東区二葉の里の鶴羽根神社に建立されている「保田千宣翁碑」です。
※広島城下京橋町の商家縄屋(保田家)の分家(新宅)の二代目。
※建立:大正3(1914)年5月穀旦
保田七兵衛(1807-1859)
『前名東次郎、諱千宣、号東宇又藏六、稱七兵衛。
文政7(1824)年12月稲荷町西組年寄。文政9年兼東柳町年寄、天保7(1836)年京橋町・愛宕町年寄。・・・』
2008年撮影して碑文の全文は解読できなくても保田千宣老人が如何なる人物がわからないかと思いましたが、わたしにはわからず、頁の編集の途中でほったらかしていたのです。
ことしになって広島県立文書館平成17年度収蔵文書展“京橋町・保田家文書展―広島城下商家の活動と文化”の中にここで取り上げた保田千宣に関する記述がありましたので、それを参照し、
この翁の長男がここ鶴羽神社に建立されている保田八十吉(勒功彰徳碑)ということもわかりました。
(裕編集の)保田千宣翁碑
※広島城下京橋町の商家縄屋(保田家)の分家(新宅)の二代目。
※建立:大正3(1914)年5月穀旦
保田七兵衛(1807-1859)
『前名東次郎、諱千宣、号東宇又藏六、稱七兵衛。
文政7(1824)年12月稲荷町西組年寄。文政9年兼東柳町年寄、天保7(1836)年京橋町・愛宕町年寄。・・・』
2008年撮影して碑文の全文は解読できなくても保田千宣老人が如何なる人物がわからないかと思いましたが、わたしにはわからず、頁の編集の途中でほったらかしていたのです。
ことしになって広島県立文書館平成17年度収蔵文書展“京橋町・保田家文書展―広島城下商家の活動と文化”の中にここで取り上げた保田千宣に関する記述がありましたので、それを参照し、
この翁の長男がここ鶴羽神社に建立されている保田八十吉(勒功彰徳碑)ということもわかりました。
(裕編集の)保田千宣翁碑
5月18日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
洗濯日和