【画像が現れていない記事になっていたら編集頁を見てやってください】
広島市中区八丁堀のYMCAに建立されている「YMCA原爆瓦記念柱碑(広島県高校生平和ゼミナール・鎮魂碑)」です。
この「原爆瓦の碑」は、外側左右に広島市と長崎市の原爆瓦を嵌込み、内部側にローマ法王・ヨハネパウロ二世の平和アピールの抜粋板があります。
この碑は、元安川河畔に1982年建立の「原爆犠牲ヒロシマの碑」よりも先1981年に建立されました。
※原爆瓦について
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、原子爆弾の炸裂により、爆心地の温度は摂氏3,000度から7,000度の超高温になりました。
(鉄のとける温度は1,500度、太陽の表面の温度は約5,700度です)
熱線は爆心地の住民を焼き殺し、住居を炎上させ、屋根瓦をとかしました。
この瓦には、表面がとけてできたガラス質の粒があり、原爆の熱線のあとをはっきり示しています。
爆心地直下で生活した人々も、この瓦と同様に焼かれ、とかされ、殺されました。
泡状に表面が焼けただれた瓦は、この人類史上未曽有の惨禍を語りかけています。
(裕編集の)YMCA原爆瓦記念柱碑
・楽しさ先にたたず。
・首相が好きな楽しい日本。
・楽しみの遠吠え
・人事を尽くして楽しみを待つ
・遠くの楽しみより近くの怒り。
・楽しさに塩。
・楽しさ求めて三千里?
・楽しくなければ日本ではない。
広島市中区八丁堀のYMCAに建立されている「YMCA原爆瓦記念柱碑(広島県高校生平和ゼミナール・鎮魂碑)」です。
この「原爆瓦の碑」は、外側左右に広島市と長崎市の原爆瓦を嵌込み、内部側にローマ法王・ヨハネパウロ二世の平和アピールの抜粋板があります。
この碑は、元安川河畔に1982年建立の「原爆犠牲ヒロシマの碑」よりも先1981年に建立されました。
※原爆瓦について
1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、原子爆弾の炸裂により、爆心地の温度は摂氏3,000度から7,000度の超高温になりました。
(鉄のとける温度は1,500度、太陽の表面の温度は約5,700度です)
熱線は爆心地の住民を焼き殺し、住居を炎上させ、屋根瓦をとかしました。
この瓦には、表面がとけてできたガラス質の粒があり、原爆の熱線のあとをはっきり示しています。
爆心地直下で生活した人々も、この瓦と同様に焼かれ、とかされ、殺されました。
泡状に表面が焼けただれた瓦は、この人類史上未曽有の惨禍を語りかけています。
(裕編集の)YMCA原爆瓦記念柱碑
・楽しさ先にたたず。
2月4日(安芸区のわが家付近)天候:くもり。7.2℃、47%
・首相が好きな楽しい日本。
・楽しみの遠吠え
・人事を尽くして楽しみを待つ
・遠くの楽しみより近くの怒り。
・楽しさに塩。
・楽しさ求めて三千里?
・楽しくなければ日本ではない。