きょう、平和記念公園にある広島平和記念資料館東館に立寄った時、
2011年度第2回企画展(2012年2月3日~7月9日)「広島、1945-写真が伝える原爆被害-」が催されていました。
告知の看板に(被爆後の)爆心地の島病院跡に島薫院長が関係者の消息を求め病院跡に伝言板を立てた上記の写真(林重男さん撮影)が使用されていましたので、ここのブログでも取り上げました。
この企画展を紹介したのは、
「焼け焦げた上に眼球が飛び出した遺体」などなど死の街、傷を負った人々の写真も展示してあるからです。
パンフレットにこうあります『・・・彼ら(撮影者)の残した目を背けたくなるような写真にあえて目を凝らす時、わたしたちは何を学ぶことができるでしょうか。・・・』とあります。
わたしが編集している頁に関連する写真もありましたので、数点(フラッシュを炊かずに)撮影しましたので、今後頁更新をしようと思っています。
ここで取り上げた写真は、爆心地(広島)の頁の更新に使用しました。
爆心地 (ばくしんち・ひろしま)
2011年度第2回企画展(2012年2月3日~7月9日)「広島、1945-写真が伝える原爆被害-」が催されていました。
告知の看板に(被爆後の)爆心地の島病院跡に島薫院長が関係者の消息を求め病院跡に伝言板を立てた上記の写真(林重男さん撮影)が使用されていましたので、ここのブログでも取り上げました。
この企画展を紹介したのは、
「焼け焦げた上に眼球が飛び出した遺体」などなど死の街、傷を負った人々の写真も展示してあるからです。
パンフレットにこうあります『・・・彼ら(撮影者)の残した目を背けたくなるような写真にあえて目を凝らす時、わたしたちは何を学ぶことができるでしょうか。・・・』とあります。
わたしが編集している頁に関連する写真もありましたので、数点(フラッシュを炊かずに)撮影しましたので、今後頁更新をしようと思っています。
ここで取り上げた写真は、爆心地(広島)の頁の更新に使用しました。
爆心地 (ばくしんち・ひろしま)