住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

補足解説・七回忌の法事にて

2023年09月30日 19時53分34秒 | 仏教に関する様々なお話
補足解説・七回忌の法事にて



この法話を実際に聞いてくださった方々が、聞いていておそらく頭の中に?マークがついたのではないかと思われる点について、解説を補足してみたいと思います。

まずはじめに、「来世に赴かれている」という表現についてです。死んだら無に帰するとか、仏になるという表現もありますから、死後のことは心配いらないとお考えになる方もあるかもしれません。ですが、仏教は死とは体と心が分離することであるとされ、身体はこの世の借りものなのです。心が本人であると考えます。そして、すべてのことに原因ありとする教えです。この世に生まれ、こうして私たちが縁あり、この話を聞いてくださるのにも原因と縁があってのことです。

ですから、亡くなったら身体は荼毘に付されますが、心には様々な思いが残り、それが因となり、その心に相応しい来世に赴くと考えるのです。間違いのない生涯であれば人間界以上の世界に、もしも暗い心で亡くなったりすると餓鬼の世界と、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界に生まれ変わる可能性があるとされるのです。

生まれ変わりの研究が学問的に進展しており、日本では東京の産婦人科医池川明さんが有名ですが、米国のヴァージニア大学では1960年代から超心理研究室において研究がすすめられ、世界ですでに二千件もの間違いのない生まれ変わりの事例が確認されているとか。学んでもいない行ったこともない地方の言葉を話し出す子供がいて、その地域に連れて行くと、ある家の家族の大人に自分の子供に対するようにその子が語り掛けたりということが実際にあるそうです。

次に、「この煩悩だらけの私たちの考える極楽」とありますが、中には死ぬとそれこそ仏になれるのだから、今の自分とは次元が違う心になると考える人もあるかもしれません。船橋の大念寺というお寺に大島祥明さんという住職さんがおられます。実際にお会いしてお話を伺ったこともありますが、『死んだらおしまいではなかった』(PHP研究所)という本に、亡くなられた人の死後の心について書かれています。

十年間ばかりの間に二千件ものお葬儀をされたということなのですが、しばらくすると通夜のお経を唱えていると亡くなった人の心が語りかけてくるのがわかるようになったというのです。誰も亡くなっても急に人が変わることはなく、その人の本質的なものがあらわになって語りかけてくると書かれています。誰も亡くなった時の心にしたがって死後の心もあるということなのです。

それから「仏様の世界は禅定の世界」ということについてですが、仏様の世界の下には、無色界、色界という天人の世界があるとするのが仏教の世界観です。私たち人間界はその下の欲界にあるとします。色界、無色界は共に深い禅定を修めた人たちが死後に生まれる世界とされています。その上に位置する仏の世界は当然それ以上の静謐なる世界と言えます。

そこで、「極楽とはそれよりもはるかに厳しい世界」という表現となっているのです。そのことについては、浄土真宗のお寺出身の武蔵野女子大学教授花山勝友先生がお書きになった『仏教を読む・捨ててこそ得る[浄土三部経]』(集英社)という本から核心の部分を転載させてもらいます。

「古来浄土経典とよばれるものを典拠として、死後の世界としての極楽が説かれてきたわけですが、教義の上からいいますと、実は、極楽という世界は、経典に描かれているような、人間にとっての理想的な世界では絶対にあり得ないのです。…浄土というのは、…人間の欲望の対象になり得るようなものがあるはずはないのです。

…浄土を極楽と名付け、そして、その世界がいかにも人間にとっての理想的世界のように描写しているのは、一人でも多くの、煩悩を抱いている、まだこの世に生きている人間を導こうという目的のためであって、これを仏教では方便といっているのです。(P19~P22)」とあります。以上



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七回忌の法事にて

2023年09月23日 07時38分57秒 | 仏教に関する様々なお話
七回忌の法事にて



お疲れさまでした。長いお経を聞いてくださり、また、ご一緒に「勤行次第」を読誦いただきご苦労様です。今日は七回忌ですから、こちらの塔婆に書いてありますように、七回忌の本尊様阿閦如来に沢山のお供えをし、読経供養を施し、その功徳を六年前に来世に赴かれている○○大姉に手向けるというのが今日の法事です。

こちらにあります塔婆には、上から梵字で「キャ・カ・ラ・ヴァ・ア」と書いてあるのですが、これはよく先祖墓に見られる五輪塔を表していまして、その意味は下から地水火風空となります。これはそれぞれに大をつけて、五大ともいわれるこの宇宙全体を構成する要素となるものです。それぞれの意味は、地大は堅さを性質としてものを保持する働きを表し、水大は湿り気を性質としてものを収めとる働き、火大は暖かさを性質としてものを成熟させる働き、風大は動きを性質としてものを成長させる働き、空大は虚空のことでこの場合空間を意味しています。

これは、その成り立ちそのものである大日如来そのものを表わしているものともいえ、五輪塔を建立することは、多くの人を幸せに導く仏教のシンボルとして、誠に功徳あるものであるので、法事にあたり薄い板ではありますが、その五輪を刻んであしらい、五輪塔を建立する功徳を今日の法事の○○大姉に手向けるために建立されるのです。

そして、塔婆には、その下に回忌の本尊様を象徴する梵字が書かれ、そのあとには「○○院○○○○大姉七回忌菩提の為也」とあります。七回忌の菩提ですが、菩提とは覚りのことですから、七回忌の覚りというものが特別にあるのかというとそうではなく、この七回忌の法事に当たり前世の家族親族であった皆様の供養する功徳をいただかれ、さらに覚りに向かい一歩でも前進して心清らかにお過ごしくださいという意味となります。

あれ、そうなんですか、死後は極楽浄土に逝けるという宗旨もあるのにとお考えになられるかもしれません。が、少しお考えいただきたいと思うのですが、この煩悩だらけの私たちの考える極楽と仏様のお考えの極楽とは随分と環境や居心地が違うのではないかと思うのです。ちょっと待ってください、コンビニに行ってきますというわけにはいかない世界です。仏様の世界に逝くというのはそのまま仏様を目の前に教えをいただき仏様のように過ごすことです。きらびやかな荘厳にとらわれがちですが、仏様の世界は禅定の世界です。

昔禅宗のお寺に出入りしていたことがあります。そこでは「接心」という、一週間一日に十時間以上座禅する坐禅会があり、それに三度ほど参加させてもらったことがあります。周りは禅宗のお寺さんばかりで、はじめはじっと座っているだけで緊張し、体中の筋という筋が突っ張りゆったりと座ることもできませんでした。そうした時に警策という棒で肩から背中にかけてパンパンパンと叩いてもらうと、スッと身体の緊張が解けて楽になったことを思い出します。

皆さんが突然そうした坐禅会に参加されたらどんな感じになられるでしょうか。私は高野山やインドに行った後にご縁をいただき参加させてもらったので多少の下地はあったのに、それでも大変でした。さらに韓国の禅宗にはその坐禅会の期間が五十日に及ぶところがあるとか。またスリランカやミャンマーなどでは、期間を設けずに、横になって寝るのは一日二三時間だけで、あとはずっと坐禅瞑想ばかりしている森林派のお寺さんもあるとか。そんなところに突然放り込まれても、おそらく一週間と持たないと思います。

