昨日の読売新聞(第5面、広告のページ)に
第257世 森川 天台座主 猊下がお出ましになっていたので、
ビックリしました。
一面全部が 日本医師会の広告で、
座主猊下(げいか)と 日本医師会の会長の
横倉義武氏の対談でした。
日医on-line 平成30年(2018年)5月20日(日) / 日医ニュース
尊厳ある終末期を迎えるために―医療と宗教の関わり―
特別対談 横倉会長 森川第257世天台座主
ちなみに、上のリンク先の内容で、
「草木国土 悉皆成仏」は「そうもくこくど しっかいじょうぶつ」と読みます。
新聞のページの横倉氏の側には
「かかりつけ医などと自身の最期を考えてほしい」、
座主猊下の側には
「相手を敬って思いやる心こそ大事」
と大書されていて目を引きました。
(比叡山延暦寺、棚の上に物を置き過ぎです! 笑)
かかりつけ医の必要性も重要性もわかります。
尊厳も大事なのは わかります。
けれども、お話の中に出てきた、
「ACP アドバンス・ケア・プランニング」
というのは 耳慣れない言葉ですし、
「臨床宗教師」というのも
一般にはなじみのない言葉だろうと思います。
ちなみに、「ACP アドバンス・ケア・プランニング」とは、
将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、
患者さんを主体に、そのご家族や近しい人、医療・
ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、患者さんの
意思決定を支援するプロセスのことです。
患者さんの人生観や価値観、希望に沿った、
将来の医療及びケアを具体化することを
目標にしています。
だそうで、
この結果を残しておくことで終末期にも
本人の意志を尊重する事ができる
のだそうです。
医療が発達して
昔なら助からなかった命を助ける事ができるようになった。
だからこそ 終末期における 医療と本人の意志との間に
隔たりが生まれてしまった。
そおの隔たりをなくすための工夫、
かと思います。
本人だけでなく、家族にとっても 重要な事かと思います。
以前、日本尊厳死協会に入会しているご夫婦に
免許証サイズの <リビング・ウィル>を見せていただいた事があります。
しごく当然の事しか書いてない、
という印象を受けました。
自分の死後の事は 後の人に任せればいい、
というのが 私の基本的なスタンスですが、
医療の発達が それを難しくしてしまった上に、
遺族が「本当に あれで(これで)良いのか? 良かったのか?」
と悩む時間が 長くなるらしいので、
「脳死」の問題とは別に
もう少し考えた方が良いのかもしれません。
(深谷市では 脳死に関しては
保険証の裏面に書き込む事ができるようになって良かったな、
と思っています。)
日本の場合は これまで、
終末期における医療、緩和ケアと共に役割を果たすべき
<宗教的ケア> が 抜け落ちてきてしまっています。
それが 大震災を契機に注目されてきています。
注力している仏教の僧侶も 増えてきています。
が、まだ一般的では ありませんね。
これから 宗教者も もっと勉強しなくてはなりませんし、
私たちが(皆さんが)
「もっとこうしてほしい」
「こういう方法が選べたら」
という要望を 遠慮なく声に出していく方が
いろいろな事が 良い方に発展するのではないか
という気がしています。
「臨床宗教師」については、私はまだまだ勉強不足です。
宗教者、特に仏教者は これまでの日本においては
あまりに遠慮し過ぎていたのかもしれませんし、
無作為だったとも思います。
お坊さんたちの活躍の場は、
今後、もっともっと増えて良いのではないかと思います。
いずれにしても、不勉強だという反省の気持ちです。
私には 少し 難しい問題で、
頭が疲れました。
大玄関前のヤマボウシの画像を貼り付けておきます。
そろそろ花も終わりな上に、
昨日の大風で痛んでしまいましたが、
まだ充分にキレイです🎵
第257世 森川 天台座主 猊下がお出ましになっていたので、
ビックリしました。
一面全部が 日本医師会の広告で、
座主猊下(げいか)と 日本医師会の会長の
横倉義武氏の対談でした。
日医on-line 平成30年(2018年)5月20日(日) / 日医ニュース
尊厳ある終末期を迎えるために―医療と宗教の関わり―
特別対談 横倉会長 森川第257世天台座主
ちなみに、上のリンク先の内容で、
「草木国土 悉皆成仏」は「そうもくこくど しっかいじょうぶつ」と読みます。
新聞のページの横倉氏の側には
「かかりつけ医などと自身の最期を考えてほしい」、
座主猊下の側には
「相手を敬って思いやる心こそ大事」
と大書されていて目を引きました。
(比叡山延暦寺、棚の上に物を置き過ぎです! 笑)
かかりつけ医の必要性も重要性もわかります。
尊厳も大事なのは わかります。
けれども、お話の中に出てきた、
「ACP アドバンス・ケア・プランニング」
というのは 耳慣れない言葉ですし、
「臨床宗教師」というのも
一般にはなじみのない言葉だろうと思います。
ちなみに、「ACP アドバンス・ケア・プランニング」とは、
将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、
患者さんを主体に、そのご家族や近しい人、医療・
ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、患者さんの
意思決定を支援するプロセスのことです。
患者さんの人生観や価値観、希望に沿った、
将来の医療及びケアを具体化することを
目標にしています。
だそうで、
この結果を残しておくことで終末期にも
本人の意志を尊重する事ができる
のだそうです。
医療が発達して
昔なら助からなかった命を助ける事ができるようになった。
だからこそ 終末期における 医療と本人の意志との間に
隔たりが生まれてしまった。
そおの隔たりをなくすための工夫、
かと思います。
本人だけでなく、家族にとっても 重要な事かと思います。
以前、日本尊厳死協会に入会しているご夫婦に
免許証サイズの <リビング・ウィル>を見せていただいた事があります。
しごく当然の事しか書いてない、
という印象を受けました。
自分の死後の事は 後の人に任せればいい、
というのが 私の基本的なスタンスですが、
医療の発達が それを難しくしてしまった上に、
遺族が「本当に あれで(これで)良いのか? 良かったのか?」
と悩む時間が 長くなるらしいので、
「脳死」の問題とは別に
もう少し考えた方が良いのかもしれません。
(深谷市では 脳死に関しては
保険証の裏面に書き込む事ができるようになって良かったな、
と思っています。)
日本の場合は これまで、
終末期における医療、緩和ケアと共に役割を果たすべき
<宗教的ケア> が 抜け落ちてきてしまっています。
それが 大震災を契機に注目されてきています。
注力している仏教の僧侶も 増えてきています。
が、まだ一般的では ありませんね。
これから 宗教者も もっと勉強しなくてはなりませんし、
私たちが(皆さんが)
「もっとこうしてほしい」
「こういう方法が選べたら」
という要望を 遠慮なく声に出していく方が
いろいろな事が 良い方に発展するのではないか
という気がしています。
「臨床宗教師」については、私はまだまだ勉強不足です。
宗教者、特に仏教者は これまでの日本においては
あまりに遠慮し過ぎていたのかもしれませんし、
無作為だったとも思います。
お坊さんたちの活躍の場は、
今後、もっともっと増えて良いのではないかと思います。
いずれにしても、不勉強だという反省の気持ちです。
私には 少し 難しい問題で、
頭が疲れました。
大玄関前のヤマボウシの画像を貼り付けておきます。
そろそろ花も終わりな上に、
昨日の大風で痛んでしまいましたが、
まだ充分にキレイです🎵
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