先日、「出過ぎた杭」という記事を投稿しました。
→ 「出過ぎた杭」(2012-11-01 の記事)
私が読んだのは、
「感動玄米」 玄米のマイセンが発行している、
「マイセン通心 百笑ニュース」214号の第4面にあった、
「カマス人間になりたくなかった真美ちゃん」
という記事でした。
それは 山村洋子さん(→こんな人)が書いた、
『赤い自転車に乗って』という本に書かれた内容のようでした。
そこに書かれている「カマス」こそは、
私が言った 「ゆっくりトロトロと 水の中で腐」って
死んでいく魚みたいです。
「先生、私、
何があっても カマス人間にだけは なりたくありません。」
と キッパリ発言した、元気な学生が
真美ちゃんだった、と 書いてあります。
「百笑ニュース」にあった、真美ちゃんの言葉です。
「先生が 教えてくれたじゃないですか。
『出る杭は打たれる』のあとの句を。
『されど、出ぬ杭は腐る』
私、腐りたくないんです。
だから大丈夫です。」
これを読んだ時に思い出したのが、
「出過ぎた杭は 打たれない」の言葉だったのです。
そんなこんなの後に、
昨日 新聞をめくっていたら、ビックリしました!
昨日の読売新聞の15面、
「ウの目 鷹の目」(by 文化部次長 鵜飼哲夫)のタイトルが、
「出ない杭は腐る」でしたので。
読んでみると、筆者が 15年ほど前に
金沢市で 五木寛之氏に取材した後で
一緒に酒場に出かけた時の事。
その席に 新人記者たちが 10人ほど集って
ありがちな愚痴を並べて
「出る杭は打たれる」と口をそろえると、
五木寛之氏が ひと言。
「君たちね、
出る杭は打たれる、というけれど、
出ない杭は腐るよ」
ここで筆者は
「確かに木の杭は 土に埋もれたままでは腐ってしまう。」
と書いています。
私は 霞ヶ浦のほとりで生まれ育ったせいか、
水の中に打ち込まれた杭を想像していたのですが、
そうですか、土に打たれた杭でしたか(笑)。
「打たれてもへこたれず、
どんどん出ていくといい、との助言に、
一同、うなずき、五木さんの話に 耳を傾けた。」
『さらばモスクワ愚連隊』のあとがきを例示して
五木寛之氏自身が
文壇の中で 「出る杭」としての活動をしてきていた、
と 筆者は書いています。
なるほど、なるほど。
言う人によって 重みに違いがあるように思えます。
カマス人間の私が言っても、ダメですね(笑)。
筆者は 諺(ことわざ)は
意味の取り違いもあれば、時代によって意味が変化する事もある、
と言います。
「能ある鷹はツメを磨け」(by 本田宗一郎)の例を挙げて、
「諺は 生かすも殺すも、発展させるも、その人次第」と言います。
【発展】させるには その人らしさが出るかもしれませんね。
そして、【発展】させると 面白い!
「犬も歩けば 棒に当たる。 ただし・・・」とか、
「老いては子に従え。 されど・・・。」とか、
創作してみるのも いいかもしれません。
さて、「わたし」という杭は、
どういう【生き方】を選択していったら いいでしょうか?
→ 「出過ぎた杭」(2012-11-01 の記事)
私が読んだのは、
「感動玄米」 玄米のマイセンが発行している、
「マイセン通心 百笑ニュース」214号の第4面にあった、
「カマス人間になりたくなかった真美ちゃん」
という記事でした。
それは 山村洋子さん(→こんな人)が書いた、
『赤い自転車に乗って』という本に書かれた内容のようでした。
そこに書かれている「カマス」こそは、
私が言った 「ゆっくりトロトロと 水の中で腐」って
死んでいく魚みたいです。
「先生、私、
何があっても カマス人間にだけは なりたくありません。」
と キッパリ発言した、元気な学生が
真美ちゃんだった、と 書いてあります。
「百笑ニュース」にあった、真美ちゃんの言葉です。
「先生が 教えてくれたじゃないですか。
『出る杭は打たれる』のあとの句を。
『されど、出ぬ杭は腐る』
私、腐りたくないんです。
だから大丈夫です。」
これを読んだ時に思い出したのが、
「出過ぎた杭は 打たれない」の言葉だったのです。
そんなこんなの後に、
昨日 新聞をめくっていたら、ビックリしました!
昨日の読売新聞の15面、
「ウの目 鷹の目」(by 文化部次長 鵜飼哲夫)のタイトルが、
「出ない杭は腐る」でしたので。
読んでみると、筆者が 15年ほど前に
金沢市で 五木寛之氏に取材した後で
一緒に酒場に出かけた時の事。
その席に 新人記者たちが 10人ほど集って
ありがちな愚痴を並べて
「出る杭は打たれる」と口をそろえると、
五木寛之氏が ひと言。
「君たちね、
出る杭は打たれる、というけれど、
出ない杭は腐るよ」
ここで筆者は
「確かに木の杭は 土に埋もれたままでは腐ってしまう。」
と書いています。
私は 霞ヶ浦のほとりで生まれ育ったせいか、
水の中に打ち込まれた杭を想像していたのですが、
そうですか、土に打たれた杭でしたか(笑)。
「打たれてもへこたれず、
どんどん出ていくといい、との助言に、
一同、うなずき、五木さんの話に 耳を傾けた。」
『さらばモスクワ愚連隊』のあとがきを例示して
五木寛之氏自身が
文壇の中で 「出る杭」としての活動をしてきていた、
と 筆者は書いています。
なるほど、なるほど。
言う人によって 重みに違いがあるように思えます。
カマス人間の私が言っても、ダメですね(笑)。
筆者は 諺(ことわざ)は
意味の取り違いもあれば、時代によって意味が変化する事もある、
と言います。
「能ある鷹はツメを磨け」(by 本田宗一郎)の例を挙げて、
「諺は 生かすも殺すも、発展させるも、その人次第」と言います。
【発展】させるには その人らしさが出るかもしれませんね。
そして、【発展】させると 面白い!
「犬も歩けば 棒に当たる。 ただし・・・」とか、
「老いては子に従え。 されど・・・。」とか、
創作してみるのも いいかもしれません。
さて、「わたし」という杭は、
どういう【生き方】を選択していったら いいでしょうか?
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