信頼している、尊敬している指導者から叩かれたら「指導」、信頼も尊敬できない指導者から叩かれたら「体罰」。
つまり、要はお互いの関係性によるのだとは思うが、どこからどこまでの線引は曖昧で難しい。
一方的な立場のパワハラの関係だと、「疑問」にすら思えないほど脅迫的な状況も考えられる。
ただ、線引が難しいから全部ダメ・・・ってのも極端すぎる気がします。
自分の子供には、ほとんど手を上げたことはない。
でも叱る時は本気出して叱った。
この身体つきの男が本気出しておっかない顔して叱れば、手なんか挙げなくても、大人でも相当ダメージあると思うし、怒りにかまけて殴ったら小さな子なら死んでしまうだろう。(自分をちょっとした子象くらいのイメージでいないと・・・)
子供は正直と言うか、感が良いと言うか、「この人は本気に叱ってるのかどうか直感でわかる」のではないかと思う。
「本気で怒る大人」には、子供は絶対だ。
電車の中で騒いでる子供とか睨みつけると「ほら、あちさん(よその人)が怖い顔してこっち見てるよ!」なんて自分の子供に諭してる親がいるが、「なんで人のせいにしてんだか?」と呆れる。
育児のストレスでこんな時くらい楽しみたい気持ちはわかるけど、夜の11時過ぎに居酒屋に小さな子供連れて来て、子供そっちのけで騒いでる親なども、どちらが叱られなきゃいけないのだろうか?と思う時もある。
指導者の力量、人間性の低下と、教わる方も尊敬する気持ちや、指導していただいてる感謝の気持ちの低下が招いてるのかもしれない。
いや、もちろん自分も含めてですが、大人らしい大人がいない、幼稚化・子供化社会のツケかもしれない。
殴られたことがある人は、どれだけ殴ればヤバいかわかるが、殴られたことのない人はわからない。
死んでしまうまで追い込まれたり、追い込んだりするのは極端すぎるが、だから手をあげるのは全部ダメってのもどうか?
「そこに愛があるかどうか?」
・・・と、わかったようなわからぬような「綺麗事」で最後はまとめておきたい。