極楽とはそれよりもはるかに厳しい世界と思わなくてはいけないとすると、そこにいられるだけの心、つまり欲も怒りもない、何があってもなくても動揺しない心を作ってから行くべきではないかと思うのです。インドの仏教徒たちは、また死後も人間に生まれたいと言います。もちろん今よりも裕福な家に生まれ変わりたいと。そのために今沢山の功徳を積んでおきたいから、お寺に行きブッダを礼拝し、ドネーションしてお坊さんたちに食事を食べて修行してもらって功徳をたくさん積んでおきたいと思っています。

今日の法事の○○大姉もおそらくそんな厳しい世界ではなく、○○家の皆様同様の敬虔な仏教徒の家に生まれ変わり、そこでたくさんの功徳を積み、心を浄めて、一生でも早く仏様のような清らかな心を作ってくださるべく精進されているものと思います。そのために皆さんも今日の法事において、たくさんの功徳を積まれ、来世におられる○○大姉に向けてその力となるべく功徳を回向されたということです。

この次は十三回忌、少し先になりますが、それまで仏壇から功徳をご回向してあげて欲しいと思います。本日は誠にご苦労様でした。


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放下と福田について

2023年08月15日 17時25分47秒 | 仏教に関する様々なお話
放下(ほうげ)という生き方をして福田(ふくでん)であるお寺で功徳をもって帰るというお話





暑い夏になりました。またこのお盆の時期に台風が二つも来て、多くの地域で被災しているのにここ福山ではこうして万灯会ができ、お詣りしていただきまして誠に有り難いことと存じます。コロナもまだ日本でだけは終わっていないとか、ウクライナの戦地では未だに戦闘が繰り返され、そんなこともあってか物価が馬鹿高くなりガソリンはついに百八十円、オーストラリアなどはすでに二百円と聞いています。温暖化で年々暑くなりこの先どうなるのかとも心配になります。

不安なことばかりですが、いつの時代もどんな時代になりましても、本当は不安が尽きないのかもしれません。不安なこと心配事をみんな仏様にお預けする放下(ほうげ)という生き方が求められているのかもしれません。放下とは、手放すこと。お茶をなさる方はよく茶掛けにあるそうで御存じの方も多いかと思いますが、私たちの心には様々な思い計らい願いが常にあるわけですけれど、それらをすべて仏様にお預けして、おまかせして、放下して心の中はさっぱり静かに清らかにして生きることです。

これは、念仏をされる人がみんな阿弥陀さんにとよくそんなことをいうわけですが、私たちも「南無大師遍照金剛」と唱えて、いろいろ考えてしまうところをみんなお大師様にお預けして安心して生活したらよいのだと思います。そうして平穏にすこしでも心穏やかに過ごし、日々善行に励む。「何か事故に遭っても助かる人と助からない人がある、それはその人の持っている善業による」とお経にあります。業というのは悪業ばかりでなく善業があり、善いことをして善業功徳を積んでおくことが大切です。仏教は何事にも原因ありとする教えです。必ずその違いには原因があるはずだというわけです。生き物の命を小さな虫でも踏んだりせずによけて歩く人と、ミミズやアリなどを簡単に踏みつぶしてしまう人ではその違いがあるとする教えです。

ところで、先日夕方になって、ある檀家さんが訪ねてこられて、参道のわきの垣の枝が自分方の墓所にかかっていたので伐らせてもらいましたと言ってこられました。それでその枝葉をお寺の畑のところにほかしておいたので処分して下さいとのことでした。お寺の方で整備しなくてはいけないところを補って下さって、有難いことだなと思ったようなことですが。

お寺はそもそも福田とも申します。福田とはインドの言葉でプンニャケッタといいまして、プンニャが福をもたらす功徳、ケッタが田のことです。もとはサンガという僧侶の集まりのことをこの世で最上の福田であるというのですが、皆さんが集い、善行功徳を施して、耕して、善業を収穫していくところであるお寺も福田と言われるようになりました。誰かお寺にお越しになり、気づいた方が善をなして、みんながよくあるようにと功徳を施すところです。是非お寺に足繁くお詣りをしてほしいと思うわけですが、お越しになり線香ろうそくなどお供えをしたり、礼拝しお経を上げたり、写経をしたりということもすべて善行になります。

それでそうしたことをみんなしているからではなく、自分はどういう善行を積んできたか、そのことを意識して覚えておくことが大切です。以前にお釈迦様の時代の王様でコーサラ国のパセーナディ王の王妃マッリカーの話をしたことがあると思うのですが、若くして死ぬ寸前に、生涯に一度だけ嘘を言ってしまったことを思い出して暗い心になって餓鬼の世界に転生してしまうのです。ですが、すぐに自分は何度もお坊さんたちに食事の供養をして沢山法を聞いた善業を思い出すと、さっと兜率天に昇天したという話が残されています。

「善きことをなせる者は、この世にて喜び、来世にいって喜び、自分の行いの清らかなるを見て喜び楽しむ」と法句経にもあります。今日は皆さん夜とはいえ暑い中ご参詣いただき、年一度の貴重な施餓鬼供養をして善行を施してくださったわけです。その功徳としてありがたい善業を持って、心楽しく帰りいただきたいと思います。まことにご参詣ありがとうございました。


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三方よしということ

2023年07月22日 12時00分00秒 | 仏教に関する様々なお話
三方よしということ

三方よしという言葉がある。近江商人の心得とも、モットーともいわれるが、売り手も買い手もそれから世間にも良いことを言うのだという。ネットの言葉検索で「コトバンク」を見てみると、『「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」。売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるということ。近江商人の心得をいったもの。』とある。

世間良しのところを社会貢献に置き換えてしまっている。これでは世間良しは商いと別物のように受けとられかねない。商いそのものが世間にとってもよいものである必要があるという本来の意味を読み違えそうな表現ではないかと思える。商いと社会貢献を切り離しては本来の意味の三方よしにはならないだろう。

ところで、昔サラリーマン時代に「てんびんの詩」という映画を見たことがある。ある情報出版社で営業企画の仕事をしていて、営業マンたちの研修に参加して一緒に見たのである。研修用の映画というので、誰もがこれ見よがしの教育ビデオ程度に思って見始めたのだが、終わった時にはみんな涙を浮かべて、見てよかった、もっと早く見ておきたかったと言い合ったものだ。みんなしんみりと、自分の営業の至らなさを思い知った人もあろうが、その人生の根幹にまで思いを馳せ考えさせられる内容に誰もが重たい気分になったものだ。

制作した会社のHP『日本映像企画・オフィスTENBIN http://tenbinnouta.ciao.jp/index.html』 には次のようなあらすじが書かれている。

「その日、主人公・近藤大作は小学校を卒業した。近江の大きな商家に生まれた彼は、何不自由なく育ち、今日の日を迎えていた。そんな彼に、父は祝いの言葉と共に一つの小さな包みを手渡す。中には鍋の蓋が入っていた。彼には意味がわからない。だが、その何の変哲もない鍋蓋が大作の将来を決めることになる。父はそれを売ってこいというのだ。売ってこなければ、跡継ぎにはできないという。

