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広島市中区東千田町に(現在利用もされず)残されている「広島大学旧理学部1号館」です。
※もともとは広島文理科大学の校舎でした。
被爆時の名称 広島文理科大学
(爆心地から1,420m)
この建物は、広島大学の前身広島文理科大学の本館として〔1931年6月竣工〕建てられました。
1945(昭和20)年8月6日の原爆により、外郭だけを残し内部は焼失しました。
学生の大半は学徒動員されていたので構内にはいませんでしたが、一部理科系の学生と南方特別留学生などが犠牲になりました。
・2003年撮影して頁を編集した時は、まだ保存の方向性は決まっていませんでした。
・広島市企画総務局で被爆建物として保存計画を公表しています(2024年5月2日更新の公開資料あり)。
「被爆建物である旧理学部1号館を活用しつつ、新たな時代に向けて『知の継承』を図る」ということですが、
約63億円(現在ではもっとかかるでしょうから)もかかるとされることから実施への動きはいまの処ないのが現状のようです。
(裕編集の)旧広島文理科大学
広島市中区東千田町に(現在利用もされず)残されている「広島大学旧理学部1号館」です。
※もともとは広島文理科大学の校舎でした。
(爆心地から1,420m)
この建物は、広島大学の前身広島文理科大学の本館として〔1931年6月竣工〕建てられました。
1945(昭和20)年8月6日の原爆により、外郭だけを残し内部は焼失しました。
学生の大半は学徒動員されていたので構内にはいませんでしたが、一部理科系の学生と南方特別留学生などが犠牲になりました。
・2003年撮影して頁を編集した時は、まだ保存の方向性は決まっていませんでした。
・広島市企画総務局で被爆建物として保存計画を公表しています(2024年5月2日更新の公開資料あり)。
「被爆建物である旧理学部1号館を活用しつつ、新たな時代に向けて『知の継承』を図る」ということですが、
約63億円(現在ではもっとかかるでしょうから)もかかるとされることから実施への動きはいまの処ないのが現状のようです。
(裕編集の)旧広島文理科大学
1月27日(安芸区のわが家付近)天候:くもり(午後から雨模様との予報で)。洗濯もの部屋干し.。11.7℃、47%
被爆建物の老朽化に伴い維持管理する大変さを思います。
被爆者の高齢化に伴い語り継ぐ人の減少を思うとき
物言わぬ被爆建物が語り部のカワリを担ってくれるのでしょう。
維持するための費用が時間の経過と共に増加しているという事実
また工事に携わる人の育成等課題は沢山なのでしょうね。
この建物に広島大学本部があった時代、
わたしは、広大付属学校3校のプール工事の所長をしていたので、何度となくこの建物(内)で打ち合わせをしたことがあったのです。
1994年ですので30年ほど前になりますがまったく被爆建物であることを意識したことはなく、黴臭い建物だなとは思っても仕事のことだけでした。
そのようなわたしですので、(いまは)思い入れもあるのです。
手を入れなければ、ますます老朽化していくばかりですから。
何とか保存実施に向けて動いていただきたいと思いますが、やはり費用が問題でしょうね。