察官がカンパを集めて、ここに慰霊碑を建立したと聞いていたのですが、地元のおばあちゃんから「え?何かあるの?」って聞かれたくらい、こんなところに?って感じの小さな小さな慰霊碑でした。黒御影の慰霊碑にはこんな句が記されております。

『星一つ 落ちて都の 寒椿』 新潟の女性の警官の句らしいですが、星一つとは亡くなられた巡査の階級とのこと。

・・・手を合せると、涙が出そうで切ない気持ちになりました。

この後、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」って映画を観ました。警察側からの視点で撮られた「突入せよ! あさま山荘事件」の映画を観た若松孝二監督が私費を投じて、赤軍派の視点から撮った映画の方です。なので、大学の学費値上げ反対から始まった学生運動が、どうして、あさま山荘に立てこもったのかと言う一連の流れがわかりました。

事件の流れがわかった上で、改めて思うのは、ニ・ニ六事件とは違って、全く共感できる余地がない虚しい事件で、被害者も加害者も、何でこんな事にならなければいけなかったのかわからない、わかりたくないと言う感想です。

ただただ、合掌。 お悔やみ申し上げます。

そしていよいよ、このタイムトラベルも本日最後のタイムリープ地点「九段下」で、「九段会館」の見学です。(九段会館については、以前の記事をご参照ください。



到着は、夕方5時前くらいだったと思います。まだ陽が沈む前でしっかり見ると事ができました。心配してた「工事中」とのことでしたが、外壁に足場など掛かってる訳でなく、内部の解体工事を進めてる感じでした。











ニ・二六事件の時には、この建物が戒厳司令部が置かれていたのは事前に知ってましたが、実は屋上には靖国神社の分神が祀られているほか、陸軍大将・乃木希典の歌碑も建てられていたのだそうです。。。ぎゃー!ここで繋がったー!凄い!



後ろに大きなビルが建つようですが、特徴的な「城郭風」の建築様式を一部残されると言うことなので、とりあえず一安心。工事前に見れて良かった。

さて、夜は打上げです。「たべものがかり」の出番ですが、下調べすればするほどどうして良いか、何処へ行ってよいかわからなくなります。私は息子のアパートに泊めてもらうので、東西線沿いが希望で、同行の先輩の宿は上野。互いに別々の方角だったので中間地点で同じ路線の駅=「日本橋」が良いのではないか?と思ってたのですが、あんまり魅力的なお店も見つからず、こうなったら出たとこ勝負!と言う掛けに出ました。

大手町周辺だったら?と思い降りてみたら、全くない・・・仕方がないので「神田」方面に、なんだ神田?歩いてくと、神田駅前で、ちょっと良さそうな焼き鳥屋さん発見。。。その名は・・・大衆酒場 五郎 神田西口店。













うむ、焼き鳥共の夢のあと。。。でござる。

まー、どれを食べてもごくごく普通。 ひとり2500円くらいだったと思うので、まー、お値段もごくごく普通。(^_^;)
ドリンク1杯無料券をもらったけど、もう行くことはないと思われます。(泣)

2軒目は、もっと駅に近い「テング酒場 神田店」。





オニオンスライスを頼んだけど、ライスが付いて来なかった件!!(笑) 

椎名誠さんが、学生の頃だったか?サラリーマン時代だったかに、1番安くてお腹が膨れそうなメニューを探してたら「オニオンスライス」を「オニオン+ライス」だと思って頼んだ話を思い出します。

ここでは、日本酒をいっぱい呑んでしまって、西葛西まで帰れるか?危険信号が点りましたが・・・なんとか、東京駅まで行って、東西線に乗ることが出来ました。

酒のチカラを借りて、なんとか歩けましたが、もう「・・・体力の限界。」千代の富士の引退会見みたいな事を・・・私の足が申しております。私じゃないよ、私の足が申しておりまする。

東京タイムトラベル2日目は、、、その4に続きます。

東京タイムトラベル2018 春 その2

2018年03月21日 | ひとりごと・日記
その1の続き。)

東京メトロ 銀座線 青山1丁目駅へ移動。。。移動してもいいどー! いいども!

