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菜園すの亭主さまからのご質問の 菜風さんの碑の在り処を住職から聞き出しました。
境内のイチョウの木の西側の、塀際に並んでいる石碑のうちのどれかだ、という事です(笑)。
カメラを持って見に行きました。
一番ヘンテコ?な形のものがそれです。
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菜風翁碑、と書いてあります、多分。
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最後の方に、確かに、「藍香尾高淳忠書」 とあります。
あ、「藍香」さんと「淳忠」さんは 親戚なんじゃなくて、同一人物だったんですね!?
これから混乱せずに済みます・・・(苦笑)。
おっと、最初の方は こんなです。
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菜風さんが亡くなってから建てられた石碑のようです。
→こっちは、裏側。
明治23年6月に書かれたものです。 そして、8月に完成したのでしょう。
さすがに苔むして 読みづらくなっていますし、なんと言っても この数の漢字の羅列!!
全文を読む気になれません。。。。。 平に、ご容赦を!
吉祥寺の過去帳を見てみますと、明治13年1月3日に亡くなっています。
薫一菜風哲豊居士。
「豊」の文字は 菜風さんの俗名から採ったようです。
墓地はK地区の個人墓地にあります。
墓石の傘が石臼だそうでございますよ!
年齢は60歳だったということです。
吉祥寺の銀杏が 新緑におおわれつつあります。
これは 石碑の後ろから撮影しました。
2016年追記:菜風さんの石碑は、別の場所に移動しました。
「石碑の移動 その」2参照のこと。
付け足しです、 菜風さんはAさんのお宅の墓地に眠っていますが
奇三という方がRさんの墓地に眠っています。
お戒名も、そのまま奇三居士。
菜風さんの石碑の脇から墓地に入って行った所にR氏の墓所があり、
奇三居士の墓石が立っています。
R氏も 今は 同じ墓所に眠っています。
衣食足りて風狂を知る?
栄えた地域であったからこそ、こうした文人も大勢輩出したのでしょうね。
境内のイチョウの木の西側の、塀際に並んでいる石碑のうちのどれかだ、という事です(笑)。
カメラを持って見に行きました。
一番ヘンテコ?な形のものがそれです。
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菜風翁碑、と書いてあります、多分。
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最後の方に、確かに、「藍香尾高淳忠書」 とあります。
あ、「藍香」さんと「淳忠」さんは 親戚なんじゃなくて、同一人物だったんですね!?
これから混乱せずに済みます・・・(苦笑)。
おっと、最初の方は こんなです。

菜風さんが亡くなってから建てられた石碑のようです。
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明治23年6月に書かれたものです。 そして、8月に完成したのでしょう。
さすがに苔むして 読みづらくなっていますし、なんと言っても この数の漢字の羅列!!
全文を読む気になれません。。。。。 平に、ご容赦を!
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吉祥寺の過去帳を見てみますと、明治13年1月3日に亡くなっています。
薫一菜風哲豊居士。
「豊」の文字は 菜風さんの俗名から採ったようです。
墓地はK地区の個人墓地にあります。
墓石の傘が石臼だそうでございますよ!
年齢は60歳だったということです。
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これは 石碑の後ろから撮影しました。
2016年追記:菜風さんの石碑は、別の場所に移動しました。
「石碑の移動 その」2参照のこと。
付け足しです、 菜風さんはAさんのお宅の墓地に眠っていますが
奇三という方がRさんの墓地に眠っています。
お戒名も、そのまま奇三居士。

菜風さんの石碑の脇から墓地に入って行った所にR氏の墓所があり、
奇三居士の墓石が立っています。
R氏も 今は 同じ墓所に眠っています。
衣食足りて風狂を知る?
栄えた地域であったからこそ、こうした文人も大勢輩出したのでしょうね。
早速見に行きました。
立派な碑ですね。
漢字ばっかりで私もウっとしました。
オープンガーデンをやってたのでK邸にある
菜風さんの碑も見てきました。
寺門酔軒 選書とありました。
ところで、奇三てどなたですか、初めて聞きました。
K邸にも再風さんの碑があるんですか!?
あちらにも文人・趣味人と呼べるようなお爺さんがいらっしゃいましたね。
奇三さん、まあ、あまり有名とは言い難いかもしれませんね。
でも 調べている人もいるんですよ。
鐘楼堂の塗装をしてくださった郷土史研究家のO氏です。
その内容は、私にはよくわかりません(汗)。
今後の課題のひとつとさせてください。