♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

番外:わが家のパイナップル根をだす

2019年10月16日 17時00分59秒 | Pineapple栽培
(上画像)9月15日収穫して、
(小さな)実とクラウンを切り分けたわが家で育てたパイナップルです。
(9月16日このブログで紹介しましたが)

そのクラウン(≒20cm)をそのまま鉢に植えて欠かさず水やりをしていました。
時期的にはちと‘遅い’と思っていたのですが(今年は暑い日が続いたからかもしれませんが)

きょう(10月16日)ひと月ほど経ちましたので掘り返してみたところです。

根が出ていましたので下葉を整理しました


(下葉を整理し)再び鉢に植えた所です。

現在温室に入れていますが、
冬になったら冬養生をして室内出窓の処に置く予定です。

*他の2鉢のパイナップル苗(子株も出てきています)は大きくなっています。
*収穫したパイナップル苗は(収穫した)横に脇株が出て大きくなっています。
今後紹介したいと思っていますが。

パイナップル栽培、貴方もできますよ。
(わが家の)パイナップル栽培
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番外:(太宰府天満宮)包丁塚、荻原井泉水句碑

2019年10月16日 08時20分48秒 | 何処へ行っても
福岡県太宰府市宰府の太宰府天満宮社殿裏に建立されている「庖丁塚」と「荻原井泉水句碑」を取り上げました。

ニュースなどでみていた広島県の宮島・大聖院の庖丁塚を2007年撮影していました。
(調理材料に手で直接触ることなく)箸と庖丁で調理する儀式を庖丁塚の前でやっている報道です。
ここ太宰府天満宮にも庖丁塚が建立されているので撮影したのです。

句碑の筆蹟は井泉水の自筆。句碑は、1967年5月建立。
筑紫耶馬渓産玄武岩製で高さ3.3m、幅1.4mだそうです。

“撫で牛”と「荻原井泉水句碑」

石碑に刻まれた文字はわたしにも読めました。
指を折り五・七・五ではないが、短歌でもないなと思ったのですが、その時は作者はわからなかったのです。
帰宅後NET検索すると荻原井泉水句碑ということがわかりました。
以前山口県防府市で門人であった山頭火の自由律句碑をみてきたので、この句もそうだったのだとわかりました。

(裕編集の)(太宰府天満宮)包丁塚、荻原井泉水句碑

10月16日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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番外:(太宰府天満宮)筆塚、野見宿祢公碑

2019年10月15日 08時32分57秒 | 何処へ行っても
福岡県太宰府市宰府の太宰府天満宮社殿裏側に建立されている「筆塚」と「野見宿祢碑」を取り上げました。
書道三聖とは、平安時代末期の書論「夜鶴庭訓抄(やかくていきんしょう)」に、
三聖として、空海(774-835)・天神(菅原道真:845-903)・小野道風(894-967)の3人を挙げているそうです。

広島市西区の天満宮で筆塚を2011年見ていましたので、ここ太宰府天満宮に建立されていたので撮影して頁にするかと思ったのです。

設置の説明板によると
『野見宿祢は、菅原道真公の祖先にあたり、わが国における相撲の祖神とされています。
碑の前にある力石は、江戸時代若衆が力自慢をしたものです。』とあります。

この石碑前の力石が(わずかにしか)写っていないことを恥ずかしながら述べておかなければなりません。
東京の富岡八幡宮で力石を見て以来、広島県内でも見たら撮影していたのですが。

(裕編集の)(太宰府天満宮)筆塚、野見宿祢公碑
URL間違っていました(9:38訂正しました)

10月15日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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番外:(太宰府天満宮)天然記念物・夫婦樟

2019年10月14日 08時33分44秒 | 何処へ行っても
福岡県太宰府市宰府の太宰府天満宮社殿裏側にある「国指定記念物・夫婦クス」です。

設置の説明板には、
『樟は、筑紫(つくし)路を代表する樹木で、太古の昔より自生し、天神の森を形成しています。その中でも特に大樟といわれ、大正11年3月8日に他の一本とともに国指定天然記念物に定められたのが、夫婦樟です。・・・』とあります。


根上がり部をみました(空洞になった部分にはセメントが詰められているようです)


(裕編集の)(太宰府天満宮)天然記念物夫婦樟

10月14日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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中区:(広島市役所建立)記念碑たち