青山通り、赤坂郵便局の前を通って、「高橋是清記念公園(たかはしこれきよ きねんこうえん)」へ。
え?寒い?じゃー、、、これ着よ!(このペースで駄洒落みたいなの入れてく気か?・・・正気か?)





高橋是清 記念公園とは
明治時代後期、日本の金融界の重鎮であり、大正から昭和初期にかけて首相、蔵相をつとめた政治家、高橋是清(1854~1936)の邸宅跡です。昭和13年、記念事業会が東京市に寄与して同16年に記念公園として開園し、昭和50年に港区が管理をするようになりました。
邸宅は移築され、現在では都立小金井公園内の「江戸東京たてもの園」にて公開されています。
大蔵大臣だった昭和11年に2月26日、赤坂にあったこの建物の2階で、陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らによる「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件、俗に言う「2.26事件」により暗殺されました。


風貌が達磨に似ていたので、「だるまさん」と呼ばれ親しまれたらしいです。波乱万丈な人生で、12歳で渡米留学した時に、奴隷として売られたり、相場詐欺や銀鉱山の開発の詐欺など何度か全財産を失うことがあったそうです。達磨だけに七転び八起きな人生。日銀では手腕をふるい首相より、蔵相の時の方が評価が高いそうです。蔵相なのに、ずいんぶん、明るそうですよね。

そうなんです、ここで「ニ・ニ六事件」の舞台が登場しました。言わば事件の被害者側の史跡になります。この後、渋谷に移動しますが、そこで加害者側の史跡に立ち寄りますので「ニ・ニ六事件」の詳細はその時に詳しく。

駅に戻るようにして、今度は乃木神社へ、徒歩で・・・とほとほ移動。(とぼとぼ・・やね)

本来は寄る予定はなかったようですが、建築の仕事してる自分の「乃木 旧邸を見てみたい!」と言う希望で廻っていただけることに。

乃木希典とは? 
のぎまれすけ(1849―1912)
陸軍大将。嘉永(かえい)2年11月11日、長州藩士族乃木希次(まれつぐ)の三男として江戸藩邸に生まれる。萩(はぎ)(山口県萩市)の明倫館(めいりんかん)に学び、報国隊に属し、戊辰戦争(ぼしんせんそう)では東北を転戦。維新後、フランス式軍事教育を受け、1871年(明治4)陸軍少佐となる。西南戦争では歩兵一四連隊長として出陣、植木の戦いで西郷軍に軍旗を奪われ、自決を決意したが思いとどまった。1886年11月ドイツ留学、翌1887年6月帰国し、近衛(このえ)歩兵第二旅団長などを経て一時休職となったが歩兵第一旅団長に復職。日清戦争には第二軍に属し、戦争末期には第二師団長となり、台湾に進駐し、1896年に第3代台湾総督となった。日露戦争には第三軍司令官となり、大将に昇進、旅順(りょじゅん)を苦戦のすえに攻略。凱旋(がいせん)後、軍事参議官、1907年(明治40)には学習院長(昭和天皇の教育係とのことです)を兼任、伯爵を授けられる。1912年9月13日、明治天皇の大喪儀(たいそうぎ)当日 妻静子と自刃した。






留学中に見たフランス連隊本部を参考に設計した邸宅だそうです。横張りの黒い外壁が「っぽい」ですね。
この周辺は大使館とか多く、その昔はお屋敷ばかりなのでそれと比べるととてもコンパクトで質素過ぎる建物ですが、人柄が偲ばれます。



中には入れませんが、周囲を橋みたいなので囲んでいるので、中も窓越しに覗けるになってます。内部も質素ですが、キリッとした清潔感のある内装。





レンガ造りの馬小屋の方が立派なくらいです。


乃木神社の入口には枝垂れ桜が咲いてました。ソメイヨシノより早いようですね。



乃木坂46の由来になった「乃木坂」。それまでは「幽霊坂」などと呼ばれていたようですが、乃木将軍の名前をいただき、乃木坂になったそうです。 乃木神社の隣にはジャニーズ事務所があるそうで、平成の世では何故か?アイドルに縁のある乃木将軍。



