裏ユキヒロック

ロックとバイクとラーメンが大好きだ。

談合

2004年07月30日 | その他
新潟市の慢性的な談合体質にメスが入った。

とりあえず、3ヶ月指名停止。
さらに3年前までの受注高に不正に儲けたという金額を
罰金6%を還付するという処分。
福田組・本間組・加賀田組の御三家を筆頭に大変なことになってる。
とりあえず、加賀田組はとりあえず100億の6%で6億。
それ以上らしい。

ただでさえ、いつ潰れるか?と言われてるとこに、
こんな大打撃ではどうにもならないようだ。

談合が「悪」という論法はいかがなものか?
私が建設業に携わっているからかばう訳じゃないけど、
日本的なこのシステムは合理的かつ誰も損しないという
必要悪の範囲だと思う。順番に利益を配分するんだから。

とにかく公正に自由競争の世の中ってのは、一見いいように聞こえるが、大資本の大手が絶対的に有利に働くのだから、
貧富の差を拡大させるばかりか、新しい参画者を排除する仕組みなのだ。

構造改革は、古い産業を新しい分野に割り振り、
新しい産業を発展させられるかもしれないが、
その前にその芽まで潰れてしまう可能性もある。

非常に苦しい状況だが、実はそんな中で私は実は喜んでいます。
封建的で保守的なこの業界が変革を好む、好まざると必要になってくる。

変革の時代はどっかにチャンスが潜んでいるはずだ。
温室でヌクヌク育った血統書付と違って、
野草やのら犬は、逆境に強い!!はず。

なんかやったろうじゃん!




漁師

2004年07月28日 | その他
月曜日と火曜日は早起きさせられて、
以前から「夏休みに入ったら行くよ!」
という子供との約束していた海釣りに行った。

良いお父さんだなー。俺。

出勤前でしたが、なかなかの釣果。
15~20cm級のキスが釣れた。

いつもと違うことをする。しかも海。充実感あるね。

誰かが言っていたが、父親って生まれてきたばかりの
赤ちゃんに愛情はないんだって。
逆に妻をとられた嫉妬で赤ちゃんを憎むそうな。
歩き始めて喋るようになってから、つまりコミュニケーション
できるようになって子への愛情が生まれるそうだ。

海をみながら父子のお馬鹿な会話してるつーのも、
かなりいいもんだね~。

♪海はよ~ 海はよ~ おやじの海はよ~おお~♪

まとめて4

2004年07月27日 | その他
20日から会社へ。私は通常モードに戻ったが被害にあった皆さんは、
まだまだ大変な状態と思われる。

天災なのでなんとも言いようがないけど、
等価交換じゃないけど、きっとその分いいことがあるよ。
経済性優先の穴だらけの防災対策が仇になってしまった。
「備えあれば憂いなし」と言うけど、なかなか難しいよね。

刹那的かもしれないけど、財産なんて貯め込まずにその日暮らしで
浮雲のような身軽な生活ってのも有りかもしれん。

そして、もっと大切なものも見えた気もします。
人の力の弱さと強さ。
人は自然にはかなわないけど、みんなで協力すればなんとかなる!みたいなね。
隣人が誰かもわからないような社会ってのはやっぱ間違ってるんだと思います。

一日も早く復興しどうせならこれを機に、更に発展される三条の姿が見たい。

まとめて3

2004年07月27日 | その他
16日は朝6時頃、入れなかった三条の惨状を見に行った。
ミサイルのついた自衛隊のヘリがまだ取り残されている
被災者の救助を行っていた。何機もヘリが飛んでいて物々しい状況だった。
島田の一部が水が引いていたが、本成寺や条南町などはまだ腰から膝くらいまで水が見えた。
まさに戦場のようだった。

溜まっていた仕事を適当に片付け、
17日からの3連休は仲間のうちの復興に向かった。

「見た目ほどは活躍しません!」
というのが、つかみネタだったが、笑う気力もないほど皆さん疲れてました。
17日 AMタナカ氏宅 PMタカイ氏宅
18日 AMタカイ氏宅 PMノブヤン+タナカ+修宅を廻る
19日 タナカ氏宅
下水道が整っていない三条は、泥なのか糞なのか、とにかく臭い!
道路にあふれたゴミは交通を麻痺させ、まるで歩行者天国。
退廃的な無法地帯のようになっていた。そうTVで見る外国のようなスラム街状態。

まとめて2

2004年07月27日 | その他
夜中の2時に実家は避難勧告で役場に避難していたようだが、
私は3時に会社から昨夜の続きを要請された。
電話をとった妻に「電話とんなよー」と八つ当たりしながら
会社に行ってみると皆でまた土嚢造りを始めていた。
昨夜の造り置きを積んで一陣は出発していた。
14日は分水の水没した排水機場のまわりに土嚢を積んで
ポンプで排水しようという作戦だったらしい。
お偉い国土省の連中はただ見てるだけ。格好だけはバカカッコいいんだけど。

昨日とあわせて土嚢6千個完成!!!
お昼に仮設便所配達設置命令に現場へ行ってみたけど
一晩中川に入って土嚢をリレーで運んでいた消防団の方々が
道に寝ている姿は強烈でした。
後で聞いたのだが、この排水機の電力が我が実家の近くにある変電所から供給されていて
変電所が水没すると排水機場が機能しなくなり刈谷田川が決壊して栄町が水没していたそうな。
かなり重要な場所に関わっていたことに驚いた。

15日は会社を休んだ。
実家が水が引いたので、避難前に上げた畳や家具を元に戻したり
水没した車庫の掃除をした。
子供も学校が休みになったので面倒もみなきゃなんなかったし。
妻はデイサービスに勤めていて、
水害にあった家のお年寄りも集まって大変だったようだ。


まとめて

2004年07月27日 | その他
日記のはずが、空白の2週間?あまり。
7月13日~20日までを書いておこう。

まるで悪夢のようだった。

平凡で退屈な日常ということが、
どんなに素晴らしいことなのかよくわかったよーな気がするよ。

7月13日(火)の朝から大雨だったけど、
まさか、こんな大惨事になるなんて思いもしなかった。
午前中に五十嵐川が溢水したという話を聞いたときは
「台風が来るぞー!」くらいの軽い「ワクワク」だったんですが
まさか、決壊してこんな大水害になるなんて・・・。

午後から刈谷田川が決壊しそうだということで、
会社が国土交通省から信濃川の維持管理を請け負っている関係で
土嚢袋に砂を入れて小須戸の堤防にピストン輸送。
1時から夜9時くらいまで10人くらいで2千個ぐらい造った。

夜、家に帰ってみたら実家の前の道路が30cmくらい水が溢れていた。
今回決壊した五十嵐川からの支流の近くの川が溢水したそうだ。
自宅に来る?って聞いたが「大丈夫だからいいやー」
ってことで家で寝ようかと思っていると、12時近くにタナカ氏から電話。
金沢に出張に行っていて帰ってきたら国道8号線から嵐南に入れない!
とのこと。うちに泊まっていただいた。