2019年10月13日 09時01分17秒 | 各種記念碑等
全国各地に広がっている台風被害のお見舞い申し上げます。

中区国泰寺(こくたいじ)町の広島市役所敷地内に建立されている記念碑たちです。
※「タイムカプセル」「広島市重慶市友好都市提携記念小庭園」「広島市・大邱広域市姉妹都市提携記念小庭園」などです。

(上画像は)ひろしま21世紀へのメッセージ(タイムカプセル)です。

(下画像は)1997年5月提携された大邱(テグ)広域市姉妹都市提携記念小庭園です。

20余年少しづつ友好を積み重ねてきたはずだった姉妹都市提携なのに、
いまの韓国の反日感情、日本の嫌韓感情の高まりをみつめている碑ではないかと取り上げましたが。

(裕編集の)(広島市役所建立)記念碑たち

10月13日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
そよ風ではない風もまだ吹いている当地です。

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中区:広島市役所本庁舎・原爆被災説明板

2019年10月12日 08時45分39秒 | 被爆建造物等
中区国泰寺町の広島市役所電車通り(鯉城リジョウ通り)側植込みの中に建立されている「広島市役所本庁舎・原爆被災説明碑」です。

『(爆心地から約1キロメートル)
鉄筋コンクリート4階建の市役所には、広島県防空本部が置かれていたこともあり、この周辺は建物疎開によって空地化され、焼夷弾などに対する防火体制は整えられていました。
しかし、人類史上最初の原爆投下により猛火に包まれ、内部はほとんど焼きつくされ、中にいた数多くの職員が犠牲になりました。・・・・』

説明板の画像、説明文が新しくなっている碑も散見しますので、ここはどうかなとみたのです。

(裕編集の)広島市役所本庁舎・原爆被災説明板

10月12日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
昨夜から周期的に台風による強い風が吹いています。
(強風圏内というもののニュースでみる位置からすると随分離れていますが)

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中区:「灯和の径」と「8月6日通り」

2019年10月11日 08時28分54秒 | 公園・緑地等
(平和記念公園の対岸)中区大手町の元安川左岸緑地帯を通る「灯和の径(とわのみち)」です。
※また、“平和の径”と北側の原爆ドームをみながらの遊歩道は「8月6日通り」と名付られています。

広島観光コンベンションビューローの資料によると
『「灯和の径」は、広島市の2000年~2001年ミレニアム事業のひとつとして、整備されたものです。
元安川左岸緑地帯から平和大通り緑地帯にかけて、ガス灯やメッセージ灯、ローポール灯などが設置され、広島らしい個性的で魅力ある夜の景観を創り出しています。』と云っています。


「灯和の径」説明板の根際に
「8月6日通り」説明板が設置されています。

2005年「灯和の径」の頁を編集した時、「8月6日通り」についてよく理解していなかったので、
今回、地図をつけて頁を更新しました。
(裕編集の)「灯和の径」 「8月6日通り」

10月11日(安芸区のわが家付近)天候:(いまは)はれ

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安芸郡海田町:(月光山)大師寺

2019年10月10日 08時04分55秒 | 神社寺院等
安芸郡海田町稲荷町に創建されている「月光山 大師寺」です。
※広島新四国88ヶ所霊場第35番霊場です。

大師寺は、高野山真言宗のお寺で、本尊は厄除大師です。


2008年石段を上っていきお参りし窮屈に撮影して頁を編集しました。
2019年稲荷町公園を撮影した後、山の方をみるとこの大師寺が見えたのでそうか離れて撮影すればよかったのかと撮影し頁を更新しました。

(裕編集の)(月光山)大師寺

10月10日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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中区:(石見屋町の)西國街道・表示石柱

2019年10月09日 08時27分14秒 | 道標等
中区幟町の歩道脇に設置されている「西國街道・表示碑」です。

西国街道は、福島正則の時代(藩主:1600-1619)に広島城下へ西国街道が整備されました(それまでは広島の北の方を通っていました)。
このブログで先日紹介した“西国街道をデザインしたマンホール蓋”がこの辺りにも設置されることでしょう。



2008年撮影してこの頁を編集しました。
和菓子・青柳屋本店前に設置されているこの石柱、
(石柱は変わりませんが)2018年みた時店の雰囲気が変わっているなと思いました。
2012年7月店舗が改装されたそうでした。