しかたなく、大作は鍋蓋を売りに歩く。まず店に出入りする人々に押し売りのようにしてすすめる。だが、そんな商いがうまくいくはずもない。道ゆく人に突然声をかけても、まったく見向きもされない。親を恨み、買わない人々を憎む大作。父が茶断ちをし、母が心で泣き、見守る人々が彼よりもつらい思いをしていることを彼は知らない。その旅は、近江商人の商いの魂を模索する旅だったのだ。

行商人のようにもみ手をし卑屈な商いをしても、乞食をまねて泣き落としをしても、誰も彼の鍋蓋を買うものはいない。いつしか大作の目には涙があふれていた。そんなある日、農家の井戸の洗い場に浮かんでいる鍋をぼんやりと見つめながら、疲れ切った頭で彼は考える。〈鍋蓋がなくなったら困るやろな。困ったら買うてくれるかもしれん〉。しかし、次の瞬間には〈この鍋蓋も誰かが難儀して売ったものかもしれん〉。

無意識のうちに彼は鍋蓋を手に取り洗いはじめていた。不審に思った女は尋ねる、なぜ、そんなことをしているのかと。大作は、その場に手をついて謝る。「堪忍して下さい。わし悪いやつです。売れんかったんやないんです。物を売る気持ちもできてなかったんです。」女は彼の涙をぬぐいながら、その鍋蓋を売ってくれというのだった。」

そして、鍋蓋を買ってくれた女は、近所の人たちにも声をかけてくれ、おかげで大作の鍋蓋は売り切れ、「売る者と買う者の心が通わなければ物は売れない」という商いの神髄を知ることができたという。大作は父もしたようにてんびん捧に“大正13年6月某日”と鍋蓋の売れた日付を書き込み、父や母の待つ家へと帰った。商いに関すること以上に、親の子に対する思い、世間の他所の子に対する接し方、幼い主人公の心の葛藤など、学ぶべきことの多い作品であるが、今の時代、教育という観点からも一度は若いうちに見ておきたい映画の一つではないかと思う。

主人公が農家の井戸の洗い場にあった鍋蓋を見て考えて、思い改めて涙があふれ、そのときその鍋蓋はただ自分が売るための商品ではなく、自分にとってかけがえのないものであり、ただただ、いとおしくなった鍋蓋、気がつくと無意識のうちにその場に下りていき汚れた鍋蓋を一心に洗っていた。自分は何もわかっていなかった、商いということがわかっていなかった、鍋蓋のことも、それを使う人の気持ちも。その素直な気持ちが農家の奥さんの気持ちを動かし、鍋蓋を売ることにつながった。

売り手と買い手、そして、その周りの人たちにも、お父さんお母さんや店の人たちにも喜びや安どの気持ちをもたらしたであろう。主人公の少年から鍋蓋を買った奥さん方はその鍋蓋を大切に使用したであろうことも想像される。まさに三方よしといえようか。

たとえば、お堂の材木は伐採され製材した材木の売り手があり、その材を買い手として大工さんや工務店があり、お堂の一材として建設される。勿論買い手と売り手が適正な価格取引に満足してのことであり、そして、そこに集う参拝する人々が世間としてそのお堂で様々な祈願をなし、多くの人の集う場となることによって、三方よしが成立する。

また様々な病気や感染症に対する薬やワクチンがある。まず、それを作る製薬会社があり、それを症状ある人や感染を危ぶむ人が購入し、飲用したり投与する。それにより世間の人たちは安心し健康な生活を享受できる。それで快復改善されるばかりなら問題はなく三方よしとなるが、その価格が適正なものではなく、さらに副作用が想定よりも多くなり、社会に不安を与えるようならそれは三方よしとはならないだろう。

広島県では今、県が許可した三原市の産廃最終処分場から染み出した水が法定の水質基準の二倍を超えているなどとして地域住民による訴えがなされ、地裁にて県の審査の不備が指摘され建設と操業差し止めの仮処分が決定したが、それに対し県は控訴するとしている問題がある。処分場建設会社と土地を提供した県の二方に、世間としての地域住民がよければ三方よしとなるのであろうが、残念ながらそうはならなかったケースといえようか。当事者だけ良い取引ではやはり後々問題が生じ世間からは後ろ指をさされる可能性があるということであろう。

日本の仏教はその教えの基本的な考え方として自力とか他力とか言われることもあるが、密教では三力という考え方をする。修行する自らの功徳力とそれに対して仏の側からの救済の力、それに宇宙の万物に宿る生命力によって悟りは成し遂げられると考える。やはり三方の力が総合されて初めて良しとする考え方といえよう。

さらに慈悲も自らがよくあってこそ他を慈しむことができるわけだが、慈悲の心を養う瞑想法では、まずは自らの幸せを願い、身近な人たちの幸せを願い、そして生きとし生けるものの幸せを願う。やはり三方がよくあらねば慈悲も成り立たない。何事にもこの三方よしを確認することによって、当事者だけでなく周囲の人たちや社会にとってもよい、間違いのない行いをなすことができるということにもなろうか。

近江商人が育てあげた総合商社に伊藤忠商事がある。その創業者の言葉に『商売は菩薩の業(行)、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの』という言葉があるという。これは近江商人の先達たちに尊敬を込めて語ったとされるが、いにしえの商人方は実業も仏行と捉えられていた。仏の心にかなう行いを心掛けたいと思うなら、近江商人に倣い、この三方よしを確認すべしということなのであろう。


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人が亡くなると仏様というのはなぜか

2023年06月28日 18時43分26秒 | 仏教に関する様々なお話
(昨年九月二十八日投稿の「死ねば仏とは」を修正し書体を改めました)



いつの頃からか、日本では、人が死すと仏、仏様と呼ばれてきました。
私にはそれが不本意で、そんなことを言うから日本仏教は活力を失ったのだと思っていました。

つまり、死んだらみんな仏なら、教えも修行も不要ではないかと考えたからです。
そんなものなら、そもそもお釈迦様も、各宗の祖師方も死を覚悟して死に物狂いで修行する必要もなかったではないかと思えたのです。そんな簡単なものではないと。

しかし、数日前、朝の御勤めで、本尊お薬師様の供養法を修しておりましたら、お教えをいただきました。
人は死すと、煩悩に覆い隠された故人は死んで、仏だけが残ったのだと。
息を引き取りしばらくすると、故人の生前の人格の心は遺体から離れ、ご遺体だけが残されることになります。
お釈迦様が発見された無常の真理そのものとなります。

仏も人も森羅万象も、すべてのものが有する、ありのままのの摂理、真理の中にあるそのものに化すのだと。
そのとき、生前あった煩悩は、その身体にはありません。ですから、仏と言いうるのだと。
そういうことではないかと思います。
三毒と言われる煩悩にまとわれた心は身体から去り、残されたのは真理そのもののお姿のみとなります。
それを仏と言ったのではないかと。

誰もがその時、煩悩が抜けきり、安らかな顔になり、やさしい顔になられて、仏そのままの顔となります。
苦しそうにしていた人も、寂しそうな人も、苦々しい顔をされていた人も、みんなその時安らぎの中にあります。
どなたさまにもそう見えるはずです。

