東区山根町の聖光寺境内に建立されている「原道卿君之碑」です。
原 道卿(はら どうきょう:1782-1844)
『江戸時代後期の剣術家。名は隆。通称は平次。
安芸国広島藩士。山瀬源太に信抜(しんぬき)流をまなぶ。二十余年にして技量は師よりすぐれ、師の没後は門弟をおしえた。』
2009年この碑の隣の梅園介庵之碑を撮影して頁を編集したのです。
その時、この原道卿君之碑も撮影していたのに、調べようともしなかったので、
今回、碑題をよく見ると、「道卿 原君 之碑」と読めるようでしたので頁を編集しました。
(裕編集の)原道卿君之碑
原 道卿(はら どうきょう:1782-1844)
『江戸時代後期の剣術家。名は隆。通称は平次。
安芸国広島藩士。山瀬源太に信抜(しんぬき)流をまなぶ。二十余年にして技量は師よりすぐれ、師の没後は門弟をおしえた。』
2009年この碑の隣の梅園介庵之碑を撮影して頁を編集したのです。
その時、この原道卿君之碑も撮影していたのに、調べようともしなかったので、
今回、碑題をよく見ると、「道卿 原君 之碑」と読めるようでしたので頁を編集しました。
(裕編集の)原道卿君之碑
3月31日(安芸区のわが家付近)天候:(雨模様の)くもり
広島藩では歴史に名を遺した人たちを多く輩出しているのですね。
初めて知る名前でした。
丁重にお祀りしていて気持ちが良いですね。
この碑が建立されている聖光寺のweb siteの“境内の石碑”にも紹介されていないのですから広島の人でも知っている方はわずかだろうと思います。
今回気に留めて題がわかり、その人物のことが資料にあったということで頁にしました。
先にも云いましたが、この時代社会的地位を築いた人物に対して石碑を建立することが流行っていたのかなと思っていますが。
http://masuda901.web.fc2.com/page04hc.html