(裕編集の)(石見屋町)西国街道・表示石柱

10月9日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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中区:(正光寺)被爆した石仏

2019年10月08日 08時28分22秒 | 被爆建造物等
中区幟町の常照山・正光寺に残されている「被爆した石仏」を取り上げました。
爆心地から≒1,140mで被爆したお地蔵様です。被爆当時町名は石見屋町でした。

無数の亀裂が入った地蔵尊、破損した部分は補修されています。


(裕編集の)(正光寺)被爆した石仏、墓石など

10月8日(安芸区のわが家付近)天候:(雨上がり)くもり

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番外:JR博多駅

2019年10月07日 08時11分32秒 | 何処へ行っても
福岡市博多区博多駅中央街に設置されているJR九州鹿児島本線の「博多駅」です。
※山陽新幹線の終着駅で九州新幹線の起点駅でもあります。
※平成23年3月(上画像の)新駅ビル「JR博多シティ」が開業しています。

昭和38年12月吉塚駅~博多駅~竹下駅間経路変更で現在地に(下画像の)駅になりました。
昭和41年博多井筒屋に変わって以来新駅舎になるまで井筒屋が入っていました。

2002年1月26日撮影


子どものころ寿通(今のキャナルシティ付近)に住んでいましたので、
以前の駅舎は、(上画像の)旧駅舎(いまの駅位置)より北側の呉服町寄りにあり、友達と自転車で旧駅まで行った思い出はあるのですがその当時の駅舎は思い出せないのです。

(裕編集の)JR博多駅

10月7日(安芸区のわが家付近)天候:はれ


8時2分ころ、震度3だそうです。
地震でわが家も突き上げるような揺れを感じました。
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番外:福岡県・JR西戸崎駅

2019年10月06日 08時13分43秒 | 何処へ行っても
福岡市東区西戸崎に設置されているJR九州香椎線の「西戸崎駅」です。
※香椎線は、単線、非電化ですが、現在蓄電池電車が運行しています。


平成10年に水戸岡鋭治さんによるヨットをモチーフにした新駅舎になっています。
志賀島の女房の実家に行くのに西戸崎駅からは少し距離があるので義妹に迎えに来てもらいました。
博多港築港から渡船で志賀島に行くのが便利なのですが、博多駅から博多港へが少しばかり不便なのです。

(裕編集の)JR西戸崎駅

10月6日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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番外:福岡県・JR二日市駅

2019年10月05日 07時44分24秒 | 何処へ行っても
福岡県筑紫野市二日市に設置されているJR九州鹿児島本線の「二日市駅」です。

昨年まだ平成の時代に撮影したものです。
”万葉の郷”ということで、ウォーキングの催しが始まろうとしていました。
令和の時代になったことしは休日には人出も多いことでしょうね。


義姉の家にお世話になり、志賀島の女房の実家に行くのに
二日市駅から香椎駅まで乗り(鹿児島本線から香椎線に)乗り換えて西戸崎駅まで行ったのです。

(裕編集の)JR二日市駅

10月5日(安芸区のわが家付近)天候:はれ、くもり

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広島市:西国街道デザインのマンホール蓋

2019年10月04日 08時27分20秒 | マンホール蓋
中区堀川町の仏壇通りに設置された「西国街道デザインのマンホール蓋」です。
※汚水用マンホール蓋です。
※浅野長晟広島入城400年記念事業として、2019年9月9日設置されましたが、11月までに広島駅前付近から中央通りまでに約60ヶ所ほど設置されるそうです。


広島市立大の及川久男教授の下でグラフィックデザインを学ぶ4年生12人が絵柄を考え、
浮世絵を意識し、仏壇作りの職人や紙商人、米俵を運ぶ川舟の船頭の姿を描いているそうです。

(裕編集の)西国街道デザインのマンホール蓋

10月4日(安芸区のわが家付近)天候:(久しぶりかな)はれ

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広島市:防火水槽のマンホール蓋

2019年10月03日 08時18分11秒 | マンホール蓋
東区馬木でみました。
「市章」 防火水槽の蓋(下の孔の形状がいままでみてきた蓋と違っていましたので取り上げました。

これで広島市の防火水槽用マンホール蓋としては8種類目の蓋でした。
(裕編集の)防火水槽用マンホール蓋

10月3日(安芸区のわが家付近)天候:くもり、雨

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