私たちの身体は、四大とか五大と言われます。
四大とは、
地大(堅さを性質としてものを保持する働き)
水大(湿り気を性質としてものを収めとる働き)
火大(暖かさを性質としてものを成熟させる働き)
風大(動きを性質としてものを成長させる働き)のことをいいます。

五大は、これら四大と空大(虚空でこの場合空間を意味する)を加えたもので、それぞれの要素を併せもつ身として私たちは生きています。
ですが、地・水・火・風・空と言えば、高野山の奥の院参道に見られるような五輪塔が思い出されるように、真言宗では大日如来そのものであると考えます。
それは宇宙の真理を表すものであり、仏様に外ならないのです。

ですが、私たちは煩悩にまとわれているが故に、その仏の自分に気づけず、凡夫と思って、凡夫そのものの一生を過ごしています。

身体と心が一つに生きている時に、心の煩悩をすべて吹き消してしまうことを覚りとか解脱といい、それを本来成仏と表現しました。
生きたいと思うような欲の心もないので、身体だけを残して来世に旅立つことなく、身体の束縛がなくなると心も消滅すると考えられています。
しかし、覚れなかった凡夫衆生は当然のことながら生への未練から、過去世での業に加え、現世において積みました業によって煩悩あるが故に来世に再生すると考えるのです。

真言宗でいう即身成仏とは、仏となんら変わらないわが身の本質に気づき、身と口と心のはたらきを仏のごとく調え、自身がこの身のままに仏を体感し、自覚し、信念として感じられるようになることでしょう。
そこでは、すでに真理の中に生き、真理に生かされていることを深く認識されていることは言うまでもありません。

故人を悼みなされる仏事全般は、仏たるご遺体ではなく、来世に赴きたる煩悩具足の心に向けてなされるわけですから、中有にあってはこの三次元の空間におられる故人の心に、満中陰後は来世に転生せる先に向けて功徳は廻向されると考えられます。

いずれにせよ、死ねば仏と言われるのは残されたそのご遺体に対してであり、生前のその人が死んだからその瞬間に成仏したという意味ではないとわきまえる必要があるのだと思います。


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インドに何を学ぶか

2023年06月05日 18時39分06秒 | 仏教に関する様々なお話
 令和五年六月五日   
『インドに何を学ぶか』
 福山北倫理法人会での法話



今日は「インドに何を学ぶか」というテーマでお話します。三十年も前になりますが、インドの僧として三年半、実際にインドに滞在したのは併せて二年半ほどですが、その後もインドと仏教を通してかかわり続けてまいりました。そこで、そもそも私がなぜインドに行ったのか、そして何をしたか、いろいろ見聞してきた話も交えながら、そこから私たちは何を学ぶべきかと考えてまいりたいと思います。

早速ですが、なぜインドに行ったのか、前回にも少しお話していますが、お寺の生まれでもありませんので、一冊の本との出会いが、私を仏教に引き寄せたのです。それは、角川書店の「仏教の思想」というシリーズの第一巻『知恵と慈悲・ブッダ』という本です。増谷文雄さんという都留文科(つるぶんか)大学の学長をされた先生が書いたもので、誠に丁寧にお釈迦様の実像とお考えを描かれていて、当時のインドの様子を彷彿とさせながら読ませてもらいました。その後高野山で僧侶になりますが、その本の内容と日本の仏教との違いを確認するためにインドに触れなければならないと考えたわけです。

次に、何をしたかということですが、一度目はヨガの聖地リシケシに長期滞在しましたが、二度目にインドに行った時に、コルカタのインドの仏教教団ベンガル仏教会とご縁ができました。ボウバザールという旧市街にあるその教団本部の古い建物はビルラ財閥の寄進によるものでした。

その教団には日本人で後藤恵照さんという、元曹洞宗のお坊さんで四十五才で日本の寺を譲りインドで再出家した方がおられました。サールナートというベナレスの駅から北東十五キロほどのところにある、はじめてお釈迦様が説法されたと言われる聖地でサールナート支部法輪精舎の住職をされていました。後藤さんは、因みに「こんなところに日本人が」という番組などに紹介されたことのある方ですが、二等寝台に揺られベナレスに向かい、法輪精舎に参りました。後藤さんは茨城なまりの日本語で迎えてくださり、インドにはまだお釈迦様の時代からの伝統ある仏教徒がいると教えられました。

それはお釈迦様の時代にマガダ国という中インドの大国があったのですが、その国のビンビサーラ王がお釈迦様の熱心な信者だったのです。その末裔たちが、十世紀頃イスラムの侵入を嫌い東に移住を開始し、今のバングラディシュのチッタゴン、今その地はロヒンギャの人たちが難民として滞在していますが、それからミャンマーのアラカン地方に移りバルワ仏教徒と言われて今日まで細々と生き続けてきて、その仏教徒が今から百三十年ばかり前にコルカタに教団を作ったのがベンガル仏教会であるということでした。

私は、日本ではインドに仏教はないと聞いていたのに、ちゃんとインド人の仏教が生きていたことにとても感動し、後藤さんはこれからお寺の中に無料中学校を作る計画だと言われるので、その事業に協力し、自分もインド僧になることを決意しました。それが三十二才頃のことですから今から丁度三十年ほど前のことになります。一度日本に帰り拓殖大学で一年間ヒンディー語を学び、再度サールナートを訪ねました。ひと月ほどで見習い僧である「沙弥(しやみ)」になる儀式をサールナートのお寺で受け、黄色い袈裟姿で生活し始めました。

それから半年後、たまたまコルカタで正式な僧侶である「比丘(びく)」になる人があるので貴方も一緒に具足戒を受けなさいということになったのですが、もう一人の彼、ボーディパル師はベンガル仏教会の創始者クリパシャラン大長老の家系の名家の若者で、二人で、コルカタのフーグリー河上の船の中で十数人のベンガル人比丘に見守られ儀式を受けました。

すべて儀式のための経費や参加した比丘方への食事のもてなしの経費はその彼の家から出してくださったのだと思います。ですから、すべて彼のための得度式であり、私はほんの付け足しだったわけですが、それだけにかえってその奇跡的な機会によくぞ巡り合えたものだと今では思います。彼はその後世界中の仏教の大祭や会議に出席しては英語でスピーチをするインドを代表するエリートになり、日本で行われた世界仏教者会議にも来てスピーチしていました。が、残念ながら二年前にコロナ疲れで亡くなってしまいました。五十三才でした。

サールナートのお寺では、日曜学校をして子供たちに英語を教えビスケットを施したり、後藤さんは若者たちに毎朝日本語の教室を開いていましたが、私は一緒に坐らせてもらいヒンディ語を学びました。後藤さんは夕方からはベナレス・サンスクリット大学へ日本語を教えに行かれていましたが、私はその大学に留学させてもらってパーリ語という仏教語を受講していました。

サールナートでの後藤さんとの生活では、四月五月の乾季の暑い時期には蚊帳を吊ったベッドを外に出して寝ていました。最高に暑い日は五月半ばで、五十四度という日がありました。六月半ばには雨期になり過ごしやすくなりますが、毎日雨が降るわけではなくかえって蒸し暑くなるので体には良くない時期と言われていました。外で寝ていると急に雨が降ってきて二人でベッドを庇の中に運ぶということもありました。それが九月ころまで続きます。冬は逆に日較差から夜はものすごく寒く感じ寝袋に布団をかけて寝るという具合で、夜水浴びなどできませんから、朝バケツに汲んだ水を屋上に置いて温め昼食後に水浴びしていました。

