毎月第一土曜日は、交流ウォーク探検隊なのです。
きょうは、ひろしま遊歩のコースとしてまだ完成していない舟入地区を遊歩したのです。
(中國新聞から舟入地区を)ぐるっと回って、最後に舟入公園、舟入病院に立ち寄ったのです。
その時、(わたしが、原爆地蔵尊を探しに何度か訪れたときは)閑散としていた舟入公園、子どもたちが集まり、フリスビーやヨーヨーなどに興じていたのです。
聞くと、児童館まつりだったのです。
児童館の方に行くと、綿菓子の機械があり、子どもたちが、割箸を持ち綿菓子を箸にからめて綿菓子を作り、美味しそうに食べていました。

少し時間が空いた時に、(わたしたちが)よほど食べたそうにしていたのでしょう、「やってみますか」と声をかけていただきましたので、やらしていただきました。
交流ウォーク増田先生、片岡会長、両名とも子どもの時に帰った顔をし、食べておられましたので撮影しました。

(ブログに出す許可もいただきましたので掲載しました。わたしも子どもたちが小さかった時ですので、既に四半世紀も前になったであろうと懐かしんで、同じような顔だったのでしょう)。
(舟入公園)原爆地蔵尊
きょうは、ひろしま遊歩のコースとしてまだ完成していない舟入地区を遊歩したのです。
(中國新聞から舟入地区を)ぐるっと回って、最後に舟入公園、舟入病院に立ち寄ったのです。
その時、(わたしが、原爆地蔵尊を探しに何度か訪れたときは)閑散としていた舟入公園、子どもたちが集まり、フリスビーやヨーヨーなどに興じていたのです。
聞くと、児童館まつりだったのです。
児童館の方に行くと、綿菓子の機械があり、子どもたちが、割箸を持ち綿菓子を箸にからめて綿菓子を作り、美味しそうに食べていました。

少し時間が空いた時に、(わたしたちが)よほど食べたそうにしていたのでしょう、「やってみますか」と声をかけていただきましたので、やらしていただきました。
交流ウォーク増田先生、片岡会長、両名とも子どもの時に帰った顔をし、食べておられましたので撮影しました。

(ブログに出す許可もいただきましたので掲載しました。わたしも子どもたちが小さかった時ですので、既に四半世紀も前になったであろうと懐かしんで、同じような顔だったのでしょう)。
(舟入公園)原爆地蔵尊