座敷ネズミの吉祥寺だより

吉祥寺って、ラッキーでハッピーなお寺ってこと?
中瀬の吉祥寺のあれこれをおしゃべり。

河田菜風翁碑 全文(書き下し文)

2018-05-23 | 菜風さん
菜風君 没す。

二年を越て、

嘉謀(カボウ) 行實(コウジツ)を不朽に傳へんと欲して、

諸友 及び 門人と 之を圖る。



銘は 即ち 其の友 荒木孝繁に嘱す。



孝繁 嘆じて曰く、

「君 吾より少(ワカ)きこと九歳、

 その死は 宜しく吾が後に在るべし。

 然るに 不幸にして 先に逝けり。

 即ち 後事の任は 吾れ 其れ 忍びんや。

 然れども 吾 君と 篤きこと 衆の知る所なり。

 義 辭し難し。」



遂に 之を 銘す。





叙して曰く、


中瀬村 河田氏は、其の先 新田氏の族より出づ。

農に歸し、村の著族為り。

支族 蔓衍し、君は其の一為り。



諱(イミナ)は嘉豊、字(アザナ)は公實、菜風は 其の號なり。

考は諱 嘉氏、 妣は小林氏なり。

考は、克く業を務め、家資 稍(ヨウヤク)く豊かなり。



君、幼くして吉祥寺に就学す。

其の香花為り。

地の住持 觀海 学に精(クワ)し。

書法を善くす。

適(タマタマ)職を辭して處す。

塾を開きて徒を誨(オシ)ふ。

君 之に入る。

岐嶷(ギギョク) 衆に異なる。

師 其の大成を期す。

後 果たして其の言の如し。



考 老ゆ。 家を承け、事を専らにす。



書を讀み、黽勉(ビンベン)して倦まず。

旁ら 詩文を善くす。

最も書に長ず。

遂に𦾔習を變じ、一に古法を以って旨と為す。

君に就きて學者 端(マサ)に 楷法有り。



性 倹素にして、粉華を好まず。

野人と處(オ)る。

客 到らば 劇談すること竟日(キョウジツ)、

人 皆 愛重す。



或るは 四方を漫遊し、雅人を訪ふ。

至る所 重んぜらる。

晩に一室を構ふ。

多く書籍を集め、几に倚り、

且つ讀み、且つ詠ず。

或るは 翰(フデ)を揮(フル)い 請に應ズず。

請ふ者 日に衆(オオ)し。



此の如きこと 數年、
罹疾に會ひ、終に起たず。

人 惋惜せざるはなし。

時に 明治十三年一月三日 得年六十。



島田氏を娶る。

三男あり。


即ち 嘉謀(カボウ)、次は 嘉猷(カユウ)、次は、夭す。

女 一人 已に嫁す。



君の在るや、人 知らざるは無し。

而して 亡ずるや、人 惜しまざるは無し。

惟(オモ)ふに 其れ 然り。

顧みるに、能く果然たる者 誰ぞや。





   至れるかな 業や。   

   翰墨の良、翩々たる姿態、優に晉唐に入る。 

   田野に隱ると謂へども、何ぞ大方を遜れんや。

   斯に貞珉(テイビン)を勒して、永く遺芳を傳へん。





      明治二十三年六月  友人   天外  荒木 孝繁 撰

                東京       伊東 南堂 篆額

                友人   藍香  尾高 惇忠 書

                         田野 祐修 鐫(セン)





   


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