中区東白島の現在・日本郵政グループ広島ビル前庭に建立されている「郵政関係(職員)慰霊碑」です。
※建立者:原爆慰霊碑建設委員会(遺族・退職者・全逓労組・全逓被爆者の会、郵政局、監察局)
※建立日:昭和51(1976)年8月6日
※碑文
『昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、世界最初の原子爆弾が広島の地に投下され、一瞬にして街は焦土と化し、20数万の尊い生命が失われました。焦げ付く太陽の下、炎に追われながら水をもとめてさまよい歩く被災者は数しれず、また焼けただれた遺体が至る所ににころがり折り重なって、まさに焦熱地獄の惨状を呈していたといわれています。
郵政部内においても、当時の広島郵便局の288人をはじめ、西部逓信総局・広島逓信局・広島逓信病院・広島地方貯金局・広島市内各郵便局の職員等、合わせて500有余人(※518柱とも聞きます)が尊い犠牲となられたことは、誠に痛恨の極みであります。・・・・・』
コロナ禍の2021年に訪ね頭を垂れ撮影していましたので、頁を更新しました。
(裕編集の)(旧・広島逓信局)郵政関係原爆慰霊碑
※建立者:原爆慰霊碑建設委員会(遺族・退職者・全逓労組・全逓被爆者の会、郵政局、監察局)
※建立日:昭和51(1976)年8月6日
※碑文
『昭和20(1945)年8月6日午前8時15分、世界最初の原子爆弾が広島の地に投下され、一瞬にして街は焦土と化し、20数万の尊い生命が失われました。焦げ付く太陽の下、炎に追われながら水をもとめてさまよい歩く被災者は数しれず、また焼けただれた遺体が至る所ににころがり折り重なって、まさに焦熱地獄の惨状を呈していたといわれています。
郵政部内においても、当時の広島郵便局の288人をはじめ、西部逓信総局・広島逓信局・広島逓信病院・広島地方貯金局・広島市内各郵便局の職員等、合わせて500有余人(※518柱とも聞きます)が尊い犠牲となられたことは、誠に痛恨の極みであります。・・・・・』
コロナ禍の2021年に訪ね頭を垂れ撮影していましたので、頁を更新しました。
(裕編集の)(旧・広島逓信局)郵政関係原爆慰霊碑
7月27日(安芸区のわが家付近)天候:くもり、はれ
(午後)ツクツクボウシわが家付近で初鳴き