私の仕事は、後藤さんとともに昼間空いた時間に、サールナートに歩いていき、日本人観光客に寄付をもとめたり、中学校の校舎がお寺の敷地内につくられていきますが、その資金のため、何度か日本とインドを行き来する際に日本からの寄付を携帯して入国しベナレスで両替してということをしていました。

また、当時お釈迦様の生誕地であるネパールのルンビニに、国連が主導した開発計画があり、日本の建築家丹下健三さんが一九七八年に設計したマスタープランによって開発がゆっくりではありますが進んでいました。その僧院地区に、ベンガル仏教会が、土地を借りて寺院を建設する予定があり、コルカタ本部の命で、ネパールはヒンディ語が通用するので、私が一人でその土地の借地料をカトマンドゥのルンビニ開発公社へ払いに行ったこともありました。

カトマンドゥの街を歩いていると、熱心な仏教徒から声を掛けられ、お昼には私の家で食事をして下さい、施食を受けてくださいと言われてごちそうになったこともあります。午後からは固形物を口にしないという戒律があるので昼食はとても大事なのです。

インドに滞在している時の話ではありませんが、日本に帰った時も当然南方の袈裟姿だったわけですが、東京の早稲田あたりで不法就労できていたベンガル人仏教徒に話しかけられ、赤羽の古いアパートまで、やはり昼食に呼ばれていったこともあります。部屋に入りきれないほど沢山のベンガル人が日本人の坊さん見たさに集まってくれました。そんなことが二度三度ありました。

また、高田馬場の駅でミャンマーの人が突然駈け寄られ、地面に膝まづいて礼拝されお布施を頂戴したこともありました。なかなか会えない南方のお坊さんだと思ってなされたわけですが、みんな不法就労で、やはり後ろめたいものもあり徳を積みたいと思ってなされたのだと思います。

こんな話をしていると時間が無くなります。結局インドの仏教と日本の仏教の大きな違いは、日本では仏像を信仰して坊さんも檀信徒と一緒に仏像に向かってお経を読みますが、インドなど南方の仏教では僧侶も礼拝の対象となり、お坊さんは仏像と同じく信者に向かって仏様の側からお経を唱えていました。ニマントランと言っていますが、コルカタのお坊さんたちも、毎日のように仏教徒の家に昼ご飯の招待を受けお経を上げて帰るのが日課となっていました。

似ている点は、やはり人の死にあたっては葬儀をきちんとお寺でしていたことでしょうか。日本では葬式仏教と揶揄(やゆ)されますが、インドでも仏教徒は仏式で葬儀をしていました。私も三度ほど他の比丘らと一緒に葬儀のお経を、無常偈など二つの偈文を三唱するだけですが、唱えさせてもらいました。

こうして、つごう五回インドに行き、コルカタで二度マラリヤになったこともあり、インドでの生活を諦め、捨戒(しやかい)して帰ることになりました。なお、後藤さんの学校はその後、別の土地を買い足して中・高・大学と開校し、州公認の優秀な学校として表彰されるまでになりましたが、後藤さんは平成二十八年に八十四歳で亡くなられました。

次に、インド滞在中に仏教以外のことで見聞した特に印象的だったことを三点だけお話申し上げます。一つは、サールナートに長期滞在するときに、留学ビザを取りインドに入ったのですが、留学生は現地ベナレスの外国人登録事務所に名前を登録しておく必要があります。ですが、その前にデリーの中央政府の本部事務所にビザを提示して留学の承認を受けねばなりませんでした。

事前にインドでは何事も賄賂(わいろ)が必要と聞いていましたので、この時も係官に百ルピーのお金を差し出しタバコ銭にと言って渡しました。するとその方は、「この金は何か、私たちはきちんとサラリーをもらって仕事をしている、私たちは貧乏ではない」と憮然(ぶぜん)として言われたのです。私はとても恥ずかしい真似をしたと後悔したようなことですが、立場のある役人や政治家がおのれの信念を貫くことが日本でも難しい時代ですが、インドの役人には、それをはっきりと言葉にできる立派な人がいるのだと知ることができました。

二つ目は、インドで寝台列車に乗り見聞したことですが、あるときラクノウからコルカタに向かう途中、夜の九時ころパトナに停車するとたくさんの人が大きな荷物をもって乗り込み、私の寝台の下にも座り込んで、急に大きな声で話だしました。何事かと耳を澄ましておりましたら、そこで出会った三、四人の人たちが、ビハール州の首相が公金を使い込んで逮捕されたのに居直っているとか、天候異常から作物の値が上がるのは分かるが便乗してあれもこれも値上げしてけしからん、みんな大企業なのに庶民の暮らしを何と心得ているのかなどと、怒りをあらわに様々な情報や意見をやりとりしていたのでした。難しい言葉は分かりませんでしたが、インドの人たちは初対面でも自分の主張をきちんと言い合える、何よりそれぞれ自分の考えを発信できる人たちなんだと思ったようなことですが、日本ではまずそんな光景には出会えないと思いました。

それから三つ目は、マラリヤになった時のことですが、この中にはマラリヤになった方はないと思いますが、ブルブル震え寒く感じるほど急激に熱が高くなります。二度とも、コルカタのお寺の先輩比丘が付き添ってくれたのですが、一度目は、お寺の近くのクリニックに連れて行かれ注射をして治りました。その翌年、二度目のときには慎重を期して、大きな四階建ての病院に連れて行かれました。たくさんの人たちが行列していましたが、私はなぜかすぐに呼ばれ診察を受け、薬をもらって帰って下さいと言われてロビーに行くと、また沢山の人だかりで、これは何時間待たされるのだろうかと思っていると、またすぐに私の名前が呼ばれて薬をもらい帰りました。

宗教者、とくに厳しい戒を守る仏教の坊さんには敬意を払い、他の人たちも何も言わずに道を開けてくれるようなところがありました。誠に有り難いことですが、おかげで今も元気に生きさせてもらっています。戒を守り修行する、崇高な目的を持って生きる宗教者を大切にする風土が今もあるということだろうかと思います。

以上、私がインドで特に印象深く記憶に残っていることをお話しましたが、それを踏まえて、インドから何を学ぶかと考えてみたいと思います。

インドという国は近年特に国際政治であるとか経済面、特にITの分野、医薬製造や自動車関連製品での躍進はすさまじいものがあります。また数学計算でのインド式であるとか。語学の才能もぴか一です。十四億人という人口も世界一になりました。インドという国はご存じの通り、大きな国土に人が多いだけではなく、言語が多様であり、それだけ民族も多く、宗教も複雑さを極めています。

連邦公用語はヒンディー語と英語ですが、他にインド憲法で公認されている言語が二十一あり、主な言語だけで十五を超えてしまいます。文字も多様でインド・ルピーの紙幣には十七の言語が印刷されています。方言を含むと八百種類以上の言語が話されているということです。宗教の分布は、二〇〇七年の資料によれば、ヒンドゥー教徒73%、イスラム教徒11%、キリスト教徒6%、シク教徒2%、仏教徒0.71%、ジャイナ教徒0.40%、ゾロアスター教徒0.02%とあります。

