中区国泰寺(こくたいじ)の国泰寺高校内に広島市によって建立されている「旧雑魚場(ざこば)町地区周辺・原爆被災説明板」です。
『爆心地から約1,100m
第二次世界大戦末期、空襲による建物の延焼を防ぐ目的で、木造家屋を解体する建物疎開が各地で実施されました。
この作業には隣組や職場の人たちで組織された義勇隊をはじめ多くの国民学校や女学校、旧制中学校の学徒も動員されました。
原爆が投下された1945(昭和20)年8月6日この雑魚場町地区(現在の国泰寺町一丁目)では約2,500名の生徒たちが作業に従事していましたが、その多くが痛ましい犠牲者となりました。』
(裕編集の)旧雑魚場町地区周辺・原爆被災説明板
『爆心地から約1,100m
第二次世界大戦末期、空襲による建物の延焼を防ぐ目的で、木造家屋を解体する建物疎開が各地で実施されました。
この作業には隣組や職場の人たちで組織された義勇隊をはじめ多くの国民学校や女学校、旧制中学校の学徒も動員されました。
原爆が投下された1945(昭和20)年8月6日この雑魚場町地区(現在の国泰寺町一丁目)では約2,500名の生徒たちが作業に従事していましたが、その多くが痛ましい犠牲者となりました。』
(裕編集の)旧雑魚場町地区周辺・原爆被災説明板
10月18日(安芸区のわが家付近)天候:くもり(霧雨)