そして、渋谷へ移動です。

東京メトロの銀座線の車両の黄色とえんじ色が可愛い。東京レトロな感じ。





・・・その3に続く。

東京タイムトラベル2018 春 その1

2018年03月20日 | ひとりごと・日記
行ってきました!東京~お江戸。

普段歩かないので足が棒になりましたが、、、棒って言うより、どっから見ても丸太。丸太ん棒っす。丸太ん棒将軍っす。

旅の行程は、無料で登録不要の「デジタル 旅のしおり」をつくれるサイト『工程さん』ってのがあって事前に作ってました。
旅に関するリンク情報など貼れるので便利。一緒に行くメンバーで共有して書き足していけるので盛り上がります。

ちなみに今回の「東京タイムトラベル 春」の「旅のしおり」はコチラ

今回、タイムリープする時代は・・・
●江戸時代~明治(江戸城と、乃木将軍)
●昭和初期「ニ.ニ六事件」
●戦後の学生運動「渋谷暴動」
の3時代。 まわるまわるよ時代はまわる♪喜び悲しみ繰り返し・・・です。



タイムマシーンがホームに入ってきました。 そう、実は「タイムマシーンは2階建て」だったのです!?



3/17お昼に上野駅着でした。 



上野駅の新幹線のりばは、地下なのでエスカレーターで「上の」方へ登っていきます。(笑)
上野は北国の人達にとって、東京の玄関口なので妙に親近感ありますよね。東京駅より断然、上野駅の方が好き。

まずは腹ごしらえ。(笑)

今回の旅では「たべものがかり」(いきものがかりみたいに言うとりますが・・・)に任命されていたので、上野駅周辺のラーメンを下調べした結果・・・「東京タンメン トナリ アトレ上野店」。



東京で人気の「六厘舎」系列で、上野駅のところは、同じく「舎鈴」の隣・・・それでトナリなのか不明ですが、トナリどおしで行列作ってます。

快晴でしたが気温は低めなので、あたたかで野菜たっぷりのラーメンの方をチョイス!ちょいーっす!なんでも、このラーメンに乗ってる野菜(350g)で、成人一日分の野菜が摂れるらしいです。



丼ぶり小さめですが、万人が「ああ、普通に美味しいね」って思えるタンメンで、お塩な白濁したスープに炒め野菜がタップリ。あったまるわー。並んでいると言っても、そもそもお店がカウンターしかない、狭いお店なので「入りきれない」だけな感じもします。先に店の入口を開けて食券を券売機で買ってから、行列に並ぶシステムなのですが、初見ではちょっとわかりにくい。舎鈴の方が行列が長かったです。

・・・って、おーい!(お茶)どこがタイムリープやねん!「たべものがかり」のくだり長すぎじゃね?(^_^;)

ちぇっ! しょうがないなぁ~・・・話はこれからですよ、これから。

上野駅の「みどりの窓口」で、初めての「Suica」購入。2千円分をチャージ。この2日間は、基本的に地下鉄「東京メトロ」で移動予定です。いやはや今更何を言ってんだか?でしょうが、Suicaって便利ですね。田舎じゃ車移動ばかりなので、必要性を感じたことはなかったのですが、今回はSuicaさまさまでしたよ。冷やして塩かけて食ったろうかな?くらい・・・つまり、食べちゃいたいくらい便利でした。「日本を、1枚で」まさしくです。

おっと、また若干食べ物の話になりそうでしたが、Suica冷やしても食べれません。

まず向かった先は・・・虎ノ門。 虎ノ門の11番ゲートに江戸城の外堀りの石垣の一部が残されています。おっと、いよいよ平成から江戸時代へ「はじめてのタイムリープ」

♪しょげないでよBabyって感じ? 

