明治天皇が巡幸されたことから御幸通りと名付けられた通りの北の端、皆実町。
明治28(1895)年7月御幸通りに仮設の凱旋門が作られ帰還兵が日清戦争戦勝に沸く市民に迎えられた、翌年この日清戦争凱旋碑(タカの記念碑)が建立されたそうです。
戦後占領軍の目を恐れ『平和塔』と名称をかえこんにちに至っています。
“鷹”と思っていたこの像のことを11月の交流ウォークの時、説明してくださったM先生の話を伺いなるほどそうだったのかと思い、方向を変えて撮影追加してみました。
先生の話では当初は“金鵄”ということで建立されたという話があると・・・
神武天皇の東征のことご存知の方はなるほどと思われるのではと。
平和塔(旧称:日清戦争凱旋碑)
明治28(1895)年7月御幸通りに仮設の凱旋門が作られ帰還兵が日清戦争戦勝に沸く市民に迎えられた、翌年この日清戦争凱旋碑(タカの記念碑)が建立されたそうです。
戦後占領軍の目を恐れ『平和塔』と名称をかえこんにちに至っています。
“鷹”と思っていたこの像のことを11月の交流ウォークの時、説明してくださったM先生の話を伺いなるほどそうだったのかと思い、方向を変えて撮影追加してみました。
先生の話では当初は“金鵄”ということで建立されたという話があると・・・
神武天皇の東征のことご存知の方はなるほどと思われるのではと。
平和塔(旧称:日清戦争凱旋碑)