面積的にはパキスタンやバングラディシュを含めると同程度とされるヨーロッパは、二十一世紀になりやっとEUとして統合されましたが、いまだに国家としては別々です。ヨーロッパの宗教がほとんどがキリスト教であることを考えると、インドという国は、古代からずっと、イギリスの植民地時代を経て今日まで、誠に複雑な民族・文化の違い、宗教間の軋轢にさらされて来たわけです。

それだけに各々の文化や宗教に根ざす信念や忍耐を強く養いつつ、それを議論し続けてきた人々なのであろうと思います。この二十一世紀の現代において、未だに宗教をとても重んじる国であることは間違いないでしょう。この度の広島サミットにお越しになった方々を見ても、モディ首相だけが民族衣装を着て颯爽と登場されましたが、自国の文化伝統に対する誇りが強く感じられました。

例えばパール判事というインド人国際法学者がおられました。戦後の極東軍事裁判で唯一戦犯すべてを無罪とする判決を下されたのは有名ですが、戦勝国におもねることもなく、法学的な信念と宗教心に裏付けされた、勇気ある発言をなされたというのは、いかにもインド人らしいと私は思います。

また、インドは核保有国として知られるわけですが、なぜ国連の常任理事国五大国だけが核保有を認められるのか、と正当な異議を申し立てて保有に至っています。私は決して核保有を支持するものではありませんが、インドが核保有した当時、インドにいたので、いろいろな人にそのことを問うてみたことがあります。多くの人たちが、地政学的に必要であるとか、現在の核管理についての不平等性などについて語り、これはインドの安全保障の問題であり、どの国も口を挿し挟むべきではないと皆さん自国の利益を語り、きちんと自分の意見をお持ちでした。

関連して、最近の問題についても見てみますと。今回のコロナ騒動についてですが、インドは独自の判断により、イベルメクチンを採用したりして早期に終息しています。イベルメクチンの接種に反対するWHOを、逆にインドの弁護士会が訴えたり。またウクライナ戦争に対しても、インドは独自の対応をしています。ベルリンの壁崩壊後の歴史的観点、近年のウクライナ政権誕生のいきさつから見ると、決して欧米の主張が正当とは言いがたいという立場であろうと思います。決してロシアから武器を購入しているからではないと思います。

インドの人々はいずれにせよ、西側といいますか、他国の圧力にも屈せずに独自の立場を貫く強さ、そして発言力があります。宗教上の理想を実現するために、いかにあるべきかと、生きる目的をはっきり自覚している彼らだからこそ、個々の問題についても、こうあるべきであるという確信をもって、それを言葉にすることができるのだと思います。インドは食料自給率も百パーセントを超えています。外国との交易が封鎖されても自国で生活に必要なものはすべて賄えるとも言われています。

ところで、インドでは、昼間みんな寝ていてインド人は働かないなどと言う人があります。ですが、あれは四十度五十度にもなる暑さになる昼間は体を休めているだけで、その分朝早く仕事をしたり夜涼しくなってから働いたりというのがインド人の日常です。過酷な気候の中で生きるインドの人たちは、人も含めて息するものすべてが必死に生きねば生きられないと言われます。すさまじい住環境の中、沢山の異なる人たちと、もみくちゃになりながら、インドという国のたくましさが培われたのであろうと思います。

とにかくインドという国は面白い国です。私たち日本人は、一千五百年前から仏教を通してインドに学んでまいりましたが、現代においても、様々なことを、彼らのものの見方考え方、発想に学んでみてはいかがかであろうかと思っております。


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癒やされない悲しみに

2023年03月12日 18時07分00秒 | 仏教に関する様々なお話


癒やされない悲しみに

               

知り合いの息子さんが若くして亡くなられました。

ガンで二年ほど入退院を繰り返された後に手厚い看護にもかかわらず亡くなってしまったのです。親御さんの気持ちを思えばいたたまれない悲しみに包まれていることが推察されます。自分の産んだ息子、たよりにしていた息子が亡くなった、言いようのない喪失感は癒やしようのないものであろうかと思います。

若くして結婚して、お蔭でお子さんたちがみな立派に成人された後だったことは幸いではありましたが、やはり、闘病生活にもいろいろと気遣いが必要だったようですし、亡くなって葬儀を行い、さらにその後の中陰開けまでも、いろいろと気苦労を重ねられ、老親二人は疲れ果ててしまったようでした。

たびたび老夫婦は訪ねてこられてはいろいろな話をして帰られます。既にひと月、ふた月たつのですが、未だになぜ死んだのか、どうして私たちより先に亡くなってしまったのか、心の整理がつかないのも無理は無いことであると思います。

誰しもがそのような立場に遭遇すれば、何か自分を責めてみたり、小さな頃からの記憶をたよりに様々な場面での一コマ一コマのやりとりに間違いはなかったのかと思いが募り、悪い方向にと心が迷い出すこともありがちでしょう。みんな自分たちが悪かったのかと、いたたまれない思いに心沈むこともあるかもしれません。

身近な人が亡くなると、私たちは、どうしても、私の息子が、私の母が亡くなったと考えてしまいます。自分との関係の中にあるその人が亡くなったとしか捉えられなくなってしまうのです。ですから、自分が悲しく、失われたことにしか目が行かなくなる。しかし、一人の人、一人の人生が終わった、完結したのだと、一度見方を変えて、無理にでもそう思ってみてはいかがであろうかと思います。

この世に自分たちを縁として生まれてきた一人の人が、いろいろな経験、人生を歩み、様々な楽しみ、喜び、しあわせ、ときに悲しみや寂しさを経験して、立派にこの度の人生を閉じた。たとえ短い人生であったとしても、その人にとっての定めとして、寿命は皆違うのだと考えて、その人なりの、その人にとっての精一杯の人生を生きられたのだと思ってあげて欲しいと思うのです。

なぜなら、一番悲しく切ないのは亡くなられて、沢山の人たちと一度に別れていかざるを得ない本人、その人なのですから。

「独来独去(どくらいどつこ)」という言葉があります。以前國分寺の客間にその書額が掛けられていたことがあります。「浄土三部経」の一つ『大無量寿経』にある言葉です。

そこには、「富有なれど慳惜(けんじやく)し、肯(あ)えて施与せず。宝を愛して貪ること重く、心労し身苦しむ。是の如くして竟(おわ)りに至れば、恃怙(じこ)とする所無し。独り来たり独り去りて、一も随う者無し。」とあります。慳惜とは、ものおしみする心。恃怙とは、頼むことです。

お金持ちだけれど、もの惜しみが強く、あえて他の人に施与せず、財宝を愛して貪る心が強いと、かえって自分自身で心労が重なり苦しむ。このようにして一生を過ごせば、死に臨んでも頼りにするもの何一つなく、独り来たり独り去りて、一つも随う者はない。

しかし、所詮、どのような境遇にあったとしても、独りで生まれ来て、独り老い病み、独りで死に去っていかねばなりません。名誉も、財宝も、親も子も伴侶も一緒に連れて行くことは出来ません。

みんなそれぞれに自分自身の人生を生きています。亡くなられた息子さんも、様々な業を背負い、様々な才能、性質、好き嫌いのもとに自分だけの尊い命を懸命に生きてきたのです。