ちなみに、「はじめてのおつかい」の挿入曲 BBクイーンズの「しょげないでよBaby」って、あの高樹沙耶さんの作詞なんですね。逮捕された時はちょっと使いにくかったみたいですね(^_^;)

文部科学省の脇、霞が関ビルの前に出てきます。ここに「外堀跡地下展示室」があって本物の石垣が見れます。



伊豆の石切場から舟で運ばれ、ここに積まれたそうです。その石に刻印された「矢羽」印は、豊後佐伯藩毛利高直の印で、この部分が豊後佐伯藩の担当区域だったことを示しているそうです。



江戸城外堀の石垣と高層ビルとの対比が面白いですね。日本最大の城「江戸城」もその当時は高層ビルを見上げるような感じだったのかも知れません。

あら、ようやく史跡ハンター・タイムトラベラーみたいになって来てませんか?! (^o^)

体力があれば、「江戸城 外堀を巡る旅」のようなのが出来たら、ブラタモリや、タモリ倶楽部みたいで面白そうなのですが、エスカレーターがあれば、必ず乗るようなタイプなので、、、厳しいね~。



虎ノ門のビルに、忍者を発見!だ ニンニン♪



開発が進む東京。重機が蠢きます。江戸時代の人から見たら化物みたいに見えるでしょうね。

虎ノ門の駅から暫く歩くと、ビルのエントランスの角に石碑があります。



こちらは日清日露戦争で活躍した「乃木将軍」の若き日の旧宅があった場所とのこと。ビルの管理人と思われる方が、ちょうど水洗いをした直後で石碑は濡れておりました。思ってたよりも大きな石碑でした。

乃木将軍については、この後、青山~赤坂に移動して現存する乃木将軍の旧邸が残る「乃木神社」に行きますので、その時に詳しく。

・・・その2に続きます。

明治~昭和へ

2018年03月16日 | ひとりごと・日記
「東京タイムトラベル 2018 春」の行き先については、先輩にお任せしているので詳細は不明ですが、
現在、知りうる情報では、虎ノ門で乃木将軍の石碑を見る・・・と言う情報をいただいております。



日露戦争では多くの犠牲者を出しながらも、その人望が敵方からも称賛されたそうですが、司馬遼太郎の『崖の上のポニョ』・・・違った、『坂の上の雲』では、天下の愚将として描かれてしまい、戦後はそのイメージも強いままの人物です。
日露戦争では自分の息子をふたりも亡くし、乃木将軍のせいと言うよりは本部の戦局の読みが甘く、兵数も大幅に足りなかったようです。
乃木将軍は晩年、明治天皇に忠義を尽くし、妻と共に殉死されてます。

虎ノ門の後に青山(時間なければスルー)と言う流れがあるので、「もしかして、乃木神社、境内にある乃木将軍の旧宅『乃木旧邸』に行くのかなぁ~?」という想像もあります。(^_^;) 出来れば行ってみたいなぁ~とも思います。



ちなみに、あの乃木坂46の乃木坂って、乃木将軍の乃木なんだそうです。幽霊坂と呼ばれていた坂が、乃木将軍の死後に乃木坂に名称を変更されたそうです。 更に、ジャニーズ事務所も隣くらいにあって、なんだかアイドルと縁がある感じになってます。

その後は、渋谷に足を伸ばし、昭和46年におきた「渋谷暴動事件」の現場になった、渋谷駅前交番に行く予定です。明治から昭和へ一気にタイムトリップです。



結局、あの学生運動って、何だったんでしょうか? 何かが革命できたのでしょうか?

実は、この事件で犠牲になった巡査が、新潟から派遣されていた方だそうです。若干21歳だったとのことで、ご冥福をお祈りしてきたいと思います。

この週末、その場所に自分で立ってみて、触れて、感じてきたいと思います。

天気も良さそうでGood。 自分の足と膝が保つかどうかが心配です。 でも、頑張ります。楽しみです。

九段会館

2018年03月15日 | ひとりごと・日記
いよいよ、今週末に迫った「東京タイムトラベル 2018 春」。

コンセプトは、『歴史が動いた、あの日、あの時、あの場所を時間と空間を超えて、タイムトラベル。』
実際にその場所に立ってみて、当時の人々の気持ちや思い、熱量を思いはかってみようって感じです。

