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東広島市:宮沖新開地の変遷

2024年05月20日 09時40分28秒 | 雑関連
東広島市安芸津町木谷の重松神社前に木谷自治協議会によって設置されている「宮沖新開地の変遷」説明板を取り上げました。

『江戸時代の終わり近くまで、重松神社の前は海でした。
文政4(1821)年に三町(≒3ha)余りの新開地ができ、約半分が田畑として利用されました。
しかし、文政11年台風により東の堤防が決壊し、新開地の三分の一を海水が浸しました。
そこで有志の庄屋・大成吉郎右衛門、新濵主・大黒屋和平が再興のため尽力し、文政13年に一町余りを塩田に転換しました。
しかし、明治時代の終わり、生産性の劣る塩田を整理する政策〔第一次塩業整備(製塩地整理)明治43年~明治44年〕により廃業に至ったと思われます。・・・・・』

重松神社に来た時、この「宮沖新開地の変遷」説明板に煉瓦工場についての記述がありましたので、頁を編集してみるかと思ったのです。
(裕編集の)宮沖新開の変遷

5月20日(安芸区のわが家付近)
天候:(晴れてきていますが)今は、くもり。 21.7℃、54%


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2 コメント

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海沿いの新開地 (地理佐渡..)
2024-05-21 06:20:33
おはようございます。

何かそんなこともありそうな土地ですね。
今でこそ普通の土地になっていましても、
かつてこんなことがという話もありましょ
うね。まぁ、長岡の街中にいたのではわか
らない世界です(笑)。
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干満の大きさゆえに ()
2024-05-21 09:17:03
おはようございます、地理佐渡管理人さん。

日本海側では、大潟村くらい?
瀬戸内の干満の大きさを利用して広島でも埋立の歴史でできた街と云ってもいいのです。
安芸津町で仕事をし1年ほど住みましたので、思い入れがあるので取り上げたのです。

いまどきはプラスティックの蛸壺ですが、焼き物の蛸壺を今も作っているようで。
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