残された人たちには、よく頑張ったね、立派に生きたね、いい人生だったね、ありがとうという気持ちで、そして、次に縁あって生まれ変わっていく世界では、どうか思う存分に生きて下さい。そして、もう少しゆっくりお過ごし下さいと、そう思い願ってあげて欲しいと思います。

悲しみ、悔いて、何で死んでしまったのかといつまでも嘆いていては、亡くなった人には酷なことに思えます。送る側が暗い心で見送っては送られる側でも後ろめたい、何か悪いことをしてしまったような気持ちにとらわれてしまうかもしれません。

難しいこととは思うのですが、無理にでも自分から切り離して、一人の人生の新たな旅立ちとしてとらえて、明るい心で送りだしてあげて欲しいと思うのです。



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夢ということ

2023年02月24日 09時22分38秒 | 仏教に関する様々なお話
昨日法事にお越しになった学生さんたちのために一言

夢ということ




誰にも夢というものがあります。実現可能なものか本当に夢のようなものなのか、それはその人によって違いましょう。いくつも夢のある人もあるかもしれません。その夢を実現するためにいろいろと努力する、何とか夢に近づけるように頑張る。そのための意欲をたもつためにも夢というのは必要なものと考えられてもいるでしょう。

ですが仏教では、世俗の夢とか希望というようなものは修行の妨げになるものであってあまり推奨されないものでもあります。私たちは何のために生きているのかというところから物事を考えていくからです。今あるところですべきことをして様々なことをする中で学び徳を積むことこそ必要なことと考えます。

ですが、やはり将来はこうありたいこう成りたいと誰でも考えます。かくいう私も実は、そう考えた時期がありました。お寺とはなんの縁もなく、経済学部の学生の時に一冊の本と出会って僧侶の道に入り、高野山で一年間の修行を終え、東京のお寺で役僧として給料をいただき、そのお金で一年後にインドに行きました。帰ってからは東京で托鉢して生活をしながら、二度四国遍路を歩きました。ですがその頃、将来の展望が見えず、この先どうあるべきかと悩んでいました。そこで、毎朝の御勤めの時に仏様に「将来どうあるべきか、自分の僧侶としての役割を与えてください」と真剣に礼拝し祈り続けました。

そうしておりましたら、またインドに行く機会が降ってきて、その時コルカタの仏教教団とご縁ができました。ヒンディー語を勉強してから再度インドへ向かい長期に滞在することになりました。それから奇跡的にチャンスをもらい正式なインド僧となることができ、三年半ほどを過ごしました。日本に帰ってきたときには阪神大震災のボランティアに駆け付けたり、またインドに帰って無料中学の建設のために寄付集めをしたり。

ですが、マラリアに二度も罹患してインドでの生活を諦め日本の僧侶に復帰しました。それから東京深川の小さなお堂の堂守を三年ほどしました。その間に家族ができ、この先の生活を考え、倉敷の兄弟子のところに相談に行きましたら、ひと月もしないうちに國分寺に来ないかとの話が持ち上がりました。

そして、挨拶に来たその日のうちに入寺が決まりました。入りましてからも大変なことが続きました。境内の草取りから、朝五時の鐘、お勤め、掃除、山の整備などなど。ですが、お寺の役員さんはじめ檀家さん方、周りのお寺さん方のおかげで今こうして何とか住職として仕事をさせてもらえています。

三十年前に祈願したことなどいつの間にか忘れていましたが、その間こちらに来る前にはきっと自分にふさわしい、役割を与えてくれる場所が必ずある、待っていてくれているという漠然としたイメージをもって信じていました。三十年の時間を経てやっとあの時に祈願したことが実現できているのかと気づいたようなことですが、あるいはまだその途上なのかもしれません。

夢や希望というのは具体的である方が実現しやすいと考えられがちです。私の場合はまったく漠然とした内容だったこともあり時間がかかったのかもしれません。が、何事も様々な回り道と思えるようなことも必要で、つまらない、とるに足らないようなことの中にも学びがあるものです。時間も必要ですし、様々な経験をしないとそのタイミングに出会えない、その縁をつかむ自分たりえないということかとも思えます。

冒頭で仏教の話に少し触れましたが、生きるとは何か、人生は何のためにあるのかと考えていきますと、その夢のはるか先に、もしくは先の先に私たちの目指すべきものがあることがわかります。それは人としての完成ともいえるものかもしれませんが、今この瞬間にいかにあるべきかがすぐにわかり、つまり悩むことがなく、どんなことがあっても困らない苦しまない悲しまない、それはこの世の中の摂理を知り尽くした不動の心静かな心清らかな心ともいえるものです。私たちの沢山の夢は最終的にはそうしたところに導いてくれるためにあるのかもしれません。

ですが、そんなところに自分の最終目標があるんだと思えたら、この先になにがあっても、どんなことになっても、乗り越えていけます。どうか、まずは目の前にある沢山の夢、大いなる夢に真剣に向き合い、時に気晴らしをしながら、気長に頑張ってください。



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御生誕1250年の弘法大師

2023年01月26日 14時14分55秒 | 仏教に関する様々なお話
御生誕1250年の弘法大師 令和5年1月21日薬師護摩供後の法話




今日は初大師、御生誕1250年の記念すべき年の初大師となります。全国各地の弘法大師を祀る寺院では盛大にお祭りがなされていることでしょう。こちらにも土曜日ということもあり、早朝8時からにもかかわらず、遠方からも大勢のお護摩のお参りをいただきありがとうございます。

弘法大師は今年が西暦2023年となりますから、774年宝亀五年にお生まれになられています。六月十五日のお生まれと言われており、六月には各本山でも記念の法会が執り行われることと存じますが、はたしてお大師様はどのようなお方であったのか。皆様ご存じのことと思いますが、概略申し上げてみますと。

生まれた場所は、讃岐の屏風ヶ浦と言われますが、香川県の今善通寺のある場所とされています。群司をされていた父佐伯善通(さえきよしみち、俗名:田公 たぎみ)氏の子として真魚と名付けられ、十四才で奈良の都に上京、中央佐伯氏の氏寺佐伯院に滞在し、十五才で桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった母方の叔父阿刀大足について論語、孝経、史伝、文章などを学んだとされています。そして、十八才のとき京の大学寮に入り、専攻が明経道で、春秋左氏伝、毛詩、尚書などを学んだということです。

ですが、十九才を過ぎた頃から山林での修行に入ります。熊野や四国の山々を跋渉し、四国室戸岬の洞窟で修行をしているとき、口に明けの明星が飛び込んできて特殊な体験をなさるわけです。このとき洞窟の中で目にしていたのは空と海だけであったため、その後空海と名乗ったということです。こうした山岳修行によって、宗教的な才能が開花して、遣唐使の一員として留学僧の立場で後に天台宗を開く最澄師とともに唐に赴くのです。