今回のメインとも言えるタイムリープ地点は、九段会館。日本武道館の近く、一度はとバスに乗った時に前を通ったことはあったような気がします。



実は、旧名「軍人会館」で、ニ.ニ六事件の時に、この会館が戒厳司令部となったそうです。



戦後は講堂や宿泊施設、結婚式場や、なんと屋上でビアガーデンをやってたこともあった(笑)そうですが、あの東日本大震災の天井崩落事故で犠牲者も出てしまい現在は閉館してます。東日本大震災の最初の犠牲者は東北ではなく、実は東京都内の九段会館だったそうです。

2017年9月に財務省関東財務局が実施した一般競争入札で東急不動産が落札。城郭風の建築様式を残しつつ、地上17階建て(高さ約75m)の複合ビルに建て替え、2022年度中に開業する計画なんだそうです。

こないだ、いよいよ工事に着手と言うニュースもありましたので、足場掛かってると見れないかもしれません。

天気は良さそうなので、しっかり歴史に想いをはせながらその場所に立ってこようと思います。

226 (THE FOUR DAYS OF SNOW AND BLOOD)

2018年03月06日 | 映画・TV
2.26事件を映画にした作品。 監督、五社英雄。



出演者の顔ぶれなどを見て、もっと良い映画なのかと思ったら、結構期待はずれで残念。

愛する妻や恋人、子供たちなど家族への思いを前面に出してしまったせいで、

何の為の事件、革命をしたかったのかよくわからない映画になっていた。

事件自体も4日で収束され、殆ど参加していた隊員も良くわからずに、

命令に従っていたような所もあったようです。

「昭和維新」と言うコピーはわかりやすくて良かったと思うけど、

昭和天皇の理解を得られず、かえってこの事件で統制派の力が強まり、

軍国主義を加速させていった背景も感慨深い。

来週、東京に行って、この史跡を訪ねる予定なので、その予習として観た映画です。

踏まえた上で、実際の現場をタイムトラベルして来ようと思っています。

インフルじわじわ。

2018年03月05日 | ひとりごと・日記
周囲にじわじわと、インフルエンサーが増えています。

空気感染する訳ではなく、保菌者からの唾液などで、口や鼻から侵入するそうなので、
基本は手洗い・うがいで口や鼻から自分の身体に入るのを予防するのが一番。

マスクは、ウイルスより網目が大きいので、完全に防ぐことにはなりませんが、
くしゃみなどの飛沫に含まれたウイルス侵入を減らす役目と、冷たく乾燥を好むウイルスに対して、
マスク着用することで高温・保湿効果があるので、侵入を少なくする役目があるそうです。

睡眠と栄養をとって体調を良好に整えておくことも大切のようです。

ええ、栄養だけはタップリ摂っておりますね。むしろ、栄養だけ摂り過ぎておりますね。(^_^;)

インフルエンザに1度かかれば、体内に抗体が出来て次はかからないと思うのですが、
調べてみたら、たしかに同じ型のウィルスにはかからないみたい。
だがしかし、ウィルスどもも、どんどん変異していくそうなので、
同じ年に2回かかる可能性も無いわけではないそうです。

わ~り~やっちゃなぁ~!

インフルエンサーの皆様、発熱やだるさ、関節の痛みなどお辛いでしょうが、
ここは、ゆっくり休んでいただいて下さい、ませませ。



自分を由とする、由とするのも自分・・・それが自由。

2018年03月03日 | ひとりごと・日記
「食って、寝て、嫌なことは忘れることが一番。」

田中角栄先生の言葉のようですが、

twitterで声を掛けてもらって、ずいぶん救われた。

ありがとう♪

実践してみたら、まーなんとか暗黒面に落ちた心をやり過ごせました。

あくまで、やり過ごしてるだけなのですが、それ以外に方法がない。

由とするのも自分しかない。 だから、自由って言うって話を思い出しました。

もっと他にやることがあるので、こんな小さな事で、半ばでは終わらせられない。