その時には中国の言葉に不自由なく、詩文や書に際立った才能を発揮されて、インドから伝わっていた当時の仏教の最も進んだ教えである真言密教の正統な継承者であった青龍寺の恵果和尚に奇跡的に邂逅されて、すべての教えを授かり第八祖となり、二年ほどの滞在で帰国します。その後嵯峨天皇の即位によりその存在を見出され我国における真言宗の開教をみて、その後一大宗派に築き上げられ、高野山の地に伽藍を築いて修禅の道場とされ、東寺を下賜されて国家の祈願所とされます。さらに、東大寺の別当に任ぜられて奈良の仏教も真言化し、宮中にて正月の後七日御修法を定例の法会として宮中の祭祀も密教を取り入れたものに換えていくことに成功されたのでした。

未だに伝教大師最澄師とともに日本仏教の二大巨人と言われます。ですが、天台宗はその後浄土宗、禅宗にと様々な宗派に枝分かれしていくのに、真言宗は派は分かれ本山は沢山ありますが、一つの教えとして続いています。それはひとえにお大師様が真言教学を、とても難解ではありますが、完璧に著作として後世に残されたからではないかと思います。

ではなぜそこまで偉大な生涯を送れたのかということになりますが、昔から不空三蔵の生まれ変わり説というものがあります。ご誕生の年や日にちまでが、不空の亡くなられた日と同じであるとされてきました。

不空とは、正式には不空金剛であり、インド北部のバラモンを父とする西域の人とされ、若くして唐の長安にきて、金剛智に師事し密教を学び、三十六才の時741年金剛智の入寂後に、師の遺言に従って『金剛頂経」『大日経』等の梵語原典の密経経典を請来するためにセイロン・インド南部に渡り、龍智阿闍梨のもとで胎蔵・金剛両部にわたる伝法灌頂を伝授されています。

そして746年長安に帰り、755年の安史の乱をきっかけに 唐朝の内患外憂に処する護国思想として、またその呪術的機能により宮廷内に強固な基盤を作り帰依をうけることになります。そして、玄宗、粛宗、代宗の三代の国師となり、密教を国家仏教の地位にまで引き上げることに成功します。また110部143巻もの密教の経論を漢訳し、鳩摩羅什・真諦・玄奘三蔵とともに、四大訳経家の一人とされています。そこで不空三蔵ともいわれているのですが、774年に入寂しています。

お大師様も唐に渡り受法され、多くの経典を持ち帰り、810年薬子の乱に国家鎮護を祈り、嵯峨天皇、淳和天皇の帰依を受け、多くの著作を残されました。その生涯はこの不空三蔵の事蹟をそのまま成し遂げられているようにも映ることからも生まれ変わりではと、そう言われているのです。まさに不空三蔵のような偉大な宗教的才能を受け継がれたかのような生涯でした。

時々このように思えるような人は世に出ていることは以前にも紹介したことがあります。幼少期に子供のおもちゃのピアノを教えられてもいないのに引き出して、英才教育を施されて世界的なピアニストになられている辻井伸行さんや書家のお母さんの手ほどきでみるみる才能を開花させた書家の金澤翔子さんなど。他にも多くのこうしたまるで前世から才能を受け継がれてきたのではないかと思いたくなるような方はたくさんおられることでしょう。

ですが、実は私たちも本当はそうした才能がありながら、それを開花させずにただの凡人と思って暮らしてしまっているのかもしれません。世界最高水準の才能はともかくとして、これまでしてこなかったものの中に、もしくは本当は関心を強く持ちながら諦めてきてしまったことの中に、前世で強く関心を持ち、かなりの時間を費やし磨いてきたものをそのままにしてしまっているということもあるかもしれません。好きなこと、関心をそそられるもの、簡単にあきらめてきてしまっていることの中にそんなものが隠れていることでしょう。

坐禅や瞑想なども、まったくしたことの無かった方が、人に連れられてやってきて試しに坐ってみたら、突然かなりのレベルまで到達してしまったということがよくあるものです。同様に、これまで全くしてこなかったことの中に新たな自分の目標が見つかるかもしれません。今年は是非、生誕1250年のお大師様にあやかり、私たち自身の隠れた才能を探し出し、開花させられないまでもそれを楽しみ、より輝いた人生へのスタートにしてみてはいかがかと思っています。今年も一年ご参詣をいただけますよう宜しくお願い申し上げます。



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平等ということ

2022年12月11日 19時50分25秒 | 仏教に関する様々なお話
平等ということ




世の中は何かと生きずらい。子供の頃には気づかないが、大きくなるにつれてあの子はいい家の子だからとか、親の着るものや車に目が行き、ついうちとは大違いだななどと、いろいろ考えさせられるようになる。インドでは、お釈迦様の時代ばかりか、いまだに階級というものが、カーストと私たちは言うが、彼らにとってはヴァルナという色を意味する階級が厳然と存在している。ないしはジャーティというような職業による二千以上ともいわれる階級まである。

それでも仏教は、すべての人は平等であるとして階級差別などしない。なぜそうもはっきりとした態度がとれるのかというと、誰もがこの因果応報の世の中に生きているからであろう。お釈迦様と同年代だったというコーサラ国の大王パセーナディとの会話の中で、お釈迦様は四種類の人があると言われた。良き生まれであっても、それに胡坐をかくことなくまじめに努力して生きて実り多き人生を送る人と、同じように良き家に生まれても学び少なく満足に働かないがために没落していく人がある。

また貧しい家に生まれても、真面目に努力して周りに助けられ豊かになり、よき人生を送る人がある。逆に貧しいがために悪事に手を染め、さらに悪業を積んでしまう人もある。このような四種類の人があるのは、人はつまり生まれではなく行いによって、志によって、いかようにも変われるということであり、そうした可能性を秘めた存在として、何人も一つの命として平等であって、生まれによって分け隔てするなどの差別を否定し、いかなる人も平等であると説くことができたのであろう。

インドの人々は今も輪廻を当たり前のこととして生きている。今こうあるがもっともっと努力して徳を積んで来世はより良いところに生まれ変われるはずであると考える。だから長い来世も含め未来世を考えた時に、今どうあろうとも、その人を差別したりできないということにもなる。誰もうらやんだり、あがめたり、またさげすんだり、あなどったりなどできない。次は我が身かもしれないと考える。だから今ある場所で、とにかく頑張って、よりよくあれるように努力する、周りの人たちを大切にして、よりよく生きるしかない、それが幸せになる道と考えるのであろう。

いま私たちはとても不安な時代に生きている。コロナ騒ぎも相変わらず日本やアジアの一部だけはなぜか続いているし、物価が高くなり生活が苦しくなる一方である。さらには増税してまで軍事費を増額するなどと言い出して不安をあおられている。いいことは何も見つからない。コロナコロナと翻弄されて、つかの間サッカーに野球にと、スポーツやシネマ、セックスと庶民が、相変わらずそんなことにかまけている間に世の中が、世界が何者かによって変えられていく。

しかし、それでも私たちにできることはこの場でよりよく生きることしかない。うまい話に乗れば足をすくわれ取り返しのつかないことにもなるし、そもそも悪業を積んで来世が不安で死ぬ事も出来ないということになる。だから、善因楽果・悪因苦果、因果応報なるが故に、誰もが平等なのだとこの世のあり様である、その真理を信じて、日々みんながよくあるよう、精進努力して地道に頑張るしかない。そう思えるのであるが、いかがでろう。そうしてこの世の変わりゆくさまを冷徹な目で見